【西洋演劇史#14】コンメディア・デルラルテ

偉大な劇作家こそいなかったが、劇場建築と舞台背景、オペラバレエ(バレエはイタリアの宮廷でのダンスから誕生した)を同時に発展させたイタリアは、近代演劇の発祥地と考えてもいいだろう。

ここからシェイクスピアの登場に当たるエリザベス朝の時代の間に、イタリアでの「演劇の劇団化」が起こる。

コンメディア・デルラルテ

この形式は劇作家よりもむしろ俳優に依存している。

二人の喜劇俳優だけの掛け合いから、数多くの俳優が登場する本格的な劇に至るまで行い、それでいて筋を壊さない程度に台本があったものの、全く即興でそれは演じられた。書付を覚えたらどんな状況でも対応できるような長い決まり文句があったが、比較的真面目な若い恋人や学者ぶった法律家役が扱い、対して(この演劇の最も人気ある部分を作り上げている)滑稽な召使い役「ザンニ」には”おかしみ”を観客に与えるために書きつけは少なかった。ただし、ザンニは「ラッツィ」と呼ばれる喜劇的仕草や「ブルレ」という現実的な冗談を含む長い演技と一般的冗談など多様な技術が必要であった。ラッツィとブルレは俳優が出来るだけ即興でできるよう余裕を与えてあった。ザンニは、上演の中で結局は筋書きに戻るという条件で、好きなだけ定められた筋から離れて劇の大筋だけを撫でていくことが許された。つまり、それには高度の熟練と知識が必要であった。

その演技者たちは、舞踊手、歌手、軽業師、低級な喜劇俳優、道化芝居(マイム)と無言劇(パントマイム)の俳優の特質を、超高度な体と心の機敏さを兼ね備えながら持っており、彼らに匹敵するものはいないプロの「集団」となっていった。



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