あの日、あの場所を通らなかったら
Takaちゃんと会ったのは、原宿駅の神宮橋で路上ライブをやっていたときだった。
神宮橋は路上ライブやコスプレの人気スポットである。ゴスロリファッションをした女性がたくさん聴いてくれている中、ギターを抱えた若い男性と小柄な女性が足を止めて聴いてくれた。曲が終わると、男性が「いいっすねえ」と笑顔で声をかけてきた。彼がTakaちゃんだった。
彼は当時の私と同じ二十歳で、歳下の彼女と手を繋いでいた。言葉は訛りが強くて、時々何を話しているかわからない。でも人柄も話し方も、とても愛嬌がある。後から聞いたところ、埼玉県の秩父に住んでいるらしい。
一方、彼女は路上ライブには興味がないようで、ひたすらTakaちゃんにくっついていた。彼が話をしているときも、後ろから抱きついたり頬にキスしたりと、人前でいちゃいちゃし放題。短いスカートで足を広げてしゃがんでいたため、パンツが見えている。目のやり場に困った。
Takaちゃんもライブをやりたいと話していたので、いつか二人でやろうと約束をし、連絡先を交換した。だが、その日の夜に電話をしたきり、連絡を取り合うことはなかった。
数カ月後、池袋駅で路上ライブをやっていると、見たことのある男性がこちらに向かって歩いてきた。Takaちゃんだった。スーツ姿の彼は、就活中であり、面接の帰りだったと言う。偶然の再会を喜んだ。
そのとき私の彼女も路上ライブを観てくれていたのだが、Takaちゃんは彼女の隣に座ると、「うわあ、めっちゃかわいい」と褒め始めた。彼女は、「それ以上言うと、彼が怒るよ。もう辞めて」と笑顔で対応する。私は演奏中に二人のやり取りを目の前で見て、苦笑いするしかなかった。
路上ライブ後、Takaちゃんを連れて、大戸屋でご飯を食べた。そこで、Takaちゃんは自ら、原宿で会ったときに一緒にいた彼女について語り始めた。
話はこんなところだ。
件の彼女とは、あの路上ライブの後すぐに別れた。これまでも彼女は、Takaちゃんのペットを殺害したり、キッチンの包丁を振り回したりと凄まじい暴力をふるっていたらしい。
耐えられなかったTakaちゃんの母親は、もう彼女を家に入れるまいと、彼女が家に来ても玄関の鍵を開けなかった。すると、窓ガラスを石で破壊され、警察沙汰になった。これをきっかけに、二人は別れることになる。
しばらくすると、Takaちゃんの家の隣にある空き地に、彼の名前の書かれた御札が貼られていることに気づいた。
丑三つ時、白い服を着た二人の女性が現れるようになった。彼女たちは、空き地までそろそろと歩いてくると、御札の前で拝んでいる。その後、Takaちゃんの家の前で手を合わせて、何かぶつぶつと唱えて帰っていく。その二人とは、彼女とその母親である。これが毎晩続いており、眠れなくなってしまった。
家庭の事情で、音楽の夢を諦めなければならなかったことも重なり、日々のストレスが大きく、今は何もする気にならないと言う。
私は彼が少しでも気分転換できるようにと、その後もよくスタジオに誘って一緒に曲作りをした。彼はドラムも叩けるため、ベースを弾ける友人も誘ってバンドを組んだりもした。
池袋駅で再会した後から、Takaちゃんはよくライブに来てくれるようになった。私のライブのお客さん繋がりで、彼はAYAと仲良くなった。彼女に惚れ込んでいるらしい。二人なら、いいカップルになれるかもしれない。結ばれてくれたら心から嬉しいと思った。
初デートの帰り、Takaちゃんから電話がかかってきた。AYAに激怒され、帰られてしまったと言う。さすがの彼も滅入ったようだ。本当はAYAに告白しようと思っていたが、彼女と付き合うことはできないと諦めた。が、その後も二人は友人として、よく一緒に出かけていた。
Takaちゃんは、私が東京から帰った後も、頻繁に連絡してくれていた友人の一人だ。彼はと言うと、ノイローゼになって仕事を辞めてしまっていた。しかし、大好きな音楽は続けており、ニコニコ生放送でささやかに弾き語りライブをしていた。私も音声だけだが、飛び入りで歌わせてもらったことがある。
私の曲をカバーしたいからと、コード譜を送るようお願いされていたことを、エッセイを書きながら、十二年ぶりに思い出した。
YouTuberを目指して、YouTubeチャンネルを開設したと連絡もあったが、すぐに更新を辞めてしまっていた。
あの日あの場所で、原宿駅でライブをやらなかったら。Takaちゃんが違う道を通っていたら。少し、違う人生だったかもしれない。運命なんて、そんな些細なものの連続だ。
初めて出会った路上ライブで「いいっすねえ」と言ったときの顔。あのいきいきとした顔と、訛りが強く愛嬌のある話し方で今も過ごしているだろうか。
パソコンのデータに入っている写真の彼と私が、こちらを見て笑っていた。
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