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大石洋満/プログラミング勉強中/舞台業界の価値観をアップデートするコンテンツを作るため…

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大石洋満/プログラミング勉強中/舞台業界の価値観をアップデートするコンテンツを作るために、転職活動してます

最近の記事

舞台業界の課題「思考力」

朝voicyを聴き回していたら、GLOBISがパーソナリティのページを見つけたんですよ。 テーマが「ゼロベースで思考できる人」 タイトルを見て、 ざっ、とできてる人できていない人が頭に思い浮かんだんですよね。自分の中ではできてるなあと思った人が経営者だったり会社関係の人、できていないと思った人が芸能の人たちでした。 それで舞台業界の課題なんじゃないかなと考えたのが 思考力のトレーニングが必要なんじゃないかということです。 そのvoicyではゼロベース思考の一例とし

    • 「命」と「時間」

      かけがえのない物ってなんだろう思い出だったり誰かを思い浮かべたり過去を考えたりもすれば、感情(エモさ)とか努力することとかの精神的なことを考えたりする。一番意見が多いのは生命に関わる概念じゃないかと思います。 「命」はもちろんそうでなんですが、僕はそれに加えて 「時間」 が当てはまると思っています。 つまり、誰もが等しく持っていて絶対に再度手に入らない「事実」はこの2つだけだと思っています。極論お金で絶対に変えられない物(=代替が聞かない物)だからです。 そして、だ

      • プログラミング以外でインプットしたこと

        200日くらい毎日続けて 100日くらいやめて見て インプットした学術的な物、文化的な物、芸術的な物や それに対する自分の考え方をまとめることで 人に伝えやすくなる アンテナが伸びる ただ、仕事の片手間で急かされるように、むりにやると無益な記事になるから むりにやる必要はないけど 毎日書くつもりで 再開します。

        • 炎上する考え方?ゲーム規制とフェミニズム(考えの整理)2384文字。

          自分自身に心当たりがあることでもあるんですが、人は信じていたものが間違いだとなかなか受け入れられない生き物で、間違いを指摘された時に図星という皮肉がありますが防衛体制をまず取ってしまうんですよね。特に村社会で交渉技術が生活習慣にない日本人の文化では防衛体制が顕著であると思います。テクノロジーとフェミニズムが歴史から見ても毎回繰り返されているわけで、香川のゲーム規制条例騒ぎの源は政治と世間のズレにあるんですがそれは特別新しいことではなく20年前はゲーム脳になるとかそれ以前ではテ

        舞台業界の課題「思考力」

          【西洋演劇史#22】スペイン演劇

          スペインの演劇が確立したのは、天性の怪物と言われていた劇作家ローぺ・デ・ベーガの優れた作品があったからで、彼は1200の劇を書いたと言われている(そのうちの750篇は現存している)彼の作品は自由な詩のように書かれていて、ありとあらゆる主題、宗教、歴史、牧歌、社会(カトリック的)を描いた。 その社会は、王、貴族、平民の三階級をはっきり分け、王は貴族の助けを借りて平民を統治するが、統治者には権利の他に義務があり、平民には義務の他に権利がある・・・これが「フエンテオベフェーナ」の

          【西洋演劇史#22】スペイン演劇

          【西洋演劇史#21】

          イギリスの劇場とスペインの劇場は並行して発展していた。スペインの演劇史の初期で発展したのは自国の宗教劇、民間の世俗的な笑劇、セルリオの遠近法のような街頭を背景にしたルネッサンスの喜劇で、それは他ヨーロッパ諸国と類似している。 スペインにおいて近代的な意味で最初に演劇人となった一人に「ローぺ・エ・ルエダ」がいる。彼は俳優兼劇作家兼支配人で短い笑劇をたくさん書いた。それは真面目な劇の幕間に観客を楽しませる目的のもので彼が劇団とともに巡業した貴族の邸宅の広間や宿屋の中庭(コラール

          【西洋演劇史#21】

          【西洋演劇史#20】イギリス演劇の没落

          シェイクスピアの時代が過ぎると、イギリスの演劇は低迷していく。大衆演劇の設計や上演に新しいものが加わることがなく、演劇芸術の分野で人々の興味を駆り立てるものがなかった。最後の建物は「運命座」で、1600年に建てられたが、犬とクマを戦わせる熊園を劇場に転用したに過ぎなかった。私設の劇場には観客がいたものの、宮廷で上演された演劇は王や側近のためのものであった。 清教徒革命が達成されると、最初に演劇が被害を被った。劇場は閉鎖され、上演は禁止され、俳優たちは軍隊に入るか、他に生計を

          【西洋演劇史#20】イギリス演劇の没落

          【西洋演劇史#19】シェイクスピア②〜他の劇作家

          シェイクスピアと同年代に活躍したクリストファー・マーロウ、彼はそもそもシェクスピアと同い年であり、演劇も彼より早く始めていて、英国演劇しの新時代を開いたとも言える人物だ。マーロウは劇作家であると同時に詩人であり、弱強五歩格を使いこなしシェイクスピアに詩劇の道を切り拓かせた。30歳の誕生日を前に居酒屋の口論で刺し殺されていなければシェイクスピアと肩を並べたかもしれない。 また違った種類の劇作家にベン・ジョンスンがいた。彼は名門ウェスミンスターで教育を受けながらも継父の方針によ

          【西洋演劇史#19】シェイクスピア②〜他の劇作家

          【西洋演劇史#18】シェイクスピア①

          シェイクスピアの作品が印刷されていたことは非常に幸運なことであったが、原稿は現存せず、シェイクスピア本人に関することはほとんど分かっていない。 彼が生まれたのはおそらくイングランドの中部、ウォリックシャーのストラトフォード・アポン・エイヴォンで、18歳でそこでアンハサウェイと結婚し、ロンドンに出てきた。 ロンドンでマジは俳優となり、そして劇作家となり、地球座の株主となった。演劇で成功を収めてストラトフォードに家を買い、1616年に息を引き取った。娘は二人いたが、ストラトフ

          【西洋演劇史#18】シェイクスピア①

          【西洋演劇史#17】劇団の様子

          1576年に最初の劇場「ザ・シアタ」が建てられてよりイギリスで芝居専用の劇場が次々と生まれていく。カーテン座、バラ座、白鳥座、地球座、運命座、希望座である。当時の劇場については現在も再建されていてもう記憶に古いものではないので割愛する。 エリザベス朝の劇場に出演した俳優は皆、貴族の保護下に置かれていた。というのも、主人のいない俳優は「浮浪者」として差別されていたからだ。シェイクスピアは宮内大臣のお抱え劇団員であり、他にも海軍大臣のお抱えの関係者もいたりする。劇団を管理する方

          【西洋演劇史#17】劇団の様子

          【西洋演劇史#16】エリザベス朝の演劇ーシェイクスピアー

          コメンディアデルラルテによって近代ヨーロッパで初めて完全な劇団が組織されたイタリアで、書き割りやプロセニアムアーチが備わった屋内劇場の発展の下地ができた。 この頃イギリスではシェイクスピアが登場し、古典劇と比較にふさわしい現代演劇作家を提供を提供できる特権を持つことができていた。イギリス・ルネッサンス最初の喜劇「レイフ・ロイスター・ドイスター」がイートンとウェントミンスターの学校長によって学生の上演用に書かれていた。それから10年後の1562年には「ゴーホダック」という悲劇

          【西洋演劇史#16】エリザベス朝の演劇ーシェイクスピアー

          【西洋演劇史#16】

          全盛期のコメンディアデルラルテほど「演劇的」な集団はなかっただろう団体は全て俳優が背負っていて、戯曲、文学によるところがほとんどなく、自分たちで俳優を育成し、地位を築き上げ、自身の衣装や道具をもち、移動式舞台を持って巡業したのである。 一座は少なくて2名、多くて25名くらいの俳優で構成され、才能のないものは田舎で、才能あるものは宮廷に招かれた。そうしていくうちに 役は各地で変貌を遂げていくアルレッキーノ、コロンビーナ、パンタローネは19世紀イギリスのパントマイムにおけるハ

          【西洋演劇史#16】

          【西洋演劇史#15】現代演劇の祖、コメンディアデルラルテはどんな劇だったのか

          コメンディアデルラルテの俳優は、常に同じ役を演じる俳優で構成されていた。それはいわゆる役柄に合わせての配役し、その役に埋没していって個性を失っていくというものではなく、生涯を通じて一つの人物を構成する仕事であった。多くの場合は俳優は自分の名前を捨て役柄の名前をつけ、その役柄を自分自身のものになるようにした。コメンディアデルラルテでは仮面をつけており、それぞれの役柄の仮面で何を演じているのかわかるのだが、基本的に一座を移るということはなかった。また、年齢によって年配役をすること

          【西洋演劇史#15】現代演劇の祖、コメンディアデルラルテはどんな劇だったのか

          【西洋演劇史#14】コンメディア・デルラルテ

          偉大な劇作家こそいなかったが、劇場建築と舞台背景、オペラバレエ(バレエはイタリアの宮廷でのダンスから誕生した)を同時に発展させたイタリアは、近代演劇の発祥地と考えてもいいだろう。 ここからシェイクスピアの登場に当たるエリザベス朝の時代の間に、イタリアでの「演劇の劇団化」が起こる。コンメディア・デルラルテこの形式は劇作家よりもむしろ俳優に依存している。 二人の喜劇俳優だけの掛け合いから、数多くの俳優が登場する本格的な劇に至るまで行い、それでいて筋を壊さない程度に台本があった

          【西洋演劇史#14】コンメディア・デルラルテ

          【西洋演劇史#13】オペラ劇場の誕生

          オペラはバレエ同様、その歴史を追いかけていくとあまりにも道に逸れてしまうので割愛していくが、演劇史においても避けては通れない。 神話や伝説を主題とし、言葉が主要性を占めたところに音楽・歌が乗っかる・・・音楽が最も重要な新しい芸術だった。それはイタリアから西ヨーロッパへ爆発的に広がっていき、圧倒的力を持つようになる。 最初の舞台設計図の本を出したセルリオは、遠近法による3種類の舞台装置を生み出した。そしてそれはその後400年全ヨーロッパの舞台装置家の基本概念となるものになる

          【西洋演劇史#13】オペラ劇場の誕生

          【西洋演劇史#12】イタリア・ルネッサンスの演劇

          中世の演劇は14世紀に頂点に達し、15世紀にはルネッサンスの衝撃で衰退が始まった。 1453年にトルコ人によってコンスタンチノープルが落ち、すべからく芸術は影響を受けて変質する。 古典を模範にとったイタリアの聖劇の後援者は不利な立場に追い込まれ、パリでは宗教劇は禁止、イギリスでは宗教改革が政治と結びつき、宗教劇の終結がもたらされた。宗教劇の遅咲きであるスペインの1765年に禁止された。 現代の劇場設計の始まり古典劇が見直されることで、中世の舞台は屋外屋内であっても上演に

          【西洋演劇史#12】イタリア・ルネッサンスの演劇