『20年後のゴーストワールド』第2章(6)さよなら、ゴーストワールド(最終回)
イーニドとひとしきり話をしたり、音楽を聴いたりしたけど、まだ話は尽きない。イーニドの目線が私のトートバッグを捉えた。バッグからポータルのカセットプレイヤーが少し見えていた。
「ねぇ、あなたカセットで何聴いているの?」
「あっ、これ?今聴いてるカセットは銀杏BOYZ。日本のパンクバンドよ。私はこのバンドのこのカセットがきっかけで、またカセットにはまったの。90年代の終わりから一時期カセットは古くさくて不便でダサいものの扱いになったけど、また人気が復活してるのよ。良いものは良いって」
「古くても良いものは良いって、シーモアを思わずにはいられないわね。得意げな顔が浮かんだわ」
私はカセットプレイヤーから銀杏BOYZのカセットを取り出して見せた。もう何べん聴いたかわからない銀杏BOYZの『DOOR』のカセットテープだ。
「私の部屋にもたくさんカセットあるけど捨てないようにするわ」
「うん、取っておいた方が良い!イーニドが髪緑色にして、カセットでバズコックス聴いてたシーン好きよ……あっこのカセットの銀杏BOYZのヴォーカルの峯田は、あのダイナーに居る長髪のくるくるパーマの"ブキミくん"に似てるかも!」
「えっそうなの、ウケる!」
その後、私の好きなバンドの動画をスマホで観たりした。イーニドもバスに乗ってきたダメ人間から度々スマホは見せられているだろうが、やはりそこは記憶が消されているのである。
「このジョニー・ロットンみたいな人は誰?」
「あぁこの人もジョニーって言うの。ジョニー大蔵大臣」
さすがは物好きの勘が働いたのだろうか、イーニドはパンクバンドの「水中、それは苦しい」が気に入ったようだった。
「20年後もこんな人がいて音楽をやってるなんて愉快ね……あなたはこの電話(スマホ)で、メッセージをやり取りして、おじさんに幻滅したってわけね……」
「そうなの、簡単にメッセージの発信ややり取りができるから故に、家電(いえでん)の時代とは違う弊害があるわ。まだおじさんは、一応言葉は通じるから、話し合ってみたいと思ったんだけどね。私の母のように意思疎通ができないわけじゃないのに、ある意味母より意思疎通ができない。話せて、文字も読めるのに通じない。歩み寄ったら少しはわかるはず、とそこでヤケになってしまったところもある」
「そういう人って、いるわよね。私で言うとあの美術の先生のロバータとか。話していることはわかるけど、感覚的には全然わかんないし、言葉が身体に入ってこない」
「あー確かに!重鎮のこと、おじさんだからシーモアっぽい立ち位置で見てたけど、シーモアというより、実際のところはロバータに近いかも」
「そうよ、あなたの方がよっぽどシーモアみたいだもの」
「ふふふ。おたがいに話しがかみ合わない時に、文脈が違うということだけでも認識できたら良いのだけどね。私のことバカにしてくるバカはそこがわからなくて、自分の文脈だけを押し付けてくる。イーニドの時代にSNSがなくて良かったかもね。あなたの素晴らしい絵を投稿したら、きっと万バズになると思うけど、きっと変なリプライややっかみにむかついて炎上騒ぎになるのが目に見えているわ……」
「この電話(スマホ)があったら"変なやつウォッチャー"しがいがありすぎるわ、きっと。仕事もせずに四六時中ずっと見てしまいそう。音楽も聴けるし。そしてマッチングアプリで変な人と出会いまくって奇行に走ると我ながら想像がつくわ」
「あっそうだ、イーニド私の似顔絵、どんな絵を描いてくれたの?」
イーニドは私と話しながら絵をせっせと描いていたのだった。私はいつも食事が早食いで、普段はあっという間にご飯を食べ終えてしまうのだが、誰かと食事しておしゃべりに夢中になると、普段の早食いが嘘のようにまったくのスローペースになってしまうから、イーニドが話しながらいつの間にか絵を仕上げていたのには驚いた。
イーニドが自信たっぷりな顔をして、スケッチブックをこちらに見せてくれた。
私は見た瞬間に笑った。
「ふふふ、何これ!私、椅子のTシャツ着てる!」
イーニドが描いた私の絵の私は、今日着ていた服ではなく、椅子の絵のTシャツを着た私がカラフルな色彩で描かれていた。
「あなたが、"椅子は自分で作る"って言ってたの面白いと思って!」
「えっ!それなの!」
「ここに記憶に残るような文字を書くのはNGだけど……裏技よ」
「やるなぁ、ありがとう!」
椅子の絵のTシャツといえば、かつてエレファントカシマシのグッズにあった。エレカシのステージには宮本がまだギターを立って弾けなかった頃、座って弾くようにパイプ椅子が用意してあり、それが今もある。時にギターを弾く用、時にお立ち台代わりになるパイプ椅子。バンドとともに歴史を歩んできて、毎度ステージに置かれてボロボロだ。それはもはや、バンドにとってお守りみたいな存在で、"男椅子"という名称でファンからも親しまれている。その男椅子の雰囲気を想起させながらも、イーニドが描いてくれたのは肘掛け椅子だった。座ってホッとできそうな座り心地も良さそうな椅子だった。
スケッチブックと私を交互に見ながらイーニドが言う。
「あなたのモヤモヤはあなただけの大事な感情ではあるけど、いつか私に共感できないあなたになってほしい。多くの人が大人になって思ったように、私にもあんな時あったなぁと笑い飛ばしてほしい。あくまで根っこは私のこと好きなままでね」
運転席で、あのヌンチャク男が騒いでいる。
どうやらバスはもうすぐ終点らしい。
別れの時が近づいてきた。
そこで私は思う……
このバスはどこに着くんだろう。ここまでギャグ展開だったから、すんなり吉祥寺駅に降ろしてくれるとは考えにくい。まさか、あの『さらば青春の光』のベスパのごとくバスごと崖から落ちちゃうとか……えっ『バニシング・ポイント』みたいに爆走の末の激突?あらゆる映画のラストシーンを思い浮かべたが、頭を過ぎるのは事故るものばかり……。
えっまさか、梅子さんのファンだからってウラジオストクで降ろされるとか(『普通の人でいいのに!』冬野梅子)あり得そう!いつか実際に行ってみたい気もするけど今なのか!ここ近年、年末にその年の心の負債が引き起こした波瀾万丈なあれこれが大爆発して、私はウラジオストクに行くしかない気持ちに毎年なってはいたけれど!
イーニドが言う。
「ねぇ、あなたの安らぐ時が死ではないことを願うわ」
「ここでのこと、なかったことにしたくないから私は生きるよ。そんなにすぐに上手くいかないと思うけど。イーニドが忘れちゃっても、私は覚えているから。忘れちゃってもきっとどこかに残っているから」
まさかここで母に対して思う気持ちと似た言葉を口にすることになるとは思わなかった。母は私のことも忘れてしまって、もう何もわからないけれど、母と接していて、母は母だなと思う時がふとした時にある。
「なにそれ、ズルい。でもきっとそういうものよね。ダメなままのあなたでも、そうじゃなくなったあなたにでもまたいつか会える気がする。この会える気がするって気持ち、安らげる時が来ると思うのと同じくらい不確かなことだけど、そう思っていたいわ」
「ね、またたくさん話しよう。良いことも悪いことも。たとえ忘れちゃっても」
「そうよ、忘れちゃっても私は、私」
今回のストーリーで私は重鎮との出会いがトリガーにはなったけど、ずっと心に蓋をして逃げまどっていた苦しみの正体の村井と向き合うことになった。ショック療法であった。それはまるで大槻ケンヂの『グミ・チョコレート・パイン』で主人公の大橋賢三が修行してヒロインの山口美甘子と対峙した時のような。私はずっとグミチョコの最後、パイン編のようなジリジリとした気持ちで生きてきた。失恋したままの気持ちでゾンビのように生きてきた。
村井のことを考えるだけで具合が悪くなった。重鎮の言葉を思い出すたび胸くそが悪くなった。でもストーリーにして、感情と向き合うというショック療法を自ら半年もかけて行った。負の気持ちの整理ができただけよかったけれど、先行き不透明どころか何もない。しかし、どうせダメ、どうせ書けないという気持ちを振り解いて、感情と向き合って文章を書きはじめることができただけでも、まだ前には進んでないかもしれないけど一歩踏み出せた気がする。長年抱えてきてしまったぐちゃぐちゃな気持ちはすぐには吹っ切ることなどできないけど、少しずつでも歩いて行きたい。グミチョコでいうところの、ジャンケンでずっとグーの『グミ』の連続のなかなか前に進まない歩みだとしても。
きっとこんだけ消えない傷だ、一生葛藤は残るのだろう。消えない傷をなかったことにして生きるのは前向きとは違うと思う。死ぬのと同じだと思う。忘れることなんてできないことを忘れたフリをすることは、精神を麻痺させて結局は死んだように生きる、それは死と変わらない。
こんな重たい気持ちで生きているから、私も早いところ母みたいに記憶を失ってしまいそうな怖さもある。ショックなことほど記憶喪失みたいになる。それは驚くほどに覚えていない。だから、書けるうちに書いておかないと、とも思う。書いて解放させて、今後生きるための記憶の容量を確保しないと何かの大きなショックで全て飛んでしまいそうだ。
さみしさと、そう簡単には気持ちが軽くならないであろう、色んな気持ちがない混ぜになった表情の私を見て、イーニドは言う。
「ね、そんなに思いつめないで!この先も人生うまくいかなかったらまた30年後のゴーストワールドを書けばいいのよ」
「ははは、そうなりそうで怖い!私10年後もまた書いてそうだね」
早くバスから降りろとヌンチャク男が急かしてくる。バスの運賃は無料だけど、延長料金は日本武道館1日分のレンタル料金だそうだ。そこは乗車時の利用規約を読み落としていた。えっ……いくらか検討もつかない。今Yahoo知恵袋も見られない。延長料金のせいでたぶんバスを降りた途端に路頭に迷うので、とにかく早く降りた方が良い。
この突然のバス旅、結局どこを走っていたのかは全くわからなかったが、ヌンチャク男にも世話になったので、最後に一言、お礼を言いたかった。
「吉祥寺駅の公園口に向かう商店街を無理矢理バスが入ってくる道があるんだけど、そこを運転できるようになったら世界一のバス運転手だよ、いつか挑戦してみて!今日はありがとう」
ヌンチャク男はまた「オッケーよ」のサインをした。
「じゃあね、ありがとうイーニド!」
私はとっさにカセットプレイヤーからカセットテープを取り出してイーニドに渡した。
イーニドがびっくりしてそれを受け取った瞬間、私はアイドルの特典会で言うところの剥がされるように外へ吸い出されて、最後の言葉を遮るようにバスの扉は閉まってしまった。
最後にイーニドは
「万が一おじさんとヤッたら教えてね」と言っていた。
なかなか開かなかった瞼をこじ開けると、陽の光が眩しい。ただ暑いだけで、何も夏らしいことができなかった2024年の夏が、ジリジリと目の前で終わろうとしていた。
目が覚めるまで、全身麻酔をした時のように世界が真っ暗になった。小学生の時、入院して手術した時と似ていた。いつも目を閉じている時よりはるかに色が重く、真っ暗で真っ黒な世界。一瞬死んでしまったのかと思った。死ぬ時もきっとあの暗さなんだろうと思う。あれほど生きる方向で話がまとまってたのに、そういう笑えないギャグ展開?なんだか途中から『ゴーストワールド』というより『銀河鉄道の夜』みたいになってたじゃん。いやいやいやと思っているうちに、小学生の時、手術した後、私の名を呼んで目覚めさせた時と同じ看護師さんの声がした。
あの時は、入院中母がずっと付き添ってくれていたなぁ、あの頃の母は今の私よりずっと若かったんだな。手術の日に、父がちびまる子ちゃんのおもちゃを買って仕事前に見舞いにきたなぁ、入院してた隣のベッドの小五のお姉さんが「りぼん」貸してくれたっけな。
そんな忘れていたはるか昔の記憶が走馬灯のように蘇ってきた。子供の時、引っ越した先々の茶の間の風景が出てきた。今も不思議なことに夢に出てくる実家の風景は、現在父親が住んでいる実家ではなくて、小学二年生の時のつかの間の仮の住まいの実家が出てくる。そしてまだ若い母が当たり前のように、私に話しかけてくる。記憶の渦に飲み込まれて、このままではこれは三途の川ルートだ。必死に私の名前を呼ぶ看護師さんの声に耳に傾けた。
私はベンチに座っていた。
見慣れたいつもの風景、井の頭公園。
とっさにバッグからカセットプレイヤーを取り出した。銀杏BOYZの『DOOR』のカセットテープはなくなっていた。
第二章、完。
脳内BGM
ユレニワ「あばよ、ビューティー」
ダンカンバカヤロー!「アメリカンスピリット」
ユレニワは私にとってのレベッカが教えてくれたバンド。ユレニワは昨年若き才能が迸ったまま、解散してしまった。この曲は、はじめてユレニワのライブに行った日に、ライブハウスからこの曲のリハの音が漏れ聴こえてきたのをレベッカと聴いた。とても好きな曲で第二章はこの曲をイメージして書いた。ストーリーを書き進めるほど、歌詞と情景がかなりリンクして、自分の思い描くものと一体になっていった特別な曲になった。
ここ近年の苦悩の日々に一番聴いたであろう、このダンカンバカヤロー!の曲を最後どうしても入れたかった。
saku saku(TVK)「吉祥寺のうた」
今はなき風景に泣ける。
(吉祥寺駅の公園口に)"無理矢理バスが入ってくる道"の歌詞を引用しました。私は毎日このバスに乗っている(なぜかリンクが貼れませんが、画像を押すとYouTubeへ)
ストーリー全体の表題曲は
黒沢健一「Round Wound」
中学生の時から好きな曲ではありますが、歌詞がここ近年しみて、その影響でこの文章になりました。
※ この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
最終回までお読みいただきましてありがとうございます!22週間毎週更新となりました。たぶん全部で10万字くらいになったかと…当初はもっとライトに書こうとしていたのに卒論より長い文章となりました。
12/1の文学フリマ東京39でこちらを本にして販売予定です。その本にエピローグやあとがきをまた書こうと思っています(人物相関図や、参考文献などなど補足して書きたいことも沢山あります)しばらく、本の入稿作業に向けてnoteの毎週の更新はお休みしますが、また次のストーリーも書き続けたい気持ちでいるので、ぜひこちらのnoteをフォローしていただきたいです。スキ❤️やリポストも是非お願いします。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。