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雨あがりの夕ぐれ時         ~3月の曇りの日に~

彼女は確実に変化していて。
年齢を重ねていくことよりも、日々の彼女の選択や行動により段々とより力強くなり、ご自身の責任を果たしながら自身の人生をきちんと送っている。
出逢って何年になるだろう。わたしはそこに引っ張られてきた。
わたしも確実に変化してきているが、彼女の力強さは安定してきていると感じた。

先日、久しぶりにお茶をする。わたしは最近の自分の仕事のことや家族の様子を話す。わたしにしては珍しく愚痴る。
彼女は”長年続けていた職場”を定年前に離れて、”本当にやりたかったという仕事”に就くも、かなり厳しい状況で半年もせずに辞めた。そして次に”資格に準じた本来の仕事”に就くも、これまた挫折。そして今は次の職場に向けて~本当にやりたかった仕事のリベンジ~とのことで準備中だ。このプロセスもまた、彼女のチカラ強さやな。

出逢った頃の彼女は、気弱でマイナス思考で下を向いて歩いているような女性だった。彼女が”長年続けていた職場”に居た頃は、わたしは愚痴の聴き役で励ますために存在していた。彼女が新たなパートナーを求めていた頃、気もち的に落ちたとき、彼女の元へ駆けつけたわたしだった。心配になってほっておけなかった。彼女は昇級試験に何度もトライし、その頃の彼女の気もちを支えていたと、わたしには少々自負があったかもしれない。その彼女は今はいない。

わたしが励ましていた頃も、長電話の終わりの頃には彼女はポジティブな言葉をたくさん言って、いつも終電していた。その言葉にわたしも励まされていた。彼女はそもそもポジティブなチカラをお持ちだったのだろう。彼女にも彼女の母との確執もあったけれど、それをも彼女はチカラに変えて生きてきたのだ。不登校になったむすこさんと向き合いながら、今もむすこさんを支えながら、次のステージへ向おうとしている。

思えばわたしはわたしは彼女に沢山の善い物をいただいている。手袋・折りたたみ傘・ブローチとリアルにプレゼントとしての物もであるが、それよりも生きるチカラのようなものも、彼女と向き合うことで沢山いただいていたように思う。彼女の生きざまから人の感情の機微や人の可能性を学んでいたのかもしれない。これほどの向き合う人は人生の中であまりいないだろう。
ありがたいことだ。

わたしの家の愚痴を話すわたしも珍しい。自分の話を聴いてもらう体験が少ない、と思っているわたしが彼女に話を聴いてもらっている。わたしも変化している。そして彼女はこれまでの彼女の体験を通して安定してきているように感じた。
何よりだと思う。

福井の友人を訪ねたとのこと、どこを訪れてもあたたかな出逢いがありスムーズに進んだことをとても喜んでいた。そして彼女にいただいたお土産は昆布飴・干菓子・とろろ昆布と渋い!!今の彼女を表している。そのような彼女とのつながりをこれからも大事にしたい。

多謝。

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