畏埜莉 果菜江

畏埜莉 果菜江

最近の記事

雨あがりの夕ぐれ時         ~えいぷりる・ふーるの遭遇~

快晴!朝から久しぶりの晴れ! 新年度の第一日目。そしていつもより1時間半早くに出勤! 時間の心配はない。膝も大丈夫。朝ご飯を食べた。 地下鉄はもっと混んでいるのかと思っていたが座れた。 学園都市線も順調に走ってる。 最寄り駅でお弁当の足しにコンビニでお惣菜を買って職場へ向かっていると 前教育長に遭遇する。 わたし 「おはようございます」 教育長 「おはようございます」 教育長 「行ってらっしゃい」 わたし 「行ってらっしゃい」 後の一言はタイミングがかぶっていたかも! 早起き

    • 雨あがりの夕ぐれ時         ~ゆれる季節~

      この激しい風は春の嵐か。 激しく流れていく雲は一向に青空を見せてはくれない。 この雨は春の長雨か。 歯切れの悪い雨はどこかで聞いた歌詞 ”静かに降り注ぐ雨は 叶わぬ夢のしずく” のようだ。 〝春雨にぬれて行こう〟という人々が増える昨今。 朝夕の寒暖差が大きいのは砂漠化に向かっていると誰かが言っていた。 ゆれる。きもち。 ゆれている。 ゆらされている。 ゆれている時がいちばんしんどい。   自らゆれようとしていないから、 なにものかにゆらされているから、 そのゆれにまきこま

      • 雨あがりの夕ぐれ時         ~15年目の再会~

        ふたりめ演者「〇〇さんですよね。」 わたし   「覚えていらしたのですね。」 ひとりめ演者「ダンサーさんですか。」 ふたりめ演者「古い知り合いです。」 覚えていただいていたこと、びっくりでした。 ふるい知り合い、という表現はうれしかったです。 そう、彼と出会ったのはエンカウンターグループの場であった。エンカウンターグループはわたしなりに簡単に言ってしまうと、カール・ロジャースが育てたグループワークである。ただ輪になって座り、自分を語る。そのような場である。カール・ロジャ

        • 雨あがりの夕ぐれ時         ~「庭の話し」を鑑賞して~

          言葉とは。その人の言葉はわたしには呪縛のように、わたしはすっかりその言葉に掴まってしまった。突然の言葉に射抜かれてしまった。それは雷のような激しさではなく、願いにも似たような温かさがあった。わたしは直ぐにスケジュールを確認して空いている時間に予約を入れた。入れてしまった。 やった!週末に出かける口実ができた。 三月の雨なのに冷たい。その古い建物はかつては学校だったようだ。とても素敵な風情、わたしは「好きだな」と感じた。外見は洋館のようで内部は木造。廊下も木の板というより、木

        雨あがりの夕ぐれ時         ~えいぷりる・ふーるの遭遇~

          雨あがりの夕ぐれ時         ~祈りを深めて~

          やっとこの気もちに追いついた。13年間、何もしていない。何もそのためにしていないけれども、やっとこの気もちにたどり着いたわたし。どんなに悲惨だったか、どんなに恐ろしかったか、どんなに無念だったか、どんなに悲しかったか。そのことを考えると自然と涙が出てくる。やっとその気もちに自分がたどり着いたように思う。 その時はわたしにも合った。仕事中の事務所で何とも奇妙なめまい?に襲われた。後頭部がそのゆらゆらを察知して、気もちが悪くなった。こんな感覚はそう経験しない。そうこうしていたら

          雨あがりの夕ぐれ時         ~祈りを深めて~

          雨あがりの夕ぐれ時         ~3月の曇りの日に~

          彼女は確実に変化していて。 年齢を重ねていくことよりも、日々の彼女の選択や行動により段々とより力強くなり、ご自身の責任を果たしながら自身の人生をきちんと送っている。 出逢って何年になるだろう。わたしはそこに引っ張られてきた。 わたしも確実に変化してきているが、彼女の力強さは安定してきていると感じた。 先日、久しぶりにお茶をする。わたしは最近の自分の仕事のことや家族の様子を話す。わたしにしては珍しく愚痴る。 彼女は”長年続けていた職場”を定年前に離れて、”本当にやりたかったと

          雨あがりの夕ぐれ時         ~3月の曇りの日に~

          雨あがりの夕ぐれ時         ~冬の雨の夜~

          冬の雨の夜。冷たい雨が降る。息は白くひかり、雨のしずくは銀色に街を映し出す。それでもなぜか家に居たくなくて、自転車でとぼとぼと走らせる。 冬の雨の夜。冷たい雨に降られて、どこかにたどり着きたくて自転車で走る。自転車も自分も雨に濡れながら中てもなく街を行く。いつか行ったかもしれないカフェを覗く。できればカフェに行きたいと思っていたことに気づく。お酒は飲みたくない。お酒には弱いしあまり美味しいと思ったことがない。あたたかなカフェが好いが…覗き込むとおれんじ色の光が誘う。けれど満

          雨あがりの夕ぐれ時         ~冬の雨の夜~

          雨あがりの夕暮れどき        ~小さなあいさつが響く朝~

          家は地下鉄から歩いて3分、とても利便性のあるところ。 なので交通機関は先ず地下鉄から。毎朝、家族もわたしも地下鉄から出かける。なので私立の中高や大学もそこから学生たちはやってくる。 地下鉄とは逆方向に家から2ブロック程行ったところに、市立の養護学校がある。その養護学校には通学バスもあるが、通える子たちは自力で通う。 私立の児童生徒と混じって養護学校の子どもたちも地下鉄の出口へ昇ってくる。 ある時、ある少年を見かけた。やわらかい雰囲気の丸顔の少年だ。歩き方にぎこちなさがある。

          雨あがりの夕暮れどき        ~小さなあいさつが響く朝~

          雨あがりの夕ぐれ時   〜若いチカラの行く末〜

          いろんなことがあった日は何か文章にしたいと思っても、いろんなことがきもちの中であたまのなかでごちゃっとしていて、何を書こうとしているのかもわからない。でも何か書いておきたくて。 若い人が、向上心の強い人が職場を離れる。診断書は未だ提出されていないとのことであるが、もう職場には来ないようで、3月末以降の仕事の更新をしないとのことである。 流動的な組織の中での仕事、日本では注目される先駆的な取り組みを業務内容としていて、その一翼を担っている。たくさんのするべきことがあり、挑戦

          雨あがりの夕ぐれ時   〜若いチカラの行く末〜

          雨あがりの夕暮れ時          ~ゴジラ-1.0を観て~

          先に観に行ったむすめが もう一度観たい、という。 そんなによかったのだ。 Facebookの友人もすすめてきた。 ドイツ在住のコラムリストも絶讃していた。 これは観といたほうがよさそう、と思いむすめの2回目に便乗する。 特攻を離脱する、その発想が当時の飛行士にあったのだろうか。 あったとしても、それはいのちがけの覚悟でないとできなかったことだろう。 このストーリーの始まりだけでも反戦映画になりそうな気がする。 その「生」への渇望をゴジラが後押ししたのか? 「生」への渇望

          雨あがりの夕暮れ時          ~ゴジラ-1.0を観て~

          雨あがりの夕暮れどき        ~流れゆくときの中で~

          節分、立春と過ぎて 今年の始まりの心もとなさをリセットしようと思いつつ やり過ごしてしまったような気になっていた。 昨日は旧正月とのこと。 時の流れの中に何か確かなことを求めている自分がいる。 でも日々の中に着実に自分は居て、 それでも心もとなさは少なくならなくて。 それが今を自分なりに過ごしていることになるなかもしれない。 ”わたしはとても運がいい!” 本当にそう思う。 ともだちは少ないし、経済的に豊かなわけでもない。 家族が居て、できるだけ食事を一緒にとって。 昨年、この

          雨あがりの夕暮れどき        ~流れゆくときの中で~

          雨あがりの夕暮れどき         ~座り心地のいい時間~

          通勤が始まった。ダメもとでの挑戦が、思いもよらず功を奏した。この年齢で丁寧に研修をしていただいていることのありがたさ。これまでの職歴の経緯を買ってくださる部分もあり嬉しい。からだは素直に喜んでいて元気にすごしている。反面、まだ何もしていない、仕事をしていないことへの不安が残る。しかし、これまでに体験したことのない、それも理想に近い待遇に、こころもからだに付いて行く。有難い限りである。ひとり立ちの後の不安よりも今できることへの集中をと想いつつ…家に帰るとどこか逃げている?ような

          雨あがりの夕暮れどき         ~座り心地のいい時間~

          雨あがりの夕暮れどき        ~あれから1年…~

          わたしの50代はいろんなところを通り、様々な景色を見せていただいていた。その一つは相談業務。昨年の今頃、一つの相談窓口の業務を辞めた。 それは”配偶者暴力相談支援センター”(以下配暴)である。     CORONA一年目、時同じくして痛めた膝の療養に当てることができた。もしも、コロナ禍でなかったらわたしは落ち着いて自分のからだ・膝と向き合うことができなかっただろう。早く動きたい、早く仕事を見つけたいと焦っていただろう。しかし、その焦りを感じることなく膝の療養に専念できた。 有

          雨あがりの夕暮れどき        ~あれから1年…~

          雨あがりの夕暮れどき        ~ほしかったもの~

           長年、CAP(Child Assault Prevention)の活動を続けている。むすめがお腹に入る前からであるので、ほぼ四半世紀にわたる。(フルタイムの仕事をしていた2年間はまったくしていなかった。)この間、いろんな人々と出逢ってきた。様々な仲間と共に子どもワークショップを行ってきた。それは子どもたちとの出遭いであり、元気をいただきながらの続けてきた。  仲間には様々な人がいるが、おおよそCAPにまつわるなにがしかの学びを深め、活動をしていた。わたしの場合、女性の視点

          雨あがりの夕暮れどき        ~ほしかったもの~

          雨あがりの夕暮れどき        ~我が家のコロナ禍・8月~

          2週間かかった、と思っている。                   その土曜日はブックトークに出かけ、その後見ておきたい映画を観た。  映画は”アプローズ アプローズ”で実話をもとにした映画である。    その後ラーメンが食べたくなって、”今食べておかないと、次食べたいと思った時に食べれないかも…”という最近ありがちな発想の下、ラーメン屋さんへ立ち寄る。その時にすでに何か予感のような物を感じていた。           いつもとは違う空間に入っってしまった。若者が多く、冷房の

          雨あがりの夕暮れどき        ~我が家のコロナ禍・8月~

          雨あがりの夕暮れどき        ~逃げることを赦す∼

          Aちゃんは周りの人が、むすめたちがいろいろと代弁をしてくれるようだ。 Aちゃんも然るべきところでモノ申してきた。関わりを持ちながら”変えよう”を継続してきた。いつも気にかけていつもそばにいる献身的な仲間もいる。羨ましい。 Bちゃんは若い頃、遊んだそうだ。わたしたち世代でいうところの遊び人だったと自称。わたしはかつての遊び人が好きだ。彼女のむすこさんやむすめさんは親世代の力を借りながら自分たちの家族を造っている。Mちゃん曰く、「親世代が助けないとやっていけないのよ」。彼女はそ

          雨あがりの夕暮れどき        ~逃げることを赦す∼