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雨あがりの夕ぐれ時   〜若いチカラの行く末〜

いろんなことがあった日は何か文章にしたいと思っても、いろんなことがきもちの中であたまのなかでごちゃっとしていて、何を書こうとしているのかもわからない。でも何か書いておきたくて。

若い人が、向上心の強い人が職場を離れる。診断書は未だ提出されていないとのことであるが、もう職場には来ないようで、3月末以降の仕事の更新をしないとのことである。

流動的な組織の中での仕事、日本では注目される先駆的な取り組みを業務内容としていて、その一翼を担っている。たくさんのするべきことがあり、挑戦的にこなしている。必然的に時間をかけて学びを整理したり、伝えるべきことの言葉を選んだり。それでも自分への物足りなさ・充足感の無さ・力量の至らなさは残っていき、当初の意気込みは後悔や自責感へと変化していく。

同僚の言語化の内容の充実していることに自分の仕事への理解の遅れを感じたり、その熱の入り様に圧倒されたり、そのスムーズさに置いてけぼり感を感じたり。自分とその人の力量を比べてしまう。

同僚の力になりたい。同僚の困りごと・考えはよく聞く。同僚と仲良くやっていきたい。でも同僚のことは同僚のこと。自分としてはどうしたいのか?どうするのか?

リーダーによく相談をして、自分の仕事をより良い形で子どもたちの最善の利益にために精一杯支援したい。リーダーはよく話を聴いてくれて、自分で考えるヒントを自分にたくさんくれる。でも、もうひとつつかみきれない自分がいる。子どもたちのために働きたいと思っているけれど、わたしはこの仕事に向いているのか?

学校長とは折り合っていかないといけない。教頭とももちろんである。でも学校長のやり方は本当に子どもたちのためになっているのか?教頭は同じ考えなのか?それでいいのか!自分はどのように行動すれば、子どもたちの良い環境づくりにつながるのか?校長や教頭にどの様に向きあえばいいのか。

”あの先生はうちの子の担任だった先生で、うちの子には不都合がいろいろあった。結局保身に向かう人だからねちっこくて。彼女が電話で話してるのが聴こえてきたけど、とてもしんどそうだったのが判った”

わたしがこの職場に来て1年余り、四月から独り立ちして初めての三学期。わたしと入れ替わりに二人の人がこの職場を離れている。彼女らのこの仕事への情熱を消耗して失望に変えている物は何なのか。

事務方の若手は昨日の夜は眠れなかったとのこと。事務方は彼女と同僚として愉しく仕事をこなしていたので、非常にショックだったのだろう。

こんなふうに若い人が懸命に仕事に向きあっている時、わたしに何かできることはあるのか。実際わたしはわたしのことで手一杯であった。実のところ体調を管理しながら、”動けるからだ”を維持することもわたしの仕事の一つになっている。この状態でわたしは同僚のサポートをどのようにできるだろうか?でも、彼女の変化には気がついていた。

うちの教育長はこの三月末で任期満了である。
うちの取り組みは子ども庁のしようとしていることを先取りしていて、うちは来年度は大きく取り組みを変えなくても、今の組織に手を加えるほどでおそらく対応していけるだろう。この先取りの取り組みはこの二月に文科省から表彰されている。(本当に受賞に値する実情か!)
そして、来年度早々、四月に市長選。
来年度は移行期間となるそうで、さて。どうなる事やら。
どこに振り回されていくのか。
何が変わっていくのか。
自分を見失わないでいることができるか。
身体はついていけるのか?

しかし。
わたしはこの仕事に出逢えて。多謝。




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