絶縁について

数年前、とある友人と縁を切った。
縁を切ったのにはちゃんと理由がある。

彼女は離婚問題最中にあって、私にあまりにも連日長文メッセージを送ってきて、疲弊したからだったつもりだった。
彼女からしたら『愚痴』程度のつもりだったかもしれない。
でも、彼女の文章には、夫を呪うような『死ね!』という文章も、
『どうせ私の人生なんて…あなたはいいわね、優しい旦那さんがいて、私と違って』というような文章も、
とにかく怨念めいたものが含まれていた。
それが毎日数件長文で来るのだ。
彼女と夫の関係が悪化するにつれて、それは加速したし、
私はどんどん疲弊していったと共に、その怨念に圧倒されて、
もしも誰かが聞いてあげなければなにかよくないことが起こるのではないかという恐怖さえ感じていて、なんとなくそのやりとりを長いこと切れずにいた。

でも本当のところ、私がもっと早くに彼女に、「いくら今問題抱えてるにしても、あんまりだよ」と言えばよかった話だと思ったりもする。
実際彼女の夫には多くの問題があったし、夫としていい人ではなかったように思う。
ただ私自身彼女の被害妄想めいた話を信じてしまっていた問題もあった。
義母が体調を崩したときに彼女の相手をできないと、しばらく連絡返せないかもしれないと言ったら、連絡が来なくなったと思った二週間後に、現金もほぼゼロで子供と共に家を出たと連絡が来た。
そこから話を聞いていくと、彼女の物事の捉え方が極端に歪んでいたところもあったようで、私は彼女が家を出て問題に直面している時の態度や言葉の端々に、初めて彼女の、私から見たら相当に歪んだ感覚を知ることになった。

聞けば聞くほど、彼女の感覚が信じられなかった。
まず、金銭感覚のバグり具合がおかしかった。
よくよく聞いてみると、まあまあお金のある家庭の育ちだと知った。
そりゃあ普通の家庭育ちの彼女の夫と衝突して当然だった。
いや、まあ、はっきり言って、私との感覚の違いもすごかった。

再婚相手である夫に対して異常なほどの期待を抱いていたのもおかしかった。
彼女の夫は連れ子に対して明らかに態度は悪かったし、それは明らかに彼が悪かった。
でも、彼女は知人の再婚例の一症例のみを持ち出し、とてつもなく理想論的な態度を夫に望んでいた。

他にも彼女の話を聞けば聞くほど、私はこんなに『信じられない!』と思う感覚の人と付き合ってきていたのかと衝撃を受けるほどだった。

いや、それは嘘かもしれない。
本当は薄々と感覚のズレは感じていたし、私が言うことがほとんど何も彼女に届いていなかったことから、どこかでズレは感じていた。
でも、付き合いが始まった頃はとても楽しい友人だったので、それに引きずられていたのかもしれない。

その後毎日の長文メールを理由に縁を切ったのだが、
あまりの感覚のズレと、そのズレた感覚から襲い来る理解不能な矢継ぎ早の八つ当たりに私は辟易していた。
縁を切って正しかったと思う。

人と疎遠になることは仕方がないところも多い。
でも、人と縁を切ることは初めてで、正直ショックだった。
三十五だった。

でもそれからも縁が切れそうになることが増えた。
最初は私が厳しすぎたりするのだろうかとか、自分の問題としてとらえようとしてみた。
でも、周りでも同じ三十代四十代で、知り合いと縁を切った話や、「この人の価値観、信じられん!」という話もよく聞く。

そして、つまるところ、絶縁危機というのは、
三十代半ば以降には珍しくないことなのかもしれない、と最近思うようになった。

今までは仲良くあったつもりの友人が、同じような環境で似た目的を抱えていたからこそ「友人」や「仲間」だと思えていたのに、
いざ大きな出来事があると、「え?そんな考え方してたの?」ということが露呈するのだろう。
理解できない、ついていけない、しまいには価値観の衝突で縁を切ることになる、ということが起こるのかな、と思っている。

結局のところ、絶縁をそこまで悲しくとらえなくてもいいのかもしれない。
とても悲しいことではあるけれど、仕方のない部分も多い。
ただ、それでも、自分の価値観を大切にした結果、縁が次々切れていくことがいいこととも思えない。
彼女との関係が救えたとは到底思えないが、
価値観を盾に攻撃や八つ当たりをしてくる人以外は、
やんわりと付き合い続ける技術を身に付けたいものだ。


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