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レイラインを利用した古墳の被葬者の推定

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古代オリエントやエーゲ文明の都市や遺跡などと結ばれるレイラインなどから、古墳の被葬者を推定しました。
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#伊福部氏

温故知新(12)元伊勢 黒媛 笠縫邑 正勝吾勝々速日天之忍穂耳命 豊鍬入姫命 倭姫命 パレルモ ドラゴン・ライン 月読命 

温故知新(12)元伊勢 黒媛 笠縫邑 正勝吾勝々速日天之忍穂耳命 豊鍬入姫命 倭姫命 パレルモ ドラゴン・ライン 月読命 

 元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ神社・場所です。丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ) は、主祭神として彦火明命(ひこほあかりのみこと 饒速日命)、相殿に豊受大神、天照大神、海神、天水分神が祀られています。豊受大神宮(外宮)に奉祀される豊受大神は、須佐之男命と神大市比売との間に生ま

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温故知新(17)出雲建(品陀真若王 葛城襲津彦 倭建命) 五十瓊敷入彦命  建稲種命(狭穂彦王) 宮簀媛 白水瓢塚古墳 神功皇后(金田屋野姫命) 丹波道主命 武内宿禰 尾張氏 平群氏 

温故知新(17)出雲建(品陀真若王 葛城襲津彦 倭建命) 五十瓊敷入彦命  建稲種命(狭穂彦王) 宮簀媛 白水瓢塚古墳 神功皇后(金田屋野姫命) 丹波道主命 武内宿禰 尾張氏 平群氏 

 品陀真若王(ほんだまわかのおう)は、景行天皇の孫で、五百城入彦皇子の子です。3人の娘(高城入姫命(たかきのいりひめ)、仲姫命(なかつひめ)、弟姫命(おとひめ))を第15代応神天皇の妃とし、次女の仲姫命は大鷦鷯命(おおさざきのみこと 第16代仁徳天皇)を生んでいます。佐伯有清氏は、景行天皇 - 五百城入彦皇子 - 品陀真若王 - 仲姫命が本来の皇統で、応神天皇が仲姫命の入婿として皇統を継承したとみ

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温故知新(30)神功皇后 富雄丸山古墳 尾綱根命(尻綱根) 蛇行剣 ひひら木の八尋矛 倭讃(香坂王) 佐紀陵山古墳 倭珍(忍熊王) 五社神古墳

温故知新(30)神功皇后 富雄丸山古墳 尾綱根命(尻綱根) 蛇行剣 ひひら木の八尋矛 倭讃(香坂王) 佐紀陵山古墳 倭珍(忍熊王) 五社神古墳

 国内最大の円墳とされる富雄丸山古墳は、元伊勢籠神社と丹生川上神社上社を結ぶラインの近くにあり、ライン上には、彦坐王の墓と推定される桜井茶臼山古墳(外山茶臼山古墳)もあります(図1)。これは、富雄丸山古墳の被葬者と豊受姫命や彦坐王や丹生氏との関係を示している推定されます。

 モン・サン・ミシェルと富雄丸山古墳を結ぶラインは、弥生時代後期から末期の大風呂南墳墓群(京都府与謝郡与謝野町)、大呂神社(

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温故知新(19)一言主神(大長谷若建命) 倭讃(麛坂皇子 香坂王) 倭珍(忍熊王) 倭済(毗有王) 安康天皇(倭興 蓋鹵王) 雄略天皇(大長谷王 倭武 昆支王) 武烈天皇(武寧王 元恂) 葛城氏 秦氏 東漢氏 賀茂(鴨)氏 大伴氏

温故知新(19)一言主神(大長谷若建命) 倭讃(麛坂皇子 香坂王) 倭珍(忍熊王) 倭済(毗有王) 安康天皇(倭興 蓋鹵王) 雄略天皇(大長谷王 倭武 昆支王) 武烈天皇(武寧王 元恂) 葛城氏 秦氏 東漢氏 賀茂(鴨)氏 大伴氏

 第21代雄略天皇の大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけのすめらみこと) は、稚足彦尊(成務天皇)や、品陀真若王と同様に、名前に「わか」が含まれることから、若くして非業の死を遂げたと思われます。雄略天皇の名前には、『古事記』では、大長谷若建命(おおはつせわかたけのみこと)と大長谷王(おおはつせのみこ)がありますが、『古事記』で即位前の雄略天皇に対してみられる「大長谷王」という表記は、異例とされていま

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温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)

温故知新(48)音羽古墳群 聖徳太子 神八井耳命 天足彦国押人命(天押帯日子命 和邇日子押人命) 神皇産霊尊(神産巣日神 神魂命)

 モロッコのアラビア語での正式国名は、アル=マムラカ・アル=マグリビーヤで、「日の没する地の王国」を意味しているのだそうです。聖徳太子が遣隋使に託して中国の隋の煬帝に宛てた国書に記された「日出處天子致書日沒處天子 無恙云云(日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや)」が連想されます。オリエントは、ラテン語で「日が昇る方角」を意味します。

 モロッコのマラケシュの近くにあるクサール・

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温故知新(20)継体天皇(丹生麿) 伊須流岐比古神社 大虫神社  若狭彦神社 白山比咩神社 今城塚古墳 丹生氏 息長氏 物部氏

温故知新(20)継体天皇(丹生麿) 伊須流岐比古神社 大虫神社  若狭彦神社 白山比咩神社 今城塚古墳 丹生氏 息長氏 物部氏

 『古事記』、『日本書紀』は、ともに第26代継体天皇(在位:507年-531年)を応神天皇の5世の子孫と記しています。『釈日本紀』の引用する「上宮記一云」という史料によると、応神ー若野毛二俣王ー意富富杼王ー乎非王ー汙斯王(彦主人王)ー継体、という系譜になります。丹生氏系図にある「大樹」(品陀真若王と推定)の子の「伊集岐」は、応神天皇の后の仲姫命と推定され、伊集岐ー長日―椋垣―田迷―峯主―丹生麿、と

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