【西洋演劇史#12】イタリア・ルネッサンスの演劇

中世の演劇は14世紀に頂点に達し、15世紀にはルネッサンスの衝撃で衰退が始まった。

1453年にトルコ人によってコンスタンチノープルが落ち、すべからく芸術は影響を受けて変質する。

古典を模範にとったイタリアの聖劇の後援者は不利な立場に追い込まれ、パリでは宗教劇は禁止、イギリスでは宗教改革が政治と結びつき、宗教劇の終結がもたらされた。宗教劇の遅咲きであるスペインの1765年に禁止された。

現代の劇場設計の始まり

古典劇が見直されることで、中世の舞台は屋外屋内であっても上演には適さないことが判明した。当時の劇場建築家たちはローマ時代の建造物の原理を適用した。劇においてはエウリピデスの行き過ぎた悲劇やテレンティウスのような親しみやすい喜劇が人気となり、アイスキュロスなどの真面目な劇は好まれなくなった。この流れはイタリアより各地方へ広まっていき、土地ごとに同化していった。

ルネッサンスがもたらした劇場改革は

1 プロセニアムアーチの劇場機構

2 背景画の発達

にある。

多くの点で古典演劇に関するルネッサンスの概念が間違っていたのだが、それでもこの改革は後の時代に受け継がれていく、現代の劇場の出発点と言えるだろう。ただし、中世的なしきたりなどが失われたわけではなく、ハウスや、小屋(ブース)、教養人への芝居のためにラテン語を使われたり、循環劇は一直線に装置が並んでいたが、それを三面に突き出す一つの装置で、場面も4つに減らされた。

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