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Nelsonでのゴミ拾いから巻き起こったミラクル

夫婦でのワーキングホリデー生活を、カナダのヒッピータウンとして知られるNelsonでスタートさせた私たち。

到着して間もなく、ホステル滞在中に住む場所と仕事を探しながら夫の提案で始めたのは、街のゴミ拾いでした。

時間はあるけど、お金はない。知り合いもいない。

ゴミ箱は歩道にたくさん置いてあるけれど、日本に比べると断然ゴミが落ちている街中…。

自らの道を拓いていくには、思ったことを行動にうつしていくしかない。

私たちは掃除道具を購入し、「Free Donation」と書いた紙を夫の背中に貼って、街に繰り出し始めたのでした。

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◇ゴミ拾い中の夫。笠と浴衣と藍染のハッピは日本から持参。ちなみに私は後から知ったのですが、夫が日本から持ってきていた履物は、草履、高下駄、地下足袋の3足だけで、雨の日に困るという…。なぜスニーカーを入れなかった!◇

もはや「Free Donation」の紙以上に目立っている彼のファッションですが、この姿が功を奏したのか、毎日拾っていると次第に街の人に顔を覚えてもらえるようになりました。

え?なんで笠とハッピなのかって?

おそらく、彼にとっては初めての海外にウキウキだったのでしょう!

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◇バンクーバー空港にて。もはや日本人を通り越してベトナム人◇

「Amazing!」 「Thank you!」

ゴミを拾っていると、たくさんの方が温かい言葉をかけてくださいました。

中には、ドネーション(寄付)をくださる道ゆく方々も。コインがほとんどですが、10ドル札や20ドル札をくださる方もいらっしゃいました。

「ゴミを拾っている人なんて初めてみたわ!」

と何人かの人に言われたときはさすがに驚きましたが、これもやはり日本文化との違い。

日本の街が海外に比べて綺麗なのは、捨てる人がいないからではなくて、拾ってくれている人がいるからなのでしょうね。

ドネーションは現金のみならず、週2回のファーマーズマーケットの日には、お店の方々から手作りの石けん、詩のカード、アイスクリーム、立派な野菜のケールをいただいたりもしました。

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◇立派なケールをいただきました!右手に持っているのは、ガーデニング用ハサミと見せかけてゴミ拾い用のキッチントング◇

“ゴミを拾う”という小さな行動のエネルギーは、有り難すぎて逆に申し訳なくなるほどに、たくさんのあたたかいギフトに変わって返ってきたのです。

最初はなんだかもらうことに氣がひけていたのですが、

いただいたお金を使ってファーマーズマーケットやネルソンの町のお店で買いものをすることで、さらにエネルギーが循環しているということに氣がついてからは

差し出していただけたものは遠慮せずに、感謝と共に受け取ることにしました。

つまり

“ゴミを拾う”という私たちが起こした小さなエネルギーの波が

町のみなさんが持っているエネルギーに波を起こし

贈りものを贈り合う小さな経済、“ギフトエコノミー” の小さな巡りの輪になっていたのです。

ホステルを出て、ワークエクスチェンジで別の家に住み始めた後も、街に行く時間がある日にはゴミ拾いを続けました。

そんなある日のことです。

16時過ぎには日も沈み外は暗くなり、夜の長いカナダの冬が始まりつつありました。

しばらく雨が続いていたので、数日ぶりのゴミ拾いでした。

町のメインストリートだけでもタバコの吸い殻の落とし物がいつもにも増してたくさん溜まっていて、長時間かがみすぎて腰も限界に…。

ひととおりルートをまわり終え、街のカフェに労働後のひと息に出かけました。

コーヒーにマフィン、ホットアップルジュースを注文。

スモールサイズのコーヒーを注文したかったのですが、なぜかラージサイズのマグカップに入れられてしまいました。

まぁいいや、といつものようにお会計をしようとすると、

「今日は私のおごりよ!いつもあなたたちが町をそうじしているのを見かけているから。ありがとう!」

と、緑の髪に鼻ピアスを飾ったファンキーな店員のお姉さんが言ってくださったのです。

何時間拾っていても人々の反応が薄く、ドネーションがゼロの日なんかは、続けることに心が折れそうなときもありましたが、こうしてちゃんと見てくれている人がいる。

とてもとても、嬉しい出来事でした。

しかも驚いたのは、その日以降また別の日にカフェに行っても、その緑の髪のお姉さんだけは、私たちからは一切お金をもらってくれないのです。

なんとロックで格好いいお姉さんなんでしょう。

ここから、さらなるミラクルは続いていきました。

ピザ屋の店長さんが、お店に行くと頻繁にピザをおごってくれる。

また別のカフェでお会計をしようとしたら、列に並んでいた子連れのお母さんに話しかけられ、カフェ代をおごってくれる。

サブウェイの店長さんがゴミ拾い中の夫にサンドイッチをくれる。

ヒッチハイクで乗せてくれたおじさんが、私たちが降りるときになぜか10ドル札を手渡してくれる。

別の小さな街のオーガニックスーパーで5ドルの買い物をしたら、なぜか25ドルのお釣りが返ってくる。(匿名で私たちのために30ドルをレジに預けてくださった方がいるとのことで)

などなど…。

人のあたたかさって、なんてすごいんだろう。


この世界では自分の放ったエネルギーが返ってくる、という法則があると言うけれど

「お金」というのは、その対価としてどこかしらから返ってくるエネルギーの表れのひとつであって

お金を稼ぐとは、本来はこういうことなのではないか。 


ゴミ拾いを続けることで見えてきた、新たな世界がありました。


しかも大事なのは

私たち自身が、義務感からゴミ拾いをするのではなく

ゴミを拾うという行為自体を楽しんで

喜びと共に行う、ということでした。


これはとてもおもしろい発見で

現に、疲れているときや「続けなきゃ」という義務感からゴミを拾ってしまっているときは

あまり話しかけられもせず、ドネーションを渡してくれる人も少ないという傾向があったのです。


逆に、ただゴミを拾うという行為自体と自分自身に集中して楽しんでいると

思いもかけぬ形で思わぬところから

ギフトが舞い込んでくるのです。

◇当時の日記より◇

ゴミ拾い、続けています。

先日、とあるお店の前の花壇に溜まっていた
たばこの吸い殻やお菓子の包み紙をそうじしました。

そして今日おなじ場所をまた通りかかってみると…
花壇にはいつのまにか、ゴミの代わりに
可愛い鳥の置物が飾られていました(^^)

✳︎

「なぜあなたたちはゴミを拾っているの?」

ゴミを拾いながら町を歩いていると、よく質問されます。

理由はたくさん。

大好きなNelsonの町をもっと綺麗にしたいから。

拾っても拾っても、数時間後にはまたゴミが落ちているから。

ゴミを捨てる人よりも拾う人が増えて
やがて捨てる人が減っていくといいから。

何があったのかはわからないけれども、捨てた人が発して積もったマイナスのエネルギーを
プラスのエネルギーに変換したいから。

古代より日本人は
全てのものに神さまを見いだし大切にしてきたから。

ゴミ拾いをきっかけとし、
町で暮らす素敵な人たちと出会い、友だちになりたいから。

もし、フリードネーションで町に落ちているゴミを拾うことが
世界各国を旅する旅人たちや路上に座るホームレスの人たちのあたらしい生業になれば、
世界中の町はどんどん綺麗になっていくかもしれないね!

そんなことを二人で話している、今日この頃です。

✳︎

最近深く実感しているのは、
「お金」というのはやはり
変幻自在に流れていくエネルギーの一種なんだということ。

生き生きとニコニコ楽しく感謝いっぱいの気持ちで拾えているときは、
たくさん話しかけてもらえたり、ドネーションもたくさんもらえたりします。

逆にちょっと疲れていて義務感で拾っているときは、
まるで私たちの姿が見えていないかのようにだれも振り向いてくれなかったり…。

ゴミ拾いでいただいたその日のドネーションで
町のカフェで休憩したり、町のスーパーマーケットで晩ごはんの食材を買ったり、
小さいけれど、あたらしい地域の循環を生む。

まるで『世界名作劇場』に出てくる煙突そうじの主人公のような
“その日暮らし”を実践しています笑。

「金は天下のまわりもの」とはよく言ったもの。

ありがとうの気持ちがお金として姿を変え続け
血液が私たちの體を巡るように
世の中を巡るおおきなエネルギー。

この世界においておおきな力を占めているお金だからこそ、
もっともっと仲良くなって
自分にも世界にもいい循環を起こしていきたいなと感じています。

✳︎

そんなゴミ拾い修行を続けてもう20〜30回ほどになるでしょうか。

拾い続けることをとおして学んでいるのは、
私自身の内からこんこんと湧きみなぎる
尽きることのない愛そのものなのだと
感じるようになりました。

だれにも、何にも、求めない。
減りもしないし、傷つくこともない。

内から内から湧き続けて
さまざまに表現し、贈り続けるもの。

あるときはそれはゴミ拾いかもしれないし、
料理かもしれないし、言葉かもしれないし、芸術や音楽かもしれない。

肉體を持った宇宙として
だれもが真ん中に持っているエネルギー。

そのエネルギーを唯一ゆがめられる存在がいるとしたら、
それは他人ではなく、自分自身しかいないという真実。

市役所で戦没者の追悼式が開催された今日11月11日は、
カナダの祝日にしてはめずらしく
町にはたくさんの人々が集まっていました。

バクパイプの音色が空に力強く鳴り響きます。

たとえどんなに絶望したようにみえる世界があったとしても、
小さな自分の意識ひとつで
ほんとうに世界は変わっていく。

絶望するのは、国でもなく政府でもなく世界でもなく
いつも自分自身でしかない。

たとえ同じものを見ていても、
私と隣にいる人では違うものを見ていて
共有できるという豊かさ。

私の生きる世界が
素晴らしい世界で在り続けること。

今自分が置かれたこの場所から
素晴らしい未来を呼吸し続けること。

今日も素敵な人たちにたくさん出会えて
ありがとうございます!

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◇花壇に落ちていたゴミを拾った場所に、いつのまにか可愛い鳥の置き物が◇

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