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★連載47★他人軸とは『相対性の法則』他人から学ぶ事①          

他人軸と自分軸のお話をしてきましたが、他人軸という、他人を通じて学ぶ事は、『相対性の法則』というものなのです。

『相対性の法則』とは、関わる全てが役割があるという事です。

人生とは互いに結び付いた関係性の中で起きているという事なのです。人は1人は生きてはいけません。人と関わり合って生きています。そして、他人を通じて多くを学ぶのです。

どんな出来事も、起きた事は視点を変えれば意味も変わるのです。良いと判断し、「良い事が起きた」と選択すれば、心地良い感情を感じる事が出来るのです。そして、悪いと判断し、「悪い事が起きた」と選択をすれば、心地悪い感情を感じる事になるのです。

主観的になり過ぎず、客観的な視点を持つ事で、全体の大きなビジョンを眺める事ができるのです。

そもそも、良い事も悪い事も起きてはいないのです。
そのように捉えているのは、他の誰でもなく、自分自身なのです。


☆『鏡の法則』が教えてくれる役割という存在


自分の眼の前に、嫌な人が現れた時は、自分の心の状態である、波動や周波数につながる、感覚、感情や気持ちを発して引き寄せる事が『鏡の法則』として、結果として、自分の眼の前に現れるのです。

他人という存在がいなければ、この『鏡の法則』は成り立ちません。どんなに嫌いな人であろうと、どんなに憎い相手であろうと、存在しなければ、その「嫌い」と言う感情も、「憎い」という感情も、体感する事ができないという事なのです。

ですが、それらを映し出すにあたり、人は役割というものを演じてくれているのです。

言わば、悪役を演じてくれているようなもの。

現れた時に、そのように感じる事は難しいし、捉える事はなかなかできませんが、『宇宙の法則』を知ると、全ては必然であるという説明もつくのです。

自分自身が創り出した世界であるからです。

自分自身の波動や周波数につながる、感覚、感情や気持ちが外を映し出しているからです。

そして、『鏡の法則』を通じて、学んでいく事になるのです。

そして、それらを学びとして選択する事も、『不干渉の法則』で教えてくれている、『全てに於いて自由』であるという選択の自由があるのです。


☆袖振り合うも他生の縁・人の振り見て我が振り直せ


この言葉が教えてくれているのです。すれ違う人でも縁がある。そして、意味があり、役割もあるのです。

関わり合わずとしても学びはたくさんあるのです。
道を通っていて、ポイ捨てしている人を目撃した時や、店員に文句を言っている人を遠目から見たとしたら、そこから何かを学ぶ事になります。

「ポイ捨ては良くないから私はするのはやめよう。」
「店員が間違った事くらいで目くじら立てるのやめよう。」

こうして、直接関わり合わずとも、学びを得る役割として自分の前に現れる事もあるのです。

そして、それは、自分自身の行動からも、他人からどのように映るかも分からないのです。

自分自身にとっては、良いと捉える行動でも、他人の目に移ったら、悪い行動であり、その人にとっては、こうならないようにしようと思われる行動もあるのです。

人が、自分自身の行動をどのように捉えるかなどは分からないのです。

個人の価値観の中で判断し、選択するのですから、どのような行動が良い行動と捉えるのか、悪い行動と捉えるのか、千差万別なのです。

そのように、人は人と関わり合いながら、役割を持って現れているのです。

個人の価値観の中で選択をするので、何が良い行動と言えるのか、悪い行動と言えるのか、たった一つの正解というのは、なかなか見つからないのです。

結局は、自分の中の価値観の中である、答えの中で導き出しているのですから。


☆役割こそ、千差万別


私にとって良い人、良い事を学べる相手であっても、他人にとってみると、悪い事を知る存在だったりする事があるのです。その逆もあるのです。悪い事知る存在であっても、他人にとってみると、良い事を学べる相手であるというように。

どちらか一方だけを学ぶ為の存在というのは居ないのです。それこそが、役割なのです。

もしも、ある人が、他人にとって、悪い事を見せる、教える事が役割だけだとしたら、その人は、本当に悪い人という事になってしまうのです。

宇宙はそのような存在や役割は作らないのです。それは、個人の価値観から相手に何を写し出しているかという事なのです。

根っからの悪人は居ないという事なのだと思うのです。

自分1人の人生は、単体で起きているのではなく、互いが関わり合って、人生を築いていく

正にそうなのです。

それは同時に、良いも、悪いも無いという事でもあるのです。あくまでも、人それぞれの価値観からなのですから。

自分が苦手だと捉える人でも、他人から捉えると、尊敬される人で在る事もあるのです。

「あの人、よく〇〇さんと付き合ってなんかいられるね」
このような言葉聞いた事や言った事は無いでしょうか?

私はどちらもあります。

このような言葉を使うという時は、「自分が苦手な人や嫌だと思う人と、よく、仲良くできるね。」という事なのです。

それこそ、その人という存在が、良くも悪くも、人の学びになっているという事なのです。

良い学びと捉えるか、悪い学びと捉えるか。

そもそも、人が誰と付き合おうと、その人の自由であるのに、いちいち気にしている事が、問題なのかもしれません。


この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。

一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように

最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬


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