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雨あがりの夕ぐれ時         ~祈りを深めて~

やっとこの気もちに追いついた。13年間、何もしていない。何もそのためにしていないけれども、やっとこの気もちにたどり着いたわたし。どんなに悲惨だったか、どんなに恐ろしかったか、どんなに無念だったか、どんなに悲しかったか。そのことを考えると自然と涙が出てくる。やっとその気もちに自分がたどり着いたように思う。

その時はわたしにも合った。仕事中の事務所で何とも奇妙なめまい?に襲われた。後頭部がそのゆらゆらを察知して、気もちが悪くなった。こんな感覚はそう経験しない。そうこうしていたら、事務所内でざわめきが起きた。わたしのようなめまいを感じた人が何人かいた。そして東北で地震があったと。それもかなり広い範囲で。そう地震の国、日本。

それを確認したのは友人からのメールでだった。自分のメールを除いてみたら友人からのわたしの身を案じてのメールが来ていた。それには海岸線を走る波頭の映像が添付されていた。こんな映像を誰が取ったのだろう…このタイミングで…初めて見る自然の驚異。

神戸の時も東北の時も何もできなかった、という感じが残っている。親戚や知り合いがいるわけでもなく、募金ぐらいしかできなかった。地震の後のいろいろを観るのが怖い、何をしたらいいのかもわからないということも正直あった。自分たちは子育てまっただ中で、自分たちの生活を賄うことで精いっぱいだった。現地へ駆けつけてボランティアをしたかったけれど、生活のために仕事をすることを優先した。これはいいわけかもしれない。わたしは自分の生活を全うすることが、現地の人々の励みにつながると考えていた。

13年が経った。その間、毎年14:46の黙とうを続けてきた。現地の物を選んで買っていた時期もあった。今もその延長線上にある。だけれどどこかしっくりこない感覚があった。今日はテレビを観ながら黙とうをした。そのことを考えるだけで自然と涙が流れる。この自然に流れ出てくるものは何なのだろうか。自分としてはやっとその気もちのとなりに行けたように思う。その悲惨さ、その恐ろしさ、その無念さ、その悲しさのとなりに居れるようになったような気がする。そして、その気もちを共に持ちながらこれからの日々を過ごしていくことができるのだろう。わたしは自然に涙を流しながら共に居たいと思う。


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