三鶴

1986年、静岡県生まれ。エッセイを執筆。 高校卒業後、音楽の道へ。東京を中心に全国で…

三鶴

1986年、静岡県生まれ。エッセイを執筆。 高校卒業後、音楽の道へ。東京を中心に全国でライブ活動を展開。CDリリースやメディア出演の経験も多数。 現在、エッセイを中心とした創作活動を行っている。 2023年12月、初の著書「エッセイ・俳句集 海を眺めていた」上梓。

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好きって伝えたかったら、嫌いって書けばいい

 髪を切ってもらいながら、美容師さんの好きな音楽について聴いていたら、あるバンドの名前があがった。私はそのバンドのボーカルを少し知っている。だが、黙ってそのまま聴いていた。  美容師さんの話は、だんだんと熱が入る。笑顔で相槌を打ちながら、Sさんのことを考えていた。  Sさんは日本武道館で歌っていた。  偉大なミュージシャンたちも、昔の恋人も、彼に夢中だった。  人は彼を、カリスマボーカリストと呼んだ。  多少の贔屓はあるかもしれないが、その詩と歌声は他のアーティストとは明ら

    • たんぽぽの綿毛が飛ぶように

       深夜、居間に一人でテレビを観ていると、祖母が入ってきた。 「親方は? ねぇ、親方は?」  祖母の口から親方なんて聞いたことがなかった。思い当たる人もいない。何のことを言っているのかわからない。  こんなとき、どうすればいいのだろうか。  返答に窮する間に、祖母の注意は切り替わる。少しバランスの悪い歩き方で、暗い廊下を歩き、玄関の方へ向かっていった。   「親方はここにいないよ」  慌てて祖父母の寝室へ連れて行く。  深夜に居間にいると、しばしばこのようなやりとりをしな

      • 娘の朝に思い出す事など

         最初に断っておくが、今回のエッセイは、かなり親ばかな記録である。  ある程度はそのことを自覚しているつもりだが、思ったことをそのまま綴りたい。  保育園の送迎。  この時期に多くのパパ、ママを悩ませるものの一つだ。  私も漏れなくその一人である。  先日、二歳の娘が保育園に入園した。  保育園に送り届けるのは私の役目である。昨日から出勤前に娘と園に行く生活が始まった。  一日目、娘は泣かなかった。  私が保育士の先生に引き渡すと、抱っこされて教室に連れて行かれた。離れ

        • そんな人間だから、君は成功できなかったんだよ

           ナースステーションの前を通ったとき、後ろから声をかけられた。 「あの、私、今度結婚することになったんです」 「それはそれは。おめでとうございます」    若い女性看護師のIさんだった。呼び止めてまで報告するような関係でもない。だから何か話したいことがあるのだと、すぐに察した。 「彼は……Aなんですよ。みつるさん、知ってますよね?」 「あ、ああ……知ってますよ」  気まずい。もう話を打ち切りたかった。が、Iさんは続けた。 「Aがみつるさんは今どうしているのか、気に

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          繋ぎとめるもの、思いとどまらせるもの

           インドカレーが好きである。  特に好きなメニューはバターチキンカレーだ。チーズナンとサフランライス、そして野菜にオレンジ色のドレッシングも添えてあるのが最高である。  ああ思い浮かべるだけで唾液が分泌されてくる。ここ数年食べていないから、無性に食べたくなる。  東京に住んでいた頃、隣の駅近くに行きつけのインドカレー屋があった。  そこへ友人や恋人をよく連れて行き、夜遅くに一人で食べに行くことも多かった。頻繁に通っていたときは、週に一回はバターチキンカレーを味わっていたもの

          繋ぎとめるもの、思いとどまらせるもの

          万年初心者の料理

           料理が苦手である。  とは言っても二児の父であるため、休日に料理を作ることはある。でも、かなりの確率で失敗する。これはクオリティの問題ではない。料理として成立しているかどうか危ういのだ。簡単な材料や工程の少ないものでも酷いものである。  たとえば目玉焼きは卵料理の一つらしいが、卵を割ることに失敗しフライパンに殻を入れてしまうし、焼き加減もうまくいかず生っぽかったり、焦げてしまったりする。おまけに形もいびつで、皿に盛るときに白身が剥がれてしまうこともざらである。ある意味、初

          万年初心者の料理

          二十年付き合っている強迫性障害のこと

           強迫性障害をご存知だろうか。  私は自分がこの病気になるまで知らなかった。  そして、まさかこんなに長い付き合いになるとは思ってもみなかった。  強迫性障害を簡単に言うと、病的に極端なマイナスイメージが頭に浮かび、それを打ち消すために何度も同じ行為を繰り返す精神疾患である。  発症したのは、およそ二十年前。それから現在に至るまでこの病気と付き合っている。私の人生において強迫性障害でいる時間は、そうでない時間より長くなってしまった。  もうベテランの域になってきており、飼

          二十年付き合っている強迫性障害のこと

          死にたいと思ったことはありますか?

           過去に「報われる」について記事を書いた。  この記事にも書いたが、十八歳の頃、よく周囲の人に 「今まで生きてきて報われたことってありますか?」と質問していた。  同じ頃にもう一つ、問いかけていたことがあったのを、ふと思い出した。  それは、「死にたいと思ったことはありますか?」である。  この質問をすると、多くの人からこう言われた。 「死にたいって簡単に口にするな」 「生きたくても生きられない人のことを考えろ」 「神は乗り越えられる試練しか与えない」  言いたいこと

          死にたいと思ったことはありますか?

          成人式から18年後 ~二十歳の自分へ~

           先日、三十八歳になった。もう少しで四十になる。  成人式から、もう十八年経っているなんて、およそ二倍も生きたなんて、なんだか不思議な気分である。  中学生の頃、理想の成人式を強くイメージしていた。そのときに思い描いていた、二十歳の自分はこんなものである。 1.髪を明るく染めている。 2.歌とギターがプロ並みに上手い。 3.既にミュージシャンとして成功し、有名になっている。 4.上記の要因で人一倍目立つが、誰のことにも興味を向けない。  私がこのような二十歳を掲げていた

          成人式から18年後 ~二十歳の自分へ~

          「エッセイ・俳句集 海を眺めていた」出版!

          「エッセイ・俳句集 海を眺めていた」を上梓しました。  現在、Amazonで発売中です。  電子書籍:350円(kindle unlimited対応)  ペーパーバック(紙本):880円 ※お値段が高いですし、著者にとっても全然元は取れないのですが、それでも個人的に紙本をお勧めします!  出版に至るまで、なかなか大変だった。Kindle本の作成方法について全く知識がなく、パソコンも苦手。そんな自分が一から作成するのは、想像以上に骨の折れる作業だった。特にペーパーバックは多

          「エッセイ・俳句集 海を眺めていた」出版!

          怒られた父のクリスマス

           クリスマスを間近に控えたこの季節、街のいたるところがイルミネーションで彩られ、鈴のきらきらしたクリスマスソングが聴こえてくる。小さい子どもを持つ親はプレゼントやケーキの準備に忙しい。  この時期になると、よく思い出すことがある。  それはまだ私が小学二年生の頃、両親と兄弟三人でデパートに行ったときのことだ。  そのときもデパートは華やかにクリスマス一色で賑わっていた。  クリスマス限定のキャンペーンだったのか、ある一定の金額以上の買い物をすると券が貰え、くじ引きができると

          怒られた父のクリスマス

          Kindle本の出版計画 ~届けられなかった本~

          「先生の半生って、おもしろいことばかりだね。ねぇ、先生。先生の半生をもとに小説を書いてよ。俺、先生が書くものだったら読んでみたい」  私の職場であるホスピスの、患者Jさんからいただいた言葉である。 「いやいや、無理ですよ。僕なんかが書けるわけないじゃないですか。読む専門ですよ」  私は照れる気持ちを隠しながら返答した。  Jさんは、日本文学をこよなく愛し、私が病室を訪ねるといつも本を読んでいた。司馬遼太郎、遠藤周作、向田邦子、赤川次郎……様々な本がテーブルに積んである

          Kindle本の出版計画 ~届けられなかった本~

          ひたむきな、余りにひたむきな ~息子へ~

           息子の幼稚園の生活発表会を観に行ってきた。  今通っている幼稚園は園児がとても少なく、息子の所属する年少クラスは五人しかいない。園児の多様性に富みながらも、先生方の尽力のおかげで個性の発揮できる環境が整っている。以前の園で過剰適応になってしまった息子も、現在は徐々に自分らしさを表現できるようになってきているようだ。  生活発表会では先生と園児たちで作った歌や踊り、劇などを舞台で披露する。わが子は、大勢の前で何かを披露することは初めての体験である。息子はとても緊張しているよ

          ひたむきな、余りにひたむきな ~息子へ~

          台形の面積の求め方で人生が変わった話

           前回、高校の国語の授業について綴ったが、実はバリバリの理系人間である。  数学が得意で、今でも何か計算することがあると、頭の中で数字が立体的に浮かび上がってくる。  私が今の性格になったのは、小学五年生のときの算数の授業がきっかけである。  すべては台形の面積の求め方を発表したことから始まった。  台形の面積と言えば、(上底+下底)×高さ÷2という公式がある。  しかし、当時の意地悪な担任の教師は、この公式を使わずに解を求めなさいと指示してきた。  私はすぐにわかった。

          台形の面積の求め方で人生が変わった話

          「こころ」のすゝめ

           高校時代、授業は寝てばかりいた。という話を前回の記事の中に綴った。  しかしながら、少しだけ真剣に受けていた授業がある。  それは国語の授業で、夏目漱石の「こころ」を教材として扱っていたときだ。  それまで私には読書習慣はなく、文章を目で追う作業は億劫であると思っていた。  しかし、この「こころ」の心理描写があまりにも繊細でリアリティに溢れており、私の胸を掴んで離さなかった。ぐいっとその世界に引き込まれた。  この作品は、小説とされながらも、漱石の実体験ではないか、本当に

          「こころ」のすゝめ

          太陽に照らされた教室で笑っている

           私は高校時代の記憶が薄い。  楽しいことや辛いこともいっぱいあったはずなのだが、思い出せることが少ない。おそらく、私の人生の中で最も堕落した生活を送ってしまったからであろう。  しかし同時に、私の人生で誇れることは、この高校生活がきっかけであったこともまた事実である。  中学生までの私は典型的な優等生だった。三年間、学級委員を務め、「真面目」「正義感が強い」などとよく言われていた。しかし、私はそんな自分が好きではなかった。優等生を演じることに疲弊していた私は、不良の生徒た

          太陽に照らされた教室で笑っている