【西洋演劇史#16】エリザベス朝の演劇ーシェイクスピアー

コメンディアデルラルテによって近代ヨーロッパで初めて完全な劇団が組織されたイタリアで、書き割りやプロセニアムアーチが備わった屋内劇場の発展の下地ができた。

この頃イギリスではシェイクスピアが登場し、古典劇と比較にふさわしい現代演劇作家を提供を提供できる特権を持つことができていた。

イギリス・ルネッサンス最初の喜劇「レイフ・ロイスター・ドイスター」がイートンとウェントミンスターの学校長によって学生の上演用に書かれていた。それから10年後の1562年には「ゴーホダック」という悲劇が、法学院の学者によって作られた。この劇は仲間の学者たちがエリザベス女王の御前で上演される目的に書かれたり、それは教養ある人向けに書かれた素人作品であるが、対して一般市民に人気があった幕間狂言も発展していった。この幕間狂言が上演された中で貴族がお抱えの家族として迎えていた俳優のグループがあり、それがやがてイギリスでの職業俳優の誕生になっていったのである。

この上演においては人気の悲劇喜劇やイギリスの歴史物語を聖書物語のように挿話風の手法で描いた「長編の年代史劇(クロニクルプレイ)」であり、舞台は宿屋の中庭に作られたのだが、(優れた劇場であった)俳優と劇作家が安定した条件を伴った専用劇場が必要であった。そして

ロンドンにほぼ専用と言える劇場が最初に建てらた。その大工のジェームズ・パーピッジは俳優でもあり、演劇のために生まれたような人物で、その次男のリチャードは、イギリス最初の主演俳優として「ハムレット」「リア王」「オセロー」「リチャード三世」の役を創造、長男はその弟のマネージャーとしての役割を果たした。

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