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三浦と音楽〈その二〉|三浦自伝⑭

(写真:南ア・喜望峰にて両親と)

小学校1年生の頃、突然バイオリンを習いたいと言い出した三浦。

おそらくバイオリンを弾けたらカッコいいとでも安易に考えたのだろうが、やりたいと言ったことをやらせてくれる親がいたのはありがたかった。

父はギター、母はバイオリンとフルート、姉はピアノ、トランペットをやっていたので今思えば腕前はさておき音楽一家であったと思う。さっそく地元名古屋の鈴木バイオリンで子供用の楽器を買ってもらい、週に一度、栄の丸善の上にあったヤマハの教室に通った。

4年生で南アフリカに渡った後も現地の先生について延べ4~5年習ったが、母に「練習しなさい」と言われるのが嫌で練習嫌いになってしまったがために全く身にならなかった。

音楽を演奏する楽しさをちゃんと心得ることができず、非常にもったいなかったと反省している。

楽器の練習は嫌いでも音楽を聴くのは好きになった。

初めてCDが欲しいと思ったのは小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」で、たまたま祖母の家で見ていたドラマ「将太の寿司」の感動的なシーンで流れていたのを気に入ったのだ。そのシーンで涙を流すのを見た祖母が「類ちゃんがドラマを見て泣いている…」と感動していたのを覚えている。

南アに住んでいた頃にはラジオでヘビーローテーションされていたカリフォルニアのパンクバンド、オフスプリングの曲を聴いて夢中になり、彼らのCDをすべて揃えたり気に入った映画のサウンドトラックや友人のおすすめを入り口にスマッシング・パンプキンズやニルヴァーナといったグランジ、オルタナティヴロックを聴いたりするようになった。

一方、学校ではズールー語の歌を歌ったりマリンバのチームに選抜されたりして現地の音楽に親しんだ。

南アでは歌が驚くほど身近で、学校の教室や校庭などで誰かが一節歌えばすぐに皆が混ざってハーモニーを作り上げる。中でも国歌は皆に愛されていて、全員で厳かに合唱するのを聴くのは本当に感動的だった。

ちなみに南アフリカ国歌は一曲の中に5つの言語の歌詞が含まれていてとても面白い。

<つづく>

※三浦編集長 Vol.14(2017年7月発行)より転載