【西洋演劇史#16】
全盛期のコメンディアデルラルテほど「演劇的」な集団はなかっただろう
団体は全て俳優が背負っていて、戯曲、文学によるところがほとんどなく、自分たちで俳優を育成し、地位を築き上げ、自身の衣装や道具をもち、移動式舞台を持って巡業したのである。
一座は少なくて2名、多くて25名くらいの俳優で構成され、才能のないものは田舎で、才能あるものは宮廷に招かれた。そうしていくうちに
役は各地で変貌を遂げていく
アルレッキーノ、コロンビーナ、パンタローネは19世紀イギリスのパントマイムにおけるハーレィクイン、コロンバイン、パンタルーンに。
プルチネルラはフランスのポリシネル、イギリスのパンチネロそして操り人形パンチ。ペドロリーノは優雅なピエロになり、19世紀にパリで恋煩いに嘆くピエロになり、イギリスの海岸地方で陽気で社交的なピエロになった。
また、コメンディアデルラルテの登場人物はイタリアの演劇が衰退した後、フランスで大切に演劇に取り入れられてこのように近代にまで影響を与え続けたのである。
他にもバレエの道化はもちろん、チャップリンの所作を始めありとあらゆる「喜劇的道化」として演劇のいたるところにこのザンニ(召使い)は生きている。
だが、というより、喜劇的、笑劇的なものが、人間の中で内在的にある体質だから後世の喜劇的所作が似ているのかもしれない。確かなことは、ヨーロッパの笑劇の道化師全てにザンニの影響が見出せるということだ。
その道化師たちのファーストネームは「ジョヴァンニ」
ザンニは、ジョヴァンニの崩れた形なのかもしれない。
そのように影響を与えたコメンディアデルラルテも、17世紀の終わりまでに衰退してしまった。
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