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嘘にまもられてきた私だけど

今日も1日、おつかれさまです。

今回は、
嘘で自分をまもってきた私と、嘘がつけない私の過去について、話します。
嘘で自分をまもってきた私ですが、
いつの間にか嘘をつけない私になっていました。
それでは、今日も話していきますね。


私の世界は、嘘でできている


学生時代に嘘で自分をまもっていた話

私は、私をまもるためにたくさん嘘をついてきました。

たとえば、の話として、過去の話を少ししますね。
中学時代、私は部活動内で軽く仲間外れに
されていました。
ものを隠されたり、壊されたりといった、
目に見えるいじめはされませんでしたが、

試合会場でお弁当を食べるときに私を輪にいれない、
話しかけても無視をされたり、
私のわからない話題で話したり、
聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、
悪口を言われたりしていました。

私は3人目くらいの標的でしたが、
私がそのまま部活に行かなくなったら、
次の標的ができていたのかもしれませんね。

まぁ、そういうのもだるいですし、
次に目をつけられる人もかわいそうだし、
そもそも部活に行かないですむ方法もなかった
のです。

だって、私は嘘をついていたから。

私の親は、仲間外れにされていたり、
友達がいなかったりすることを
意地でも許さないタイプです。

1人で行動するのはおかしい、
友達がいないのはおかしい、
うまく輪にはいらなくてはならない、
こういう考えでした。

1人焼肉や1人カラオケなんかも、
何が楽しいのかわかんない、
そんなことするの信じられないと、
感じるタイプなんですよ。

そんな親からしたら、
私が仲間外れにされていることは、
許されるわけがないんです。

それでも、試合なんかで送迎をしてもらう機会があったら、
なんとなく仲間外れにされていることは
察されることがありました。

みんなの輪から外れているのですから、
なんとなくそんな雰囲気も感じるのでしょう。


私が仲間外れにされているのを感じたのか、
仲間外れにされているのかと、
質問されたことがありました。

その際、
私としては、仲間外れにされていることを
顧問に相談するかとか、
めんどくさいけど、そういうことになるのも
覚悟していたのですが、
そんなことにはなりませんでした。

結論から言えば、私は親に怒られました。
仲間外れにされているなんて、
恥ずかしい。
仲間外れにされているのは、
私がみんなに話しかけないから、
輪にはいろうとしないからだ、
と、怒られました。

明日からは、みんなに話しかけて、
仲間外れにされないようにしなさい。

つまりは、私が悪いって、ことですよね。
突然、仲間外れにされたのに、
私が話しかけないことが原因か。

次の日からも、仲間外れは続きます。
話しかけたくらいで、話の輪にはいることが
できて、仲間外れにされないなら、
はじめから仲間外れになんてされないでしょう。

話しかけたところで、無視される。
そりゃそうです。

無視することが面白いのでしょう、
私の悪口や私の表情をからかう声は、
大きくなりました。

お前なんかと一緒に行動するわけないだろ。
ショックでした。

それでも、親の送迎があるときは、
仲間外れにされていないことを装うしか
ありません。

また怒られてしまいます。

だから、なんとかみんなと一緒に歩いたり、話したりしていることを装っていました。

ただ、なるべく近くにいて、
雰囲気を出すことに精一杯で、
誰も私と目を合わせないし、
無視されるから声を出すこともできず、
なんとなくにこにこした表情を作るだけでしたが、
それだけでよかったのです。

全然話していないし、仲間外れにはされていますが、
なんとなく輪にはいっているように
見えていたのか、
それ以降、怒られることはありませんでした。

それでも、
周りは私のことを仲間外れにしようとしていた
ため、
私がおいていかれることも、しばしばありました。

そのときに、怒られたときは、
嘘でごまかしていました。

先生に呼ばれてて、みんなと一緒に行けなかった
とか、
片付けが遅くて、先に行っててもらった
とか、
そんな言い訳ばかりでした。

仲間外れにされていないことを装うのも、
言い訳ばかりしていたのも、
全部、全部、自分をまもるための嘘です。

私は、たくさんの嘘で、自分をまもっていました。


出かけるときだって、嘘をつくことはある

出かけるときにも、嘘をつくことはあります。

私の家では、家族にある程度の予定や、
誰とどこに何時にでかけるかを伝える必要がありました。

心配されているということでしょう。
心配されるのはありがたいことですが、
言いにくい予定もありますし、
思ったよりも帰宅が遅くなったこともあります。

そんなときは、嘘でいい感じにごまかす
しかありません。

帰り道が渋滞していた、
道を間違えた、
予定が変更された、
などの嘘で、ごまかしていました。

私は、嘘でつじつまを合わせることが
たくさんあります。

怒られたり、次の予定を失ったりするくらいなら、
嘘でがちがちにしてやった方が、身をまもれるのです。

嘘は、私のことをまもるための武器でした。


嘘をつく罪悪感


嘘で自分をまもっていた私。
そんな私でも、嘘をつく罪悪感は、あります。

信じる人に信じてもらえないかもしれない

私は、たくさんの嘘をついてきましたが、
この人のことを信じたいと、思える人にも
出会ってきました。

信じたいから、私のことも信じてほしい。
そう感じたときに、
嘘ばかりつく自分が、急に後ろめたくなったのです。

この人には、嘘をつきたくない。
こんなことを思ったのは、数少ない経験でした。

生きていくために、うまく嘘で自分をまもらなくてはならないと思っていた私が、
嘘をつきたくないと思う日が来るなんて、、、

嘘をつかなくても、
ほんとの私でも、大丈夫かもしれないと、
信じたくなったのです。

だから、私のことも信じてほしいから、
嘘はやめようと思いました。


嘘をつくことができなくなる

私の嘘を簡単に見抜く友達がいます。

その人の前では、この私でも、嘘をつくことができません。

しかも、それでも私が嘘をついたとき、
私の嘘に気づきながら、話を合わせてくれるのです。

罪悪感がものすごく大きなものになります。
そして、耐えきれなくなった私が謝罪し、
正直なことを話して、
その解決策を一緒に考えてくれるのです。

今までたくさんの嘘をついてきましたが、
もっと早く、私の嘘を見抜く人に出会えていたら、
もっと正直に生きられたのかもしれませんね。

この頃から、私はだいぶ正直に生きられるように
なったかもしれません。

気持ちが顔にでるようになった

これまでの私は、自分の気持ちを
表現することが苦手でした。

自分の気持ちを表に出すことで、周りにどう思われるのか、怖かったです。

周りに求められるような態度をとらないと、
怒られたり、仲間外れにされたり、
あとから厄介なことになりかねませんからね。

だから、
ほとんどの表情も言葉も、
あまり本音をだすことなく、
求められるような態度をとっていました。

これだって、身をまもるための嘘だったといえるかもしれません。

世間のなかでうまくやっていくには、
思ったことや感じたことをそのまま表現せず、
求められるような態度をとるしかないと、
これまでの経験から感じていました。

そんな私が、嘘を見抜く友達と出会うことで、
変わったと思います。
その人の前では、私は思ったままの表情をして、
自分の感じるままの喜怒哀楽を表現できました。

気持ちが顔にでるようになりました。

だから、その子と同じクラスになれないとき、
言葉はでませんでしたが、私の表情が
本人よりも悲しんでいたことで、私の悲しみが
伝わったようです。

私の気持ち、顔にでるようになったんだな
と感じました。

その後の私は、
どんな気持ちも顔にでるようになっていきました。
気持ちが顔にでても、大丈夫だと、信じられるのです。

そのせいで、現在の私の表情は、
ありえないくらい気持ちを表にだしているでしょう。

表情豊かなんて言われることもありますし、
ほぼ無表情だった面影は、薄れているかもしれませんね。

気持ちが顔にですぎてて、
もう昔ほど、嘘なんてつけませんよ。


嘘をつく必要がなくなった

気持ちが顔にですぎるようになった私は、
嘘をつく必要がなくなったのです。

仲間外れにされることもありませんし、
信じられる人にも出会えました。

今は、信じあいたいなんて、思っていて、
嘘をつきたくないのです。


信じたいから、嘘をつきたくない。
それどころか、嘘をつくことに、罪悪感を感じます。

私が嘘をつかなくても、
ほんとのことを言っても、
受け入れてくれるって信じられます。

知らないふりをして、嘘をついたこともありましたが、
その罪悪感に負けて、
嘘をついていたことも、隠し事も話したことがあります。

正直に話してよかったと思いますし、
この先も、嘘をつかなくても、いいのかな
って思っていますよ。

私は信じてるから、
私のことも信じてほしいです。
だからもう、嘘はつきたくありません。

言いたくない過去を隠すことはあるかもしれませんが、
いつかどこかで話すかもしれません。

まだ話したくないと、隠すことはあっても、
嘘でごまかすことはしたくありません。

嘘をついた罪悪感は、とても大きかったから、
隠し事を明かした上で、嘘をついてしまったことも話すのは、つらいです。

だから、嘘はつかないのではなく、つけなくなりました。

正直な私を、ほんとの私を、
これからもよろしくお願いします。
そんなことを、この場をお借りして、伝えておきますね。


自分をまもるために、嘘ばかりついてきた私。
それでも、相手を信じたいと思えたおかげで、嘘をつく必要はなくなりました。

もちろん、これからだって、どこかで嘘はつくでしょう。
しかし、嘘で自分をまもることなく、正直に生きられる場所もあります。

私の嘘も、ほんとも、私は大事にしていきたいです。

あなたの嘘もほんとも、大切なんです。

嘘をつくのは、自分や何かをまもるための武器でもあります。
その武器を使うのは、自由です。
ただ、その武器を手放して、ほんとの自分になれる場所も、大切にしましょう。


『カノジョは嘘を愛しすぎてる』のなかに、
こんな台詞があったと思います。
ちょっと間違えていたら、申し訳ございません。
あとで、指摘してください。

 「嘘ばかりつく僕のことを、君は正直な人だって言う
 笑って、僕の嘘に気づかないふりをする彼女に、僕は一生敵わない」

私だって、嘘ばかりついていましたが、
私の嘘もほんとも受け入れてくれるなら、
私も一生敵わないと思いました。

そもそも、嘘をつくことができない相手ですから、どうしようもありません。

信じてるから、嘘も隠し事もできません。
こんなこと思う日が来るなんて、
昔の私では考えられませんね。


私は、嘘をつくことは悪いことではないと思います。
嘘は武器ですから。

でも、嘘をつくことを苦しく思ったり、罪悪感に押し潰されそうになったりしたら、正直な自分を思い出してください。

嘘で自分をまもることがあっても、
嘘で自分を苦しめることは、つらいと思います。

自分をまもるために嘘をついてきた私だって、
ここでは、ほんとの自分でいられる、嘘をつく必要がないと感じられています。

だから、大丈夫です。

みさきの世界では、嘘をついてもつかなくても、どちらもあなただと思います。
安心できるまで、一緒に戦いましょう。


ここまで、たくさんの嘘で自分をまもってきた私が、嘘をつけなくなるまでの話をしてきました。

もちろん、完全に嘘をつかなくなったわけではありません。
ただ、思ったままの気持ちを顔にだすようになったこと、
嘘をつけない相手と出会ったことは、事実です。

嘘ばかりつく自分が、嫌いで、罪悪感に潰されそうになったこともあります。
それでも、嘘もほんとも、大切な私だと思えるようになりました。

結論として、
嘘をつく私も、嘘をつけない私も、
どちらの私も、自分らしくて好きです。

ここまで、ご覧いただき、ありがとうございます。
みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。

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