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小淵山観音院の円空仏祭、宝珠花神社と水角神社の富士塚(埼玉県春日部市)【前編】

5月の連休最終日。埼玉県の春日部市まで車を出した。
そういうわけで今回紹介するのは、小渕山観音院の円空仏群、それから宝珠花神社と水角神社の富士塚
関東平野の真っ只中。その平坦な荒野を突っ切るように走る4号バイパス。車窓を流れ去る住宅街、ロードサイドのチェーン店。それから工場、畑、利根川、山田うどん、山田うどん、山田うどん……。
そんなサバービアンな風景のなかに、古い神社に史跡、古墳群など、民話めいたスポットが点在しているのだった。

知名度的には、なかなかマニアックなスポットである。地元の人間でもあまり知らないようなところだ。わざわざそこを訪れるなんて、とても奇特なレポートになるかもしれない。このまま読み進めてみてはどうだろう!?

極私的カスカベ 怨歌2018

ここで今回の舞台となる春日部について言及したい。以下、本旨から離れた記述がしばらく続くことが予想される。ここはススッとスクロールで飛ばしてくれても構わない。しかし「枝葉に入って本旨を見失う」というのが私の本質だ。そこから新たな本旨が生まれたりするかもしれない。だから几帳面に読んでくれても、それは一向に構わない。どうもありがとう。

さて春日部といえば『クレヨンしんちゃん』の舞台だ。きっと全国的には、それで一番よく知られている。埼玉県にある、典型的なベッドタウン。住宅街が広がり、駅前には適当にスーパー、チェーンの飲食店などが建ち並ぶ。これといって特徴はないが、暮らしやすそうな街。そんなイメージではないだろうか。それもまた正しい。
しかし意外にも春日部という街の歴史は古い。江戸時代には日光・奥州街道の宿場町として賑わった。かの松尾芭蕉も『奥の細道』で訪れている。
それから桐タンスでも有名だ。近年、父と娘の泥みどろ権力争いで一躍脚光を浴びた大塚家具だが、この春日部が創業の地。桐タンス職人に企業のルーツがあるのだ。
ちなみに娘が引き継いだ「IDC大塚家具」のショールームは、今年の5月27日をもって撤退。現在閉店セール中らしい。しかし父が新規に立ち上げた「匠大塚」は、駅の反対側でいまだ営業中と聞く。
……そうなのである。なんと春日部駅を東西に挟み、娘と父の家具屋がにらみ合うように配置されているのだ。これはすごい状況。大っぴらに呪術合戦が繰り広げられているようなもの。父と娘の愛憎と桐タンスの神話が、そこに紡がれている。これは是非ともIDC撤退前、両店舗ハシゴしての桐タンス比べがオススメ! 
……と書いてみたけど、そこまでの熱意は私自身にもない。それにしては大塚家具の話が長くなったな……。

さて、どうして春日部についての言及をしつこく繰り広げているのか。

それは私が春日部市出身だからです。

いまは春日部から離れ、都内で暮らしている。しかし地元の友達からは色々な話を聞く。距離もそう離れていないし。でもやはり我が故郷の辺境・荒涼感はいかんともしがたくある。例えばヤクザ組織と市議会議員、商工会議所とか青年会が駅前の土地の……とか、そういうのはマジで書いたら怒られそうだけど、とりあえず大塚家具、ラーメン屋新店情報なんかの話題は地元じゃマスト。EXILEはパイセン。ほぼマイルドヤンキーが標準。

「クレヨンしんちゃん」については、小さい頃から原作マンガも読んでいて(初期の頃は露骨にHな描写もあってドキドキした)、作者の娘が高校の同級生の友達の友達くらいの知り合いと付き合っていたという噂を耳にした(ものすごく遠いね)くらいに親しんできた。

宿場町としての歴史、特産品の桐タンスについては、小学校の社会科で『かすかべ』というタイトル(たぶん)の教科書を与えられ、それで学習した。

そういうわけだから、春日部については当然よく知っている。思い入れが十二分にある。しかしそれは愛憎といってもいいような種類のものだ。生まれ育ったこの環境が、物心つく頃からイヤで仕方なかった。しかし必然的に数々の思い出、様々な感情がそこに堆積している。ただ一言「嫌いだ」で済ませられるようなものでもない。
複雑な心境を、私は春日部という故郷に抱いている。それはまるで大塚家具の娘社長が父に抱いているような思いである。いや実際に父娘がどうなのかは知らないけど。

……とまあ何故か意味深に結び、いい加減そろそろ本旨に入ります。どうもお疲れ様でした。

小淵山観音院の円空仏群

円空仏祭という催しが、毎年5月3日〜4日に小淵山の観音院で行われている。その期間中、県の指定文化財になっている円空仏7体が特別公開されるのだ。
それらは普段、県の博物館に預けられている。しかし祭りのときだけは元あった観音院のお堂に戻され、そこで間近に対面できる。これは貴重な機会で逃す手はない。ということで、はるばるやって来たのである。まあ地元なんですが。

位置情報。Googleマップが貼り付け可能になったので、早速試してみる。
電車だと最寄りは東武伊勢崎線・北春日部駅。そこから徒歩約15分。国道4号と16号がクロスする辺り。もし東京方面から車で来たのなら、そろそろ辺境を強く感じはじめるゾーンかもしれない。

入り口の山門。両脇には仁王像。その前に立ち並ぶ木彫りの柵が面白い。他ではあまり見ない。

恥ずかしながら、この観音院の存在も、毎年行われる円空祭についても、これまでまったく知らなかった。教科書では習わなかったはず。それでついこの間、幼なじみに教えてもらった。彼は奇特な人物で、常日頃から地元のこのようなスポットを練り歩いている。まるで諸星大二郎のマンガに出てくる怪しげな郷土史家のように。今回は彼にも同行してもらった。

さて実際に現地に来てみると、大きい道路の脇で周囲は住宅街として開発されているのだが、寺の周りはこんもりと森に覆われるようになっていた。
そこだけが取り残された領域のようで、とても風情がある。門やお堂は全体的に古びていて、各所にある木彫り彫刻もなかなか凝った造形。

まずは本堂にお詣り。そしていよいよ円空仏と対面する。拝観料は500円也。靴を脱いで、お堂のなかへ上がらせてもらう。

7体の円空仏が、わりとラフな感じに並んでいる。
フラッシュとかライトは禁止だけれど、撮影自体は自由。バカでかいレンズを持ち込んで、あらゆる角度から撮影している好事家らしき人もいた。お堂は薄暗く、撮影担当ハナコと郷土史家は露出関係で手こずっているようだった。「うまく撮ってくれたまえ」と私は二人にざっくりと指示を与え、目の前の円空仏をじっくりと見つめた。

こちらの七体は、円空仏にしては随分しっかり掘られて意匠も細かい(円空仏は、木をさっと掘り削っただけというイメージが強かった)ようにも思った。とはいっても、やはり円空らしさを強く感じる。このはっきりと分かる個性が、古来より熱烈なファンを生んできたのだ。

・円空と円空仏
さて、ここで円空と円空仏について解説。当ブログは親切だから、というよりも私自身ちゃんと理解しているか怪しいから、いまウイキペディアなどを見て備忘録キュレーション的にまとめてみよう。

円空は寛永9年(1632年)、美濃国(いまの岐阜県)に生まれたとされている。幼少期に出家して、やがて諸国行脚。青森経由で蝦夷(北海道)にも渡ったという。そして行く先々で仏像を、それはもう彫って掘って掘りまくった。だから南は三重、奈良、北は北海道、青森まで、全国各地に円空の手による仏像が残されている。全国累計で現在5万3千体以上が発見されている。一説には生涯に約12万体もの仏像を残したとも言われている。とにかく全国を行脚して、めったやたらと木彫り仏像を彫りまくった人、それが円空。ウォーク&ディグ、エンクー。

というふうにまとまった。お分かりいただけただろうか。

そして彼の残した円空仏
その特徴としては「ゴツゴツと野性味に溢れた造形ながらも不可思議な微笑をたたえている」ことが挙げられる。

なるほど不思議な微笑。……喜んでいるような悲しんでいるような。いわゆるアルカイックスマイル。これが円空仏の微笑である。

「現代で言えば量産型の仏像として製作し、野に置かれる事を望んでいたのだが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、大寺院で秘仏扱いされる事もあった」

ウィキペディアにはこのようにも記載されている。まさに現代においてそうであるように、自分の仏像に大仰な付加価値が乗り「作品」化することを彼自身は望んでいなかったらしい。
だがその「作品化」のお陰で、我々がこうして対面できる。それは少し皮肉であろうか。しかし美術館や博物館ではなく、元々そこにあった小さなお堂での対面は、大変ありがたみのある作品鑑賞なのだと思う。まさに僥倖であった。

円空仏の、じっくりと見れば見るほどに、なんとも味がある表情。それが写真だけではなく自分のイメージにも強く残った。

これは観音院の仏像を彫る円空の図
自分で木に登って、そこに仏を直接「掘り出す」という感じだったようだ。それをみな拝んでいる? 一体どんな制作現場だったのだろうか。どこまでも興味が尽きない円空仏である。

◆ARATAと円空仏

「ああ……あれが円空仏。なんとも慈悲に溢れたような、あの目の表情がなんとも言えず……。ああ、ああ……良い……」

そして大変に感じ入った私は、お堂を出た直後から、とにかく感嘆、しつこいくらいに嘆息を漏らし続けていた。円空仏と同じくらいに目を細め、アルカイックな表情を作りながら。
これは俳優のARATAの物真似をしていたのである。

さて円空仏といったら『日曜美術館』ナビゲーターをしているARATAであろう。
「え、そうなの?」と思った人はちょっとニブチンなんじゃないかね。

円空仏といえばARATA。これは常識、世界の定説ですよ。

……はい、論破。(してないね別に)

ハナコが好きなので日曜の朝、よく一緒に番組を観ていた。少し前に円空仏の特集スペシャルを放送していた。そこでARATAはレポーターとして日本全国を巡って様々な円空仏を紹介する。
そのときの感嘆ぷりが、とてもとても面白かったのである。

「いやー、円空さん。……これが。……この微笑が、なんとも。ああ、円空さんの想いがですね、時を超えて、いま自分に……。ああ円空さん……」

とにかく感動している。本当に円空に思い入れがあるのだろうなと思う。そんな彼を見ているだけで、こちらも大いに楽しめた。

念願だった非公開の円空仏と対面するARATA。
その細められた目、穏やかな佇まい。円空仏のレポートをしている彼の表情が、段々とその円空仏そっくりに見えてくる。その長い嘆息、深い感嘆の呻き声がいつまでも耳に残った。

……これは物真似したくなって当然だろう。

だから円空といえばARATAである。

これは世界の論破です。

「ああ、円空さん……。これが……円空仏の、あの微笑みの……」

まだまだ私はARATAをしつこく繰り返した。
「わりと特徴をつかんでる」と珍しくハナコも褒めてくれるものだから、満更でもない。

「でも今年の4月で番組降りたよね、ARATA」

同行していた郷土史家がポツリといった。

「え、マジで!?」

私は驚いた。同じくハナコも衝撃を受けたようだった。そういえば、ここしばらく『日曜美術館』見てなかった……。

ああ、そんな……。
ARATA、いやARATA改め井浦新
あなたはいま、どこでなにをしているのだろう。

……って、まあ普通に芸能活動を続けてるだろう。ドラマとかCMで最近も見たような気がするし。
でもなあ。井浦新、あの番組に本当に合ってたんだけどなあ。

◆円空カフェ

境内には円空カフェという手作り感溢れる休憩所もあった。

クリームパンにチョコで「円空」って書いてある。入場チケットのデザインも格好いい。あときっと関係ないだろうけどテーブルカバーもサイケ模様でイカしてた。運動会テントの下、しばしお茶を飲んで休憩。焼き菓子も食べた。とにかく全体的に手作り感溢れるカフェ。面白かった。

◆山門にも登れた!

お寺の入り口の門。これもかなり歴史を感じさせる建築。かなり古そう。

なんと、この山門に登らせてもらえた。地元のボランティア(恐らく)の方が、下と上でしっかりと梯子を固定して誘導してくれる。

登るにあたっては、こんなサインも必要になる。コンプライアンス的な? ちょっとビビる。実際に門を見上げてみると、かなりの高さがある。でも年配の女性の団体もガシガシ登ってた。

やはり結構高い。むかしはここに旅人や巡礼を泊めたりしていたのだろうと、上で梯子を支えてくれていた方が説明してくれた。
なるほど、こんなところで旅人や巡礼が雑魚寝して、なかには老婆や盗賊もいて死体から……とかつまり芥川龍之介の『羅生門』が想起された。こんな古めかしい楼閣に登れることはあまりないだろう。芥川文学の世界に浸ってみたい人にもオススメ。
この山門も指定文化財になっていて、数年前に補修工事されたらしい。

お堂と門は文化財の予算が下りて補修されているが、門の両脇に納まっている仁王像はその対象外。応急的な修復しかされていないそうだ。たしかにあちこち欠けていたり年季が入っている。でも、これはこれで風情と迫力があるように思う。

満身創痍の仁王像。その横顔。

というわけで一行は円空祭りを満喫。次も同じ春日部市内、ある神社へ向かうことになった。
そこには江戸時代に盛んに行われた富士講のシンボル、富士塚がいまでも残されているという。

書いているうちに、ついまた長くなってしまった。

……というわけで、

後編へ続く

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