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共作小説【白い春〜君に贈る歌〜】第5章「永遠」①

 三月二十八日。年に一度の病院祭の日を迎えた。今年は、前島病院の創立百三十周年記念であり、例年より盛大に開かれることになった。

 僕は実行委員として、会場であるホスピスのホールを忙しく歩き回っていた。

 当日になってもスペシャルゲストは教えられず、開場時間になっても来ない。とても不安だ。誰かもわからない人物は、本当に来るのだろうか。

 会場には細長いテーブルが並べられ、その上に栄養課の調理室で拵えた焼きそばやたこ焼きが置かれている。その他にも、かき氷や綿飴を作って配っている。去年は僕が綿飴を作っていた。今年は薬剤課の担当だ。
 患者が何か食べるときは、担当の看護師が患者の嚥下機能や血圧、血糖値といった健康状態に支障はないか確認する。安全な食事を提供するため、仕方のないことである。
 いい匂いだ。僕もお腹がすいてくる。

 作業療法の作品展示ブースでは、一際大きな油彩画が人目を引いていた。多くのスタッフや患者、家族がその作品を観て感嘆の息を漏らしていた。
 山本さんの、岩の絵だ。
 実物は物凄い迫力である。この世に生まれる苦しさ、悲しさ、不思議、美しさ。そのすべてが詰まっているような気がする。
 山本さんの家族から、佐々木さんを経由してこの作品を渡してもらい、初めてタイトルを知った。
「命とは」である。
 そのとき、気がついた。岩があって、その隅に雑草が生えているのではない。彼女はきっと、雑草の存在、生命を描くために岩を描いたのだ。
 また、展示の準備をしているときに知ったことがもう一つある。
 佐々木さんが預かっていたデッサンの中には、破いたものを後ろからテープで繋げた継ぎ接ぎの絵があった。僕が山本さんに最後に会った、あのときの作品だ。
 その紙の後ろに文字が書いてあることに気づいた。テープの上に文字がはみ出している。気になって読んでみると、僕は言葉を失った。

「三浦先生と描いたデッサン。絶望の淵にいた私の一縷の光だった」

 上野さんは、直筆で原稿用紙に書いた詩を掲示した。「桜輪舞曲」と「新しい人生」の二編である。
「桜輪舞曲」は、最後の花見で作った、思い入れの強い一作。
「新しい人生」は「目指せ、ディラン」の年初目標で張り切って作った詩だ。

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「新しい人生」

そろそろ 列車が動き出す
見えるかい 新しい人生の景色
ありがとう もう行かなくちゃ
乗るべき列車を お間違いなく

君の新しい人生に 心からのエールを
どんな時も どうか幸せで
できれば君の 最終列車になりたい

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 この詩を初めて読んだとき、不思議な感覚がした。僕が十代の頃に作った曲の歌詞に、少し似ていたからである。しかし、その歌詞よりも、もっと多様な視点から別れと始まりが描かれている。
「できれば君の最終列車になりたい」とは、誰のことを言っているのだろう。彼女の表現力には、いつも感服するばかりである。

 一方、僕はと言うと、上野さんからの強い勧めもあり、俳句と絵を掲示することになった。
 拙句を筆で書いた短冊が並んでいる。

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

吾を呼ぶ言葉拙き初湯かな

石膏の貌に睛眸なき余寒

太陽の子等発光す夏の川

あなたなる風まじりけり滝の中

父となり父と眺むる螢かな

端居して句帖に空を挟み込む

去る家の鍵に秋日の差しにけり

川縁に子等のこゑ澄む玉兎かな

行く秋や齢を競ふ巨樹と父

一枚の落葉に宿る天つ日よ

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 絵の方は、山本さんの似顔絵はやはり飾ることができなかった。本人に確認できないこと、そして、彼女のために描いたものを、本人が見ていないのに展示することが僕にはできなかったのである。
 その代わり、以前描いた絵を追加で掲示することになった。

 その絵を、上野さんが佐々木さんに車椅子を押してもらいながら、まじまじと見つめていた。よく見ると、少し寂しそうな目をしている。

「上野さん。どうしたの?」

 彼女は絵から視線を外さずに答えた。

「この絵、三浦さんでしょう? 見たら胸がいっぱいになっちゃって」

 ただ何となくスケッチした、男女二人組の映画俳優たちの姿だった。

「……これは俺じゃないよ」

「いや、他にモデルがいるのかもだけど、これは三浦さんだよ。対象を何となく書いているうちに、三浦さんの思い出が詰まっていったんだろうな、と思う」

 確かに言われてみたら、男性側の横顔が少し自分に似ているかもしれない。さらに彼女は続ける。

「なんか絵を見ていたら、守りたい人がいたけど守れなかった、っていう気持ちが伝わってきてね……。絵の中の彼女は微笑んでるけど、幸せな一瞬を切り取って胸に閉まった、そんな感じがする。……三浦さんにも幸せになってほしいし、三浦さんが幸せにしたかった彼女にも幸せでいてほしい、って心から思うよ。何度でも言うけど、注いだ愛は絶対に無駄じゃないからね。自信を持って、前に進んでね」

 上野さんに過去の恋愛について話したことはない。……ああ、そうか。例のエッセイに書いた、昔の恋人のことを連想したのだろう。
 彼女に言われるまで自覚していなかったが、僕は知らないうちに、絵の中にいつかの自分を投影していたのかもしれない。
 彼女の豊かな感性から見える世界を、もっと知りたいと思った。

 午後になるとステージでは、佐々木さんたちホスピスの看護師たちが、流行りのアイドルグループの曲に合わせて、ダンスを披露していた。坂本さんは、ホスピス病棟唯一の男性看護師だが、センターでキレの良い動きを披露し、会場にいる病院のスタッフや患者たちを驚かせていた。
 他にも、介護医療院の病棟スタッフは入院生活を題材にした寸劇、事務部の合唱、医局の楽器演奏など、様々な演物が繰り広げられた。

 盛り上がりが最高潮になる中、司会を務めるスタッフがマイク越しに声を上げた。

「次は、スペシャルゲストの番です。今から準備しますので、少しお待ちください」

 突然現れた若い男性がギターを運び、セッティングを始めた。僕は、その使い古されたOvationのギターを知っている。
 なぜ、ここにあのギターがあるのだろう。あれは……まさか。いや、そんなはずはないだろう。
 僕の鼓動は高鳴った。手に汗を握る。少し震えていた。もう二度と会えないと思っていた。今の自分を見られたくないと思っていた。あの人だけには。

 若い男性は、スマートフォンで電話をした後、右手を上げる。すると、会場が静かになった。何が起こるのか、固唾を呑んで見守る。
 すると、ホールの手前にある、病棟のドアが開いた。革ジャンにハンチング帽子を被った金髪の男が入ってきた。病院には似つかわしくない風貌。指にまでタトゥーが入っている。
 皆、驚いたように振り返る。妙な緊張感があった。そこにいる多くの人が知っている人物だったからだ。
 すると、まさかの佐々木さんが大声を出した。

「Seiji〜!!」

 その声をきっかけに、会場は大きな歓声に包まれた。彼は一瞬だけにやりと笑って、目を細めながらステージに上がった。
 やはりSeijiさんだ。なんで彼がここにいるのだろう。それに、彼は病院が嫌いで、こういうイベントには絶対に出たがらないような人だ。いったいどういう経緯があったのか。

「お待たせしました! 最後はスペシャルゲストのSeijiさんです!」

 多くのスタッフも、自分の仕事を中断して、ステージ前にぞろぞろと集まった。
 彼は椅子に腰掛け、アコースティックギターを手にする。軽いストロークで音を確かめると、綺麗な音色が響いた。すると、MCはなく、そのまま、いきなり曲を弾き始める。彼のバンドで一番の人気のある曲だ。

 刺々しくも繊細で儚い声。
 まるで愛しい人に会った帰り道、見上げた夜空に浮かぶ星の光のように。
 どこまでも柔らかなナイフのように。
 この胸を突き刺す歌。
 そこにいる皆が、彼の歌に吸い込まれ、心を奪われているようだった。
 その後は、患者の年齢層に合わせて、昔のヒット曲のカバーを中心に歌った。
 
 近くにいた上野さんに呼ばれた。

「三浦さん、私もっと近くで観たい。連れてって」
 
 彼女は、喜びや興奮を隠せずに、笑みがこぼれている。車椅子を押して、ステージの近くに行く。Seijiさんを目の前した彼女の横顔が、あまりにも美しかった。
 そして、最後の曲の前、Seijiさんは口を開いた。

「今日ここに来たのは、ある女の子から手紙をもらったことがきっかけだったんだ。『私の人生の終わりが近づく今、最期のお願いがあります』って。そんなこと言われちゃ断れないだろう? でさ、この病院にレンがいるって聞いてね。おい、ちょっと出てこいよ」

 Seijiさんがホールに向かって呼びかける。

「私、死ぬ前に三浦さんの歌が聞いてみたかったな」
 
 また、あの言葉がこだまする。

 上野さん。
 僕を見ていてほしい。
 君に贈る歌があるんだ。

 僕は、歩き始めた。

 ステージに上がると、Seijiさんがこちらを見て、小さく笑った。鋭い眼光。こんなかたちで再会するとは夢にも思わなかった。
 握手を交わすと、大きな拍手が聞こえてくる。
 あなたは、待ってくれていたのだろうか。
 SeijiさんがMCで、かつて僕と歌った曲をやると言い出した。
 
 会場にいた人たちは、この状況をうまく呑み込めていなかった。
 
 あれ……。どういうこと? 
 なんでSeijiさんは、三浦さんのこと知ってるの?

 動揺する声が聞こえる。それもそのはず。僕がミュージシャンだったことは、誰にも話していなかったからだ。
 作業療法士、ミュージシャン、二つの顔がここで繋がってしまう。それは怖いことであった。
 でも、いいんだ。これが僕なんだ。

 僕がマイクを握ると、Seijiさんがギターを弾き始めた。
 彼の伴奏に合わせて歌う。
 歌詞やメロディは、しっかり憶えている。が、ちゃんと歌をうたうのはあまりにも久しぶりで声が出ない。音程も外してしまう。
 Seijiさんは少し口角を上げて、時々こちらに視線を向けた。

 ステージから、驚いたような様子でSeijiさんと僕を観ている人々が見える。
 その中に、上野さんを見つけた。
 泣いている。
 涙を流しながら喜んでいる。

 ああ、この姿が見たかった。
 
 上野さん。

 僕は歌の世界に入っていった。Seijiさんのコーラスも入り、曲はクライマックスに差し掛かった。

 そのとき。

 会場は騒然となった。
 看護師たちが慌てて、上野さんを病室に運んでいくのが見えた。


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