見出し画像

雨あがりの夕暮れどき         ~座り心地のいい時間~

通勤が始まった。ダメもとでの挑戦が、思いもよらず功を奏した。この年齢で丁寧に研修をしていただいていることのありがたさ。これまでの職歴の経緯を買ってくださる部分もあり嬉しい。からだは素直に喜んでいて元気にすごしている。反面、まだ何もしていない、仕事をしていないことへの不安が残る。しかし、これまでに体験したことのない、それも理想に近い待遇に、こころもからだに付いて行く。有難い限りである。ひとり立ちの後の不安よりも今できることへの集中をと想いつつ…家に帰るとどこか逃げている?ような自分である。時間外には仕事のことは極力したくない。だけど(当たり前かもしれないが)、今できることをしておかないと独り立ちの後に困るのは自分である。そのことへの備えを自分なりにしておきたいが。やはり家ではゆっくりとしてしまう。

研修を受け始めて三カ月が経った。業務日誌の件数を確認してからその量が減ったので、時間的に余裕ができた気がする。しかし、いくつかの業務のひとつづつを体験しながら受け取っても来ている。それは、今までにこうあればいいのにと無意識のうちに捉えていたことや、意識にのぼりつつもどうにもできなかったこととが現実となって表れている感じがする。人生のこの時期になって、これまでの辛苦が善い方向で表れてきているようで、幸せな感じと共にそれを素直に受けとめられないでいる自分がある。どこかそれを受け入れると、今度新たな辛苦を乗り越えられないのではないかと、緩んでしまう自分ではないか、思っている自分がある。それほどまでにこれまでの辛苦がきつかったのか、というよりも、これまでの辛苦を辛苦として受け取ってきたが、それを超える自分の感覚があって、辛苦でありながら辛苦として捉えていない、そのようなきわを通ってきたのだな、と思う。それを自分の感覚なりに捉え、それを解りながら自分の人生の選択をしてきたことに、良かったのだと。今。この文章を打ち込みながら言葉にできた。感謝。

通勤は丁度良いころ合いの時間がかかって、もしも、残業やなんやで遅くなっても、いつ頃には家に着きそうであると見通しの立つ距離感である。最寄りの地下鉄から一回乗り換えて乗り込む駅は、丁度カーブの線路の上にある。この駅の場所はやはり線路の加減ではなくて、既にある街の場所の都合でできた駅舎なのだろうか、とそのようなことも考えてしまう。そのカーブのところに電車は止まる。なので電車は10度?15度の傾きをもって止まる。そのカーブを背中にして電車に座ると、何とも丁度良いころ合いのリクライニングである。鞄をお腹の側に抱えて座ると心地よくもたれることができる。このような通勤時間のひとときは初めてだし、訳もなく安心感がある。わたしは先頭車両に乗るが乗客も少なめで空いていて、それも心地よさにつながる。このようなほっこり通勤時間も含めて、ありがたいことである。でもまだ研修中である。まだ、何も始まっていない。61歳・三月弥生。

多謝。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?