知らないことを知る喜びは一度だけ

映画、音楽、マンガ、本、動画。

新しいものは次々に出てきますが、見れば見るほど「これはアレに似てる」とか「これはこういう展開になるだろう」といったような、経験による考察や予想をついついしてしまいます。

もちろん、それを裏切ってくるのがすごい作品になるのですが、知れば知るほど、「新しいものを純粋に楽しめなくなってる」ような気がします。

知らないことを知る喜びは一度だけしか経験できなくて、同じものは二度とない。不可逆。

うーむ、果たして本当にそうでしょうか?

友達から「○○って知ってる?」と聞かれた時、大体「ああ、○○で見たわ」というように言うことがあります。まるで、知ってて当然かのように。もう知ってるから、これ以上話さなくていいよとでも言わんばかりに。

いやいやいやいやいや、本当にそれを「知っている」のか?
知っているのはあくまで「自分の解釈の範囲」だろう?
恥ずかしいぞ~~「知ったかぶり」は!
と、今は思います。

確かに、自分が新しくものごとを知る経験は、一度切りで、不可逆です。
知らなかった状態には、もう戻れない。

でも、誰かが同じものを知っていたとして、それを「どんな風に知っているのか」ちゃんと聞けたなら、自分が知ってたはずのものに、新しい光が当たるはずだと思うんです。

違う人が知った経験は、その人だけのもの。つまり、自分が知った経験と、他の人が知った経験は違う。たとえ同じものを知ったとしても。

であれば、知っていると思い込んでるものの中に、まだ知らない部分を見つけることもできるのではないでしょうか。そしてそれは、おそらく自分以外の人が見つけてくれる。

知らないことを知る喜びは一度だけしか経験できない。
しかし、その中にまだ知らないことがあることを、知らない可能性もある。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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