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あまりにうるさい環境
ずっと思ってることがある。
ほんの少し都会に行くと、脳が破壊されそうなレベルで、映像とフラッシュと光とそして何よりもそこかしこから爆音が流れてくる。
『騒音』という概念はどこにいったのか?
『騒音』ならぬ、『騒観』という概念も作り出すべきではないか?
夏休みに田舎ではなくより都会へ帰省する我が家は、田舎都市から都会へ移動したのだが、
いや、いっそ都会でなくとも良い、都会の手前の駅から始まる -
人生は『共有』がすべて
今日、ふと思ったことがある。
人生は『共有』がすべてなんではないだろうか。
私は結構「変わった」人生を生きてきたんではないかと思う。
そして、「変わった」物事の捉え方をしてきたんではないかと思うのだ。
駐在員の父の元でアメリカ生まれ。
これだけで、一般的日本人と既にずれる。
しかし、私は駐在員の日本人の子達とも違いを感じてた。
今はどうかわからないが、当時はアメリカ生まれの子は私の周りにも
セミリンガルがものを書く
ものを書きたいと思った。
三十も後半で始めることじゃないだろう、と正直思う。
それでもものを書きたいと強く思うには、大きな理由がある。
私は外国生まれで、親は日本人。
家庭内で日本語だったものの、英語時間の方が長く、でも学校の同級生ほど英語ができるわけでもなく、かと言って日本からやってきた他の駐在員の子たちほど日本語ができるわけでもなかった。
日本で生まれて引っ越してくる子たちよりも、日本語しか