★連載9★働き方も変わり選択肢が増えてきました①
これからの時代のコミュニケーションの役割は、たった、7%しか伝わらないと言われている、言葉の言語コミュニケーションを更に相手に伝わるものにするべく、非言語コミュニケーションを意識した、感情や気持ちなどの、心を伝える事を意識したコミュニケーションが広がるようになると思います。
非言語コミュニケーションを踏まえた、言語コミュニケーションです。
いいえ、感情や心を伝える、気持ちを伝えるコミュニケーションは、既にあったコミュニケーションだったのに、仕事に追われ、自分の事に精一杯にで、私達は忘れてしまっていたのかもしれません。
☆発信できる媒体が増えた結果のコミュニケーション
例えSNSの文字媒体だとしてもです。他人が知らない人を誹謗中傷したり、集中攻撃もできてしまうようにもなってしまいました。
インターネットが普及し、交流を持つ事が目的とした、SNSでは言葉が凶器にも成り替わってしまい、関連のニュースを耳にする事もありました。
自分自身の感情や気持ちばかりを一方的に伝える事ができるようになってしまったのです。
自分自身のストレスをSNSで吐き出すかのように、他人を誹謗中傷する事をしてしまうようになったのです。
相手の事を知らない、誰かが言っているから自分も言う。ストレスの捌け口のように使われてしまう事もあります。
相手の性格をどこまで知っているのでしょうか?
相手のその経緯の何を知っているのでしょうか?
相手の今までの生きてきた人生の何を知っているのでしょうか?
「知らないのです。そんな事は関係ないのです。」
だからこそ、平気で言えるのかもしれません。誹謗中傷は、凶器に変わる事もある事を忘れないで欲しいものです。
発信する側も、それに答える側も、自由であります。
自由の本当の意味と言うのは、人を傷付ける為に使う自由ではありません。
例え自分と異なった意見などを目にしても、
「へ~~~。」
そんな考え方もあるのだ。という捉え方が必要なのだと思います。
相手は間違っている
相手は悪い
そういう視点で捉えているから、意見をするのです。
そういう視点で捉えているから、相手を変えようとするのです。
そういう視点で捉えているから、相手を正そうとするのです。
みんな、
自分自身が正義なのです。
そして、
自分自身が正義だ、正しいのだと思いたいのです。
そもそも、相手の事をまったく知らないのに、相手の何を変えようとしているのでしょうか?相手を変える事が果たしてできるのでしょうか?
私は疑問です。
☆言葉は他人を傷付ける事もできてしまう、目に視えない凶器になる
言葉は人を励ます事も、癒す事もできるという事。言葉の本質なのだと思います。
目に視えるものでは無いからこそ、扱い方は使う人次第だと。
言葉の本質を見直す。それが広まる事が願いでもあります。
日本は昔から『言霊』と言って、言葉に宿る特別なチカラがあると信じられてきました。
私自身も、『言霊』を感じます。
♬この先の連載で、これを実証できるものをお伝えしていきますので、楽しみにして頂けたらと思います。
☆言葉で傷付いた、幼少期の体験
さて、話は変わり、少しだけ。
私は過去にいじめの経験があり、言葉で大きく傷付いた事が、小学生時代にありました。今なら笑って言い返せる言葉でも、まだ10歳の私は、自分の中で、相手の言葉を処理する能力などはありませんでした。
言われたら傷付く。そして泣く。そんな学校生活でした。泣く事が、私自身の感情や気持ちの処理の方法だったのかもしれません。
言葉は、自分の感情や気持ちを表現できるものです。言論の自由など言われますが、何を言っても許される訳ではありません。
そして、段々と学校に向かう足が遠のき始めてもいました。
学校に行きたくないと思うと、体調が悪くなるのです。これは、大人になっても適応障害というもので、私は退職した事がありますが、幼少期は登校拒否というもので、現れていたのです。
大人になってからの適応障害は、退職をし、転職をする事で改善する事を期待できるものもあります。私はそうでした。
ですが、小学校は義務教育。そして、今でこそ学校へ通う事選択しない人もみられるようになってきていますが、私の幼少期の頃は、そんな時代ではありませんでした。
ですが、学年が変わり、クラス替えがあり、いじめる子と離れた事で、その問題は落ち着いたのです。
タイミングでした。
ですが、そのいじめっ子は、25年振りの同窓会で再開をし、和解をし、今では飲み友達になっています。そして、あの時いじめられたと、今やネタのようになっていますが、良い関係になれたと感じています。
こんな事もあるのです。
スピリチュアルに目覚める少し前の出来事でした。
言葉は人を傷付ける為に使うのではなく、人を癒す為に私は使っていきたいです。
言葉に『言霊』が宿るので、考えて使う事。そして大切にする事を忘れてはいけないと、今なら強く感じます。
感情や気持ちを大切にする言葉やコミュニケーションが、日常に在る生活は、愛と調和の人間関係を築いていける要素でもあります。
☆ここ数年で、働き方が大きく変わってきたようです
ここ2年程で、大きく働き方も変わり、会社に出勤しなくても、自宅で仕事ができるようになってきたりと、このコロナ禍を通過し、社会も変化してきました。
常に会社に出勤していた頃は、嫌な同僚、嫌な上司の存在が少なからずいた人もいると思います。
そんな嫌な同僚や、嫌な上司と顔を合わせずに働ける環境に変わってきているという事です。
人と直接関わる事なく、リモートでの仕事など、今までの会社の中の環境から大きく変化しています。
これからは、自分の好きな場所からリモートで仕事が出来るのです。PC一台で仕事が成り立つ時代です。何とも羨ましい限りなのですが、自分の好きな場所で仕事ができるという事は、対人関係のストレスも軽減される事に繋がるのだと感じています。
PCを使って、独立する人や起業する人も多くなってくると思います。因みに、私もそれを目指してはいます。
会社に出勤し、働いている就業時間内は、嫌な同僚、嫌な上司とその時間内は同じ空間で過ごさないとならなかったので、ストレスを感じていた事だと思います。
今まで、会社に出勤し、会社で仕事をし、時間になれば帰宅するという生活を会社勤めの人はされていました。コロナ禍の前は、当たり前のように通勤し、会社に行っていたのです。
ですが、未知なる感染症が世界に猛威をふるい、働き方も変化しました。リモートにより、人と接する事が少なくなり、自分のペースができるようになったのです。
会社で関わる人というのは、全ての人が自分と同じ『価値観』ではないので、必ずと言って良い程、自分の『価値観』と違う人とも一緒に仕事をする事になります。
一緒の『価値観』の人と仕事ができれば、仕事もスムーズに運ぶ事だと思います。お互いの意見を認め、共感し合う事ができるからです。
ですが、そのように『氣の合う人』ばかりではないのです。
※氣→エネルギーを表しています。「氣の合う人」というのは、自分とエネルギーの合う人という事になります。
リモートでの仕事ともなれば、リモートで繋がっている時間だけ関わりを持つ事になります。もしかしたら、リモートになった事により、仕事の業務内容的に関わりが無くなる可能性もあります。
そんな嫌な同僚や嫌な上司とは、限られた時間だけリモートで仕事での関わりを持てば良いので、会社に出勤していた時よりも、違う目線で、違う焦点で関わりを持てるようになるという事になるのだと思います。
今思うと、もっと早くにリモートで仕事ができるようになっていたら、会社での煩わしい人間関係の中、ストレスを抱えて苦しんでまで仕事をしなくても済んだのでは無いかと感じました。自分の心や身体を痛めたり、する事も少なかったと思います。
ですが、今回の世界的規模の感染症をきっかけに、気付く事ができたのだと思うのです。
「会社に行かなくても、PCがあれば、どこでも仕事ってできるんだ。」と、言う事をです。
もっと前からできたと感じた人も多いかと思います。
全てはタイミングなのです。そして、インターネットの環境が整い、それが可能になったから、このような選択肢が増えたのだと思います。
全ての仕事がリモートで可能になった訳ではもちろんありません。人と直接接する仕事である業種は、それは叶わないのです。
私の仕事も、後者でした。介護の仕事はリモートで行う事はできません。一部可能になった部分もありますが、直接介助を要する、現場の介護は、コロナ禍でも、感染症対策を徹底しながら続行されていました。
一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように
最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬
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