みたにんに

随に筆る

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最近の記事

どうでもよさを伝えることはできない

どうでもいいと思ったことを誰かに伝えたい。 もうホントにどおおおおおでもいいんだけど、このどうでもよさを分かって欲しくて 伝えたい。でも、どうでもよさを伝えることはできない。 なぜなら、伝えてしまったが最後、「関心あるじゃん、どうでもよくないじゃん」ということになってしまうからだ。 本当にどうでもよければ、何のリアクションもないだろう。無だ。 「どうでもよいいいいい!!」と思わされた時点で、関心を持ってしまっている。吸い寄せられている。 ほら、だって、どうでもいい

    • なぜ外見で判断するのか?中身を知らないからだ

      外見と中身どっちが大事かと問われれば、どちらも大事だと答えます。 正確に言うと、外見と中身は影響し合うものなので、どちらかが良ければどちらも良くみえるということになります。 外見が良ければ自信が付き、中身に余裕ができる。外見が良い人は中身を期待されるハードルも高くなるので、それを感じ取れる人は必然的に中身を磨きます。 中身が良ければ笑顔が増え、外見が豊かになります。中身が良い人は表情が良く、ポジティブな感情を見た目で表現できるので、外見よりも良い印象を与えます。 なの

      • 本を読むようになって変わったこと、7つ

        この世には二種類の人間がいる。本を読む人間と、読まない人間だ。 本を読む人間になってから8年。普段読んでる量は一日数十ページと少なく、「本を読む人間」と名乗っていいか微妙なところですけど、少なくとも0ではないです。読んでいます。本を。 本を読むようになって変わったことは7つあります。 1. 大事なことをメモするようになった本を読んでいて琴線に触れた部分、「これは名言だ…!!」と思ったことはとにかくメモするようになりました。覚えたいし、身に着けたいですからね。 メモする

        • 自由であることの不自由さ

          自由であることは、無限にある選択肢の中から一つを選べと言っているようなもの。それでは無限に考えてしまい、動けず、不自由になる。 もし、いきなり絵を描くことになり、「さあ、自由に描いてください」と言われたら、 お題をくれーーーーー!!!!! と思ってしまいます。 何でもそうです、と、拡大解釈の暴論にするつもりはないのですが、自由って、自由過ぎると思うんです。なんか、力こそパワーみたいな文章になっちゃってますけども。 うまく言えないので、もっと例を出しますね。 例えば

        どうでもよさを伝えることはできない

          全裸で書け

          noteを始めて18日目になりましたが、どうにも最近思うところがあります。 「小綺麗に書こうとし過ぎている」 こう、なんというか、ちゃんとした服を着ようとし過ぎというか、そう、例えるならアレです。 もう少しだけ全裸に近づいた方がいい。 別に完全に全裸になれというわけではありません。少し近づけばいいと思うんです。全裸に。(ん?ということは、全裸ではなく、半裸になる?) 袖をまくったとしましょう。 これは全裸に近づいたと言えるでしょう。いや、待てよ、よくよく考えたら、

          全裸で書け

          自信がないという自信がある

          自信がないから○○できないという人がいます。そういう人は、ただ自分にはできないということを信じているだけです。つまり、自信がないという自信があるということですね。なんだかこんがらがりますね。 自信がある人も、ない人も、単に信じているものが違うだけです。思い込みといった方が近いかもしれません。 自信がある人は、自分はできると思い込んでいます。 自信がない人は、自分はできないと思い込んでいます。 では、何かを達成するために必要なのはどちらでしょうか? どちらも必要ないと思

          自信がないという自信がある

          知らないことを知る喜びは一度だけ

          映画、音楽、マンガ、本、動画。 新しいものは次々に出てきますが、見れば見るほど「これはアレに似てる」とか「これはこういう展開になるだろう」といったような、経験による考察や予想をついついしてしまいます。 もちろん、それを裏切ってくるのがすごい作品になるのですが、知れば知るほど、「新しいものを純粋に楽しめなくなってる」ような気がします。 知らないことを知る喜びは一度だけしか経験できなくて、同じものは二度とない。不可逆。 うーむ、果たして本当にそうでしょうか? 友達か

          知らないことを知る喜びは一度だけ

          断られるのが怖くて誘えないけど、誘いは断っている

          誰かをご飯に誘ったりすることが苦手です。 全く何も気にせず誘える相手もいますが、多くの場合は「迷惑なんじゃないか」と考えてしまいます。迷惑かどうか知るためにもとりあえず誘ってみればいいのに、誘いを断られること自体が怖いんですよね。 そもそも、どうして「相手にとって迷惑」だとか「誘いを断られる」ということが前提なのでしょうか。 それは、「自分が断る人間だから」です。 よくよく思い出すと自分は、相手がせっかく誘ってくれたのに、その誘いを断ってしまうことがありました。 大

          断られるのが怖くて誘えないけど、誘いは断っている

          劣等感が強みになるとき

          劣等感は向上心とセットになっている。人より劣っていることを意識し続けた結果、いつの間にか人より優れてしまっていることに、本人はまだ気づいていない。 劣等感。人より劣っている部分、弱点、短所。 なんとなくネガティブなイメージがあるので、劣等感を持つこと自体が悪いことのように感じがちですが、劣等感が強みになる時があります。 劣等感があるということは、そこを変えたいという向上心も一緒に持ち合わせていると思うんですよね。 もし、自分が人より劣っていることを認め、許せる人であれ

          劣等感が強みになるとき

          好きでいつづけるために

          何かを好きでいつづけると、必ず飽きる時が来る。ずっと同じものを好きでいたいなら、自分が変わり続ける必要がある。そして、忘れることも。 好きな食べ物は何かと聞かれたら、カレーですね。毎日カレーでもいいと思っていた時期もあります。実際は、毎日カレーを食ったら絶対飽きると思います。ものすごく当たり前のことですけど。 カレーに限らず、好きなものはずっと変わらないと信じていたいけど、どうやら「飽き」というのはどんなものにも必ずありそうです。 同じことを繰り返すと、人は慣れます。そ

          好きでいつづけるために

          もしかしてあの人の接客、毎日あのクオリティ?

          先日、まあまあな高級ホテルに泊まった時、フロントの方が笑顔で、優しく、とても丁寧に対応をしてくれました。 住所を書いた時に、その方の地元と一緒だったみたいで、「私もなんです!」と気さくに喜んでくれたんです。 ふと思ったのは、自分が逆の立場で、同じような振る舞いができるかどうか。 自分ならば、ほぼ間違いなく、どこかにぎこちなさが出ます。取り繕ってる感が否めないはずです。 訓練次第でそれはできるようになるのかもしれないですが、僕はもう一つの可能性に思い至りました。 この

          もしかしてあの人の接客、毎日あのクオリティ?

          目標は高く、課題は低く

          課題は、目標にたどり着くための階段である。階段が高すぎれば登れないが、低すぎればいつまでも目標にたどり着かない。 目標は高く持て、と偉大なる先人達に言われてきましたので、いつも目標は高く持ちたいと思っています。ただ、ついつい自分の力量を超えた目標を設定してしまいがちです。 もちろん、今の自分にはできないことを目標にすることで、それを達成した時に成長できるという理由から、目標は高く持て、と言われるのだと思います。しかし、高く持ってしまった目標を、達成できた憶えがありません。

          目標は高く、課題は低く

          時間が無い時は時間を測ればいい

          時間が無い時は、時間当たりの行動量を増やす、または早くするしかない。 そのためには、集中力が必要だ。集中力を得るにはどうすればよいか。 ―――時間を測ればいい。 まだ社会人一年目ですが、そこそこ仕事にも慣れ、一日の行動パターンも大体決まってきました。 充実しています。間違いなく、満ち足りています。ただ、無いんです。 時間が。時間だけが、無い。気づいたら一日が終わっている。いや、一日どころか一年が終わっている。 そんなわけで時間が欲しい。もっと正確に言うと「やりたいことを

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          直接言えよという発散

          「直接言えよ」と思うことがあったとする。 しかし大抵の場合、「直接言えよ」という言葉を相手に直接言うことはない。 つまり、「直接言えよ」って直接言えよ という状態である。 しかし大抵の場合、「「直接言えよ」って直接言えよ」という言葉を相手に直接言うことはない。というかそんな文章聞いたこともない。 つまり、「「直接言えよ」って直接言えよ」って直接言えよ、っていうかそんな文章聞いたこともねえよ! という状態である。 しかし大抵の場合、「「「直接言えよ」って直接言えよ

          直接言えよという発散

          批判を受けても落ち込まない方法

          結論から言うと、N=1と考えることです。 N=1とは、統計学で言う母集団のデータ数のことですが、なにやら小難しいので、人間、つまりNINGENのNだと思ってもらえたら幸いです。 統計学では「データをどのくらい信頼するか」という考え方があります。例えば、日本人の平均身長を知りたくて、1000人のデータを集めた場合と10人のデータを集めた場合では、1000人のデータの方がより正しい平均身長がわかるはずなので、信頼度が高い。 つまり、データ数が多い方が正しい結果を得られやすい

          批判を受けても落ち込まない方法

          ここまでの記事まとめ・振り返り

          noteを始めて1週間になりますが、ここまで書いた6個の記事のまとめと振り返りをすることで、今後に生かしていきたいと思います。あんまり短いスパンでこういうことをやっても微妙な気はするので、まとめは月一くらいでやっていこうかと思います。今回はまだ始めたばかりなので、このタイミングでやります。 1. noteを始める理由・現時点で一番読まれている記事。最初なので丁寧に書いた。 ・良かった点:結論から言ったところ。読みやすいよう段落に分けたこと。 ・悪かった点:結局noteを

          ここまでの記事まとめ・振り返り