【西洋演劇史#17】劇団の様子

1576年に最初の劇場「ザ・シアタ」が建てられてよりイギリスで芝居専用の劇場が次々と生まれていく。カーテン座、バラ座、白鳥座、地球座、運命座、希望座である。当時の劇場については現在も再建されていてもう記憶に古いものではないので割愛する。

エリザベス朝の劇場に出演した俳優は皆、貴族の保護下に置かれていた。というのも、主人のいない俳優は「浮浪者」として差別されていたからだ。シェイクスピアは宮内大臣のお抱え劇団員であり、他にも海軍大臣のお抱えの関係者もいたりする。劇団を管理する方法は様々だった。単純に劇場管理者に賃金を払って、給料を受け取るというものや、シェイクスピアは俳優が、劇場、後見用の台本、衣装、小道具を所有し、各人が収益の中から分配を預かるという株のような方式をとっていたのだ。これはコメンディアデルラルテの運営とよく似ている。

当時の舞台にはギリシアと同様に女性は出演せず、体のほっそりした少年が、先輩の弟子となりジュリエットやロザリンド、ヴァイオラ、ポーシャを演じた。これに対してジュリエットの乳母やクイックリー夫人は一座の喜劇俳優が演じ、イタリア同様に、歌と踊りができ、時には楽器の演奏もこなさなければならなかった。それは音楽が劇の重要な役割を占めており、踊りながら歌で会話が取り交わされるジグダンスは大変に人気があったためだ。また、道化師も非常によく登場、ザンニのようにいつも即興的に演じられていた。シェイクスピアの台本に出てくるよくわからない言い回しには、即興を台本に取り入れたものもあるのだろう。

そんな台本は財産としても貴重なものなので、各劇団が厳重に保管し、現代にほとんど綺麗なまま残されることになる。

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