言葉のナイフを決して他人に預けるな。
※自死に関するトピックを含む記事です。PTSD等ある人はご自身の責任においてお読みください。仮に何かあっても私は一切の責任を負いません。
3000文字弱くらいです。5分くらいで読めるので軽めです。自分語り含みます。
初めて重い記事書きます。映画に乗っけた説教臭い自己啓発は今回ありません。ガチです。ただ、重くなりすぎないように少しユーモアも混ぜて…
言葉のナイフ
馬鹿、死ね、アホ、ゴミ、クソ、ブス、カス、ガイジ、Fuck、nerd、陰キャ(これは悪口かどうか諸説あります。)、チー牛、こどおじ、弱者男性、他職業差別見た目差別人種差別諸々。
人類の悪口多頭飼いが止まりません。インターネットから輸入してきた獣たちが集まって、果たしてどれだけ大きな動物病院になってるんでしょうか。獰猛な獣を全て悪魔の国に売り払って、そのお金で千葉の夢の国で遊んだほうがどんなに経済的でしょう。
しかしそうはなりません。人の悪意は留まるところを知らない。便宜上言葉のナイフとしていますが、実態はどうでしょう。
N wordというものがあります。黒人差別を表す単語の総称です。例えばこれを言った時、果たしてナイフで済むでしょうか。
傷つく人は数千万、数億に達するかもしれません。言葉の核爆弾です。上に上げた単語にも、ナイフじゃ済まない言葉があります。
言葉のナイフの切れ味はいつ誰が持つかで決まる。
とはいえ、一旦例えはナイフ固定とします。上に上げた言葉のうち、常に一定の鋭さが保たれてるやつと、ナイフの切れ味がいかようにも変わる不思議なやつがいます。
前者は意外とありません。日本だとやはりガイジですね。冗談で学生に消費されますが、それでも他に比べて言葉が強いなってのは本人たちも分かってると思います。
後者の圧倒的な代表は死ね、です。こいつは面白いです。例えば、恋人とイチャイチャしてる時「死ねwwwまじでwww」と言われて1ヶ月ガチ病みする人いますか?いたら言ってください。代わりに彼女さん貰います。
逆に最愛の人から真剣な場やトーンで
「本当に死んで欲しい。」などと言われた時、病むどころじゃ済まないとこまでいくこともあります。
他にも、相手が弱ってる時、悲しい時、死にたい時、あるいはかなりの義憤にかられている時などもナイフの切れ味は変化します。
このように、使う人や状況で切れ味は変わります。その最たる例としてこれから600字ほど自分語りをさせていただきます。
切れ味は手加減によっても左右される
私は8ヶ月間ニートでした。最悪の生き方の見本のような生活を送っていました。朝方に親が寝てるというのに騒ぎ、夜頃不機嫌に起床する。飯風呂洗濯はほぼ全て親に任せ、働き手を探す素振りすらしない。
それでも私には1つ最後の良心として
「おいババア!!飯は!?早くしろグズ!」のようなステレオタイプニート暴言は吐かないと決めていました。自分がクソなことを自覚していたというのと、そんなこと言ったら本気でこの家にいられなくなるという功利主義的な考え方です。
では代わりにどんなことを考え、発言していたかというと
「生きるの向いてない」「死にたい」「自分に価値なんてない」
本気でこれを言ってたんです。母親は強く否定しました。しかし私はそれに反発するように何度も繰り返しました。
そのうち、母も睡眠不足も相まってほぼ暗示にかけられたようになります。
「死んでもらえたら楽になる」
「大切に育てていたつもりだったんだけどどこで間違えたのやら」
こういった言葉を投げてきます。私が言葉のナイフを自分に突き立てるよりよほど鋭く刺さったのを覚えています。
その時、
「ああ自分は良心で暴言を吐いてなかったけど、自分を産んでくれた親の前で自身の言葉のリストカットを見せつけ続けるのも立派な暴力だ」と思い、言うのをやめました。
防衛本能
ではどうして、そこまで親からの言葉は痛かったのでしょう?自殺者と兼ねて考えます。
自殺者はなぜ電車に飛び込むのでしょうか。自らの家で縄やナイフを使ってしまえば楽なのに。答えは明白、自身を傷つけると必ず死ぬ直前で防衛本能がかかり、なかなか死にきれないからです。だから彼らは"殺人をアウトソーシング"してます。するしかないんです。
言葉のナイフにおいても同様でした。私が私を傷つけた言葉は、私に刺さる直前で
(言うてそんなことないけどな)とか
(まあ〇〇よりましだろ)みたいな薄い膜に覆われ致命傷には至りません。
しかし他人〜親の放つ言葉は最早本能もなく突き刺してきます。鋭いです。そして何より、その鋭いナイフで刺されて仮に本当に自殺まで言った場合、ナイフを振るった方は一生後悔します。他でもない自殺者が投げてよこしたナイフのバトンをただ衝動的に繋いでしまっただけなのに。刺せといったのはそっちなのに。
俺が振るナイフであるという当事者意識
これらの諸問題を起こさない魔法があります。それはそもそもナイフを持たないということです。難しいですね。
では少し簡単にします。最終的に人類がナイフを持たなくなる唯一の方法であり第一歩だと思います。
それは俺が振るナイフだという当事者意識を持つことです。決して他人にパスしてはいけません。振るうのであれば傷つけたのはあなたです。その時相手が怒ってて仮に刺し返したとしてもその痛みを受けるのはあなたです。その言葉が相手を殺したとしたら罪に問われるのはあなただし、一生背負います。
現在はSNSツールや配信者のチャット、2ch、好き嫌い. comなど間違いなく刺しているのは自分なのにあたかもサイトに委託してるかのように錯覚するモノに溢れています。しかし、送信ボタンを押した時点で他でもないあなたが刺しました。変わりませんここは。
中島みゆき作詞作曲、TOKIOが歌った曲で『宙船』という歌があります。その一節に
この言葉を今回のテーマのように改変するなら、
お前が消えて悲しむ者にお前のナイフを預けるな
となります。人って孤独じゃないです。必ず悲しむ人はいますし、それが一番身近にいる人も多いと思います。その際、自傷に飽きたかそれとも痛みを感じなくなってきてさらなる刺激を求めたか、それとも"死すら他人任せ"にしたいのか。理由は定かではありませんが、ともかく他人に預けずご自身の責任において振って刺してください。
そうしていると気づくはずです。いうほどナイフいらねえなって。それが人類のナイフを捨てる第一歩だと私は考えています。
終わりに
今回は真面目なテーマでした。啓発というより、当たり前の概念を言語化したみたいな感じになりました。
映画の感想を書いてきましたが、実はこういう全く映画が絡まないnoteも書いていきたいと思っています。
それでは。
PN:Misana
Mail: makotto.821.dd@gmail.com
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