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★連載37★宇宙の法則:不干渉の法則④             

『不干渉の法則』から、価値観というキーワードとつながり、私は、自分の中の内側に存在している、この価値観というものは、自分の癖と言われる事や、自分の性質のようなものだと感じました。

言い換えると、個性と言われるものです。

そして、誰しもの中にも自分の精神世界の中に、自分の価値感というのは存在しています。

それはどの人も同じであるという事です。
価値観の全くない人は存在しません。

この価値観こそが、個人である、『私』を形成しているとも言えるからです。


『不干渉の法則』が教えてくれた事

自分の中の精神世界というものは、実は、自分の思い込みが創り上げてきた、自分だけの中に存在している世界に過ぎなかったのでは無いかと捉えるようになりました。

ですから、相手にとっての正義と捉えるような考えも存在しているし、相手にとっての人の為と捉えるような考えも存在しています。そして、親切だというのは、こういうものだというものも、自分自身の中で捉えているものがあるように、もちろん、相手にも存在しているのです。

これこそが、価値観の違いという事であるのです。

価値観の違いを正したり、変えたり、教えたりする事は必要ない事なのだと感じました。

いいえ、『宇宙の法則』の中では

できない事
必要ない事
してはいけない事

とも言えるのだと感じたのです。

『不干渉の法則』ですから、他人に一切の『干渉』を許されないという事なのです。

だから、自分は干渉されないし、相手も干渉しない。
だから、自分も干渉をしないし、相手も干渉しない。

という事になるのです。

ありのままに相手の価値観を認める事が大切なのだという考えに私は辿り着いたのです。

相手の価値観を認めるというか、相手そのものを、

『そういう人なんだね』
『ああいう人なんだね』
『こういう人なんだね』


ただ、相手の存在を知った。ただ、〇〇さんという存在を知った。知り合った。これだけで良いのです。

これを

『〇〇さんは、そういう人だから、〇〇だよね』
『〇〇さんは、〇〇だから、ああいう人なんだよ』

自分自身の価値観の色眼鏡で捉える必要が無いという事なのです。

誰しもが、自分の価値感を否定されたくないですから。
誰しもが、自分の価値感を変えようとされたくないですから。
誰しもが、自分の価値感を正されそうとされたくないですから。

価値観の色眼鏡で相手を捉えると、相手の価値観の色眼鏡で自分自身も捉えられるようになるのが、今までお話してきた『宇宙の法則』にもつながるのです。

1.『波動の法則』
2.『引き寄せの法則』
3.『原因と結果の法則』『鏡の法則』

相手の価値観をおかしい、間違いと捉えると、そのような感覚、感情、気持ちから、「相手がおかしい」という波動を発します。

そして、相手にみる、自分にとって、おかしいと感じる事を、引き寄せる事になります。

その引き寄せた結果、おかしいと捉える事が自分の眼の前の相手が現実化してくれます。

結果として、「相手がおかしい」から、正しいや間違いと、自分の中で善悪のジャッジをして、葛藤をする原因になるのです。

その葛藤が繰り返されれば繰り返す程、面白いくらい、「相手のおかしい部分をどんどん、見る事になってしまう」のです。

そして、苛立ったり、怒ったり、自分の感情は常に「相手のおかしい事への対処」につながるのです。


☆自分だけの色眼鏡だった自分が握りしめていた価値観とは


色々な価値観は存在していると分かっていても、自分の中の価値観というのは、共に生きてきて、成長してきたものなので、手放したくないのです。

変えたくも無いのです。

自分の価値感の中が、居心地良いではありませんか?

長い間、ずっと共に生きてきていたのです。
長い間、ずっと共に成長してきた仲なのです。

そうそう、自分の価値感を手放したり、直そうとする事ができないのが人間なのです。

ですが、自分の魂の学びがスタートすると、この精神世界の価値観と向き合う事になるのです。

何が正しか、何が間違いかという、『善悪のジャッジ』ではなくです。

正しいも、間違いも無かったという学びを進める事になるのです。

それこそが、『不干渉の法則』から言える事なのです。

『全てに於いて自由』
『無限の自由』

そして、『善悪のジャッジ』というものは、必要ないし、無用な捉え方、価値観であったという事を知る旅に出るのです。

これらが、人には与えられているという事なのです。

生まれてから、今の今まで人生という旅を歩んできて、自分と共に生きてきた価値観、成長を共にしてきた価値観、それらが本当に必要なものだったのか?価値観とは、自分とは?という事を自分の中で答えが出るまで知る旅になるのです。

これこそが、魂の学びなのです。

そして、この魂の学びをするもしないも、『不干渉の法則』である、『全てに於いて自由』であるという、『自由意志の尊重』につながるのです。

何を選択するか、選択する自由を与えられているのです。


この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。

一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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