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もしも、あのとき……

 今回のエッセイは、親友が亡くなったときのことを綴ろうと思う。
 Hのことは過去のエッセイにも載せたことがあるので、読んだことがない方は先にこちらを読んでいただけたら嬉しい。


 私の親友は十五年前、亡くなった。彼は自ら死を選んだ。その動機の真実は、誰も知らない。だが、彼に最後にあった日のことを、私ははっきりと覚えている。

 東京から帰省した秋頃、親友のHは子どもを連れて私に会いに来てくれた。およそ二年ぶりの再会だ。娘はまだ一歳だというが、少しだけ彼の面影がある。私が抱っこすると、激しく泣いてしまった。その頃の私は抱っこの仕方すら、よくわからなかったのだ。Hはおもしろがって写真を撮った後、優しい眼差しを向けながら私から娘を受け取る。すると娘は、柔らかいクッションのようにHにくにゅっと身を委ねた。
 少しばかり談笑した後、私は東京へ帰るために駅に行かなければならなかった。またHも、駅の近くに奥さんを迎えに行くのだという。そのため、彼は私を車に乗せて駅に送り、その途中で奥さんも同乗することになった。その道中、徐々にHの表情が曇っていることに気がついた。彼は硬くなった顔のまま、自ら口を開いた。

「みっちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」

「どうした?」

「妻もこの車に乗ったら……お願い。 余計なことは何も言わないでくれ」

 あまり彼らしくない言葉だと思った。いつも堂々とした彼が、どこか萎縮しているように見える。

「え、余計なこと? 余計なことってなんだろう。でも、なんで?」

「いや、何もないんだけどさ。あの……昔の話とか、俺がどうだったとか、そういう話はしないでほしいんだ。妻の前では」

「ふうん。そうか、わかった。じゃあ気をつけるね」

「うん、ありがとう……」

 彼の隠したい昔の話ってなんだろう。確かに女好きではあったが……彼は正義感が強くて頼りがいのある、私が心から信頼している人物だ。何も隠すことなんかないじゃないか。
 駅の近くのカフェで彼の奥さんと合流した。私と彼女は初対面である。お淑やかな印象の綺麗な方だった。彼女が車に乗ると、Hは私を紹介してくれた。

「こいつは、俺の幼馴染で親友のみつるだよ。ほら、いつも話してる人」

「はじめまして。みつるです。Hがお世話になってます」

 奥さんは、私に恭しく挨拶した後、突然に質問してきた。

「Hって、どんな人だったんですか?」

 驚いた。Hはこの質問を予見していたのか。私は彼との約束どおり、当たり障りのないことを話した。その間、彼はただ何も喋らず、運転に集中するように前を見たまま黙っていた。笑うことはなかった。

 Hは私を車から下ろすと「ありがとうな」と、なぜか三回繰り返した。余計なことを言わなかったからだろうか。その行為の真意が私にはわからなかった。ただあまりにも不思議で、深い意味があるに違いないということは察することができた。

 Hが亡くなったのは、それからおよそ三か月後の十二月二十七日のことだった。二十八日に母から電話を受けて知ったのだ。

「う……うう……」
 
 珍しく、母が電話越しで泣いていた。

「どうしたの?」

「Hくんが……首を吊って死んだよ。すぐに帰っておいで」

 電話を切っても、私は涙なんて出なかった。とても現実には思えなかったからだ。三日ばかり前に電話で話したばかりではないか。動機は? とにかく、顔を見るまでは信じたくない。……だが、新幹線で移動する中、彼が紐に首をかける瞬間の姿が、くっついたチューイングガムのように頭に何度も浮かんで離れなかった。

 小さい頃、毎日のように訪ねていたHの家。座敷で蝋人形のように横たわっていた。彼を取り囲んでいた家族が、私に「ありがとう」と言って泣いている。私は、顔を見ても信じられなかった。ただ寝ているようにしか見えない。話しかければ返事が帰ってきそうだ。「おい、起きろ!」と声をかければ、「おお、みつる。来てくれたのか!」なんて言ってくれそうな気がしてしまう。嘘だ。嘘だ。こんなの嘘だ。私はHに何度も話しかけた。もしかしたら、あまりに執拗に話しかけるものだから、周囲の人からはおかしな人だと思われたかもしれない。だがしかし、彼の口も目も鼻も、体のどの部位も、ぴくりとも動くことはない。一方、私の鼻からは長い糸のような洟水が垂れていて、Hのお姉さんからそっとティッシュを渡される始末だった。
 Hの娘は母の腕に抱かれていた。何も状況がわからないまま、母親に甘えている。お父さんが亡くなったことなんてわかるわけがない。その純粋で幼気な姿を見ていると、胸が締め付けられるような思いがした。また私自身も、まだどこか夢でも見ているかのようで、現実として捉えることができないままでいた。

 数か月後、私は彼の家を訪ねた。幼い頃から家族ぐるみの仲だったので、彼の母ともよく話す機会があったのだ。仏壇に私のCDを置かせてもらい、手を合わせる。

 もう悲しまなくていいんだよ。
 もう自分を責めなくていいんだよ。

 Hの母と彼について、たくさん話をした。そこで衝撃的な話を耳にした。
 亡くなる数日前のこと。突然、実家に現れて、自分の部屋の掃除をし始めたという。そのときに大切な写真や日記、卒業アルバムまで捨てようとしていたから、Hの母は不思議に思って訊いたのだそうだ。

「そんな大切なものまで捨てちゃっていいの?」

 彼は「もういいんだ」と言って、あらゆる思い出、過去を捨ててしまったという。彼は自ら、自身に関わる情報をこの世から抹消しようとしていたのかもしれない。
 最後のときも、遺書はなかったという。

 だが、しかし。

 Hの母が遺品整理をしていたとき、彼の住んでいたアパートの箪笥で、ある物が見つかった。服の下に隠すように置いてあった小さな紙だ。そこにはHの筆跡で、
「いてもいなくても変わらない」
「うざい きもい」
「離婚 費用」
 そういった言葉が羅列してあったそうだ。その他にも法律相談事務所の電話番号が記載されてあったという。 
 そうか、Hは夫婦関係において、精神的にかなり追い詰められていたのか。そんなことは知らなかった。Hの母も知らなかったという。
 もしかしたら、その紙を処分しなかったのは、この苦しみの叫びを、死後に誰かに気づいてほしかったのではないだろうか。でも、それでは遅いのだ。
 このことが直接的な動機かどうかはわからない。真実は彼が持ち去ってしまった。だが、もしその言葉を誰かに伝えていたら……もし誰かが気づいていたら……彼は今も生きていたのではないか。
 最後に会ったあのとき、私は彼の異変に気づいていた。そのときに何か声をかけていたら……。

 もしも、あのとき……。
 もしも、あのとき……。

 頭の中でその言葉がぐるぐると渦巻くことが、今でも度々ある。

 亡くなる二日前のクリスマスの日も、彼は家族のためにケーキを買って帰ってきたという。彼の近くにいた周りの人たちも、誰も、彼が死を思うほど苦しんでいただなんて、気づいていなかった。
 私の帰り際に、Hの母が教えてくれた。

「Hが死んで消えてしまったって思うことが耐えられなくて……。Hは、私たちに溶けていったと思うことが、小さな慰めになっているよ……」

 もしも、あのとき……。

 その言葉は、私たちを苦しめる。でも、その言葉の意味を深く知るほど、今このときに全身全霊の愛を注げるのかもしれない。
 私たちは、「もしも、あのとき……」に傷つき、悲しみ、本当は守られているのだ。なぜなら、もしもなんて存在しないのだから。
 私たちに深い後悔と共に、未来への道標を与えてくれる。それは、限りなく祈りに近い懺悔であり、苦しむ心に残された、魂に寄り添う行為なのだろう。

 もしも、あのとき。
 だから、今このときを。

 お前と生きる。


【His song】

もう悲しまなくていいんだよと手を合わせる

もう自分を責めなくていいんだよと言い聞かせる

また最近 夢の中に出てきたお前は

あの頃のままさ 泣きたくなった

思い出話をしたら きっときりがないさ

幼稚園の頃から ずっと一緒だったから

ただ一つ 僕の人生で誇れることは

親友って呼べる人に出会えたこと

おじいちゃんになっても 遊べると思ってた

少し届かない風船のように

触れる気がして 手を伸ばし続けた

どうして この空の彼方に

どうして 僕は歌っているの

みんな遠くで輝いて見えた

今も消えないまま 僕に溶けてゆく


やさしい人ばかり傷つくのはなぜ?

箪笥に隠したメッセージを言ってくれよ

「お前の真っ直ぐな生き方が俺は好きだ」って

ありがとう 何度救われたことか

気づけなかったんじゃなく

お前が優しすぎたから

地球の端っこを歩く僕を

励ますお前が淵を歩いてた

どうして この空の彼方に

どうして 僕は歌っているの

どうして 歌わなきゃいけなくなる

どうして 生きなきゃいけなくなる

みんなお前のせいなんだよ 

あの日 僕は初めて夢を語った

それを信じてる お前がいる
 
 


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