【西洋演劇史#20】イギリス演劇の没落

シェイクスピアの時代が過ぎると、イギリスの演劇は低迷していく。

大衆演劇の設計や上演に新しいものが加わることがなく、演劇芸術の分野で人々の興味を駆り立てるものがなかった。最後の建物は「運命座」で、1600年に建てられたが、犬とクマを戦わせる熊園を劇場に転用したに過ぎなかった。私設の劇場には観客がいたものの、宮廷で上演された演劇は王や側近のためのものであった。

清教徒革命が達成されると、最初に演劇が被害を被った。劇場は閉鎖され、上演は禁止され、俳優たちは軍隊に入るか、他に生計を見つけるしかなかった。そしてそれは1660年までロンドンでは公式に劇場のない状態が続くのだった・・・。

イギリスの演劇が18年もの間劇場を持たなかった衝撃から立ち直るには長い時間が必要であった。人々は演劇を見るという習慣を失い、年配の俳優たちは跡形もなく消えていく。

1660年に劇場が再開した時でも強い継続意識はなかったのである。

だが、フランスやその経由のスペインとが、新しいイギリス演劇に大きな影響を与えることになる。

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