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小淵山観音院の円空仏祭、宝珠花神社・水角神社の富士塚(埼玉県春日部市)【後編】

前編からの続き。

続いて向かったのは、宝珠花神社。そこには江戸時代からの富士塚がある。
小淵観音院と同じ春日部市内の神社だが、かなり端の方にある。すぐ側の江戸川を渡ったら、そこはもう千葉県だ。その江戸川の河原では毎年大凧あげ祭りが行われている。実はこれにも行ったことがない。私の実家は市の反対側の端っこにあって、かなり距離がある。

田園に世田谷レプリカント

目的地まで移動中、運転席のハナコがこの辺りの景色をさかんに褒めた。

「田んぼと畑とあぜ道、それから古い農家に屋敷森。ちゃんとした田舎だね。いい景色」

彼女の言う通り、見渡す限り田園地帯、所々に樹木の緑。空はよく晴れて青く、そこに白い雲。長閑な眺めだ。ドライブするのにも気分がいい。

「ちょっと前まで、世田谷もこんな感じだったんだ」

「……その『ちょっと前』って、どれくらいの話?」

「明治とか大正くらい。徳冨蘆花が住んでた頃」

「100年くらい前は『ちょっと前』じゃない。だいぶ昔だ」

ハナコは世田谷育ちのレプリカント。だから時代を超えたような発言を頻繁にする。

「いや100年なんて『ちょっと』だよ」

彼女は私と同年代のようにしか見えないが、どうやらその時代からすでに存在していた、もしくは人工頭脳にメモリーがあるらしい

「……ここには、むかしからの人たちが、そのまま暮らしてる。土地の歴史がずっと続いてるんだね」

それは私も感じていた。いわゆる「日本の田舎」という原風景的な要素が色濃く残っている。同じ春日部市内でも、私が生まれ育った地域とはかなり雰囲気が違うなと思った。

「そう、ぜんぜん違う。あの辺りは田舎っていうか郊外? ほんとに殺伐としてるよね」

周囲の景色との対比から、彼女は私の地元への批判を展開した

「ひたすら平坦な土地をバイパスが突っ切ってて、そこに泥みたいな川とか無機質な工場に鉄塔とかマンションとかチェーン店とか……」

私自身、彼女と同じ意見ではある。今日も都内から地元の辺りを通ってここまで来たわけだが、改めて見ても殺伐とした風景だった。
だが他所の人間にそれを指摘されると、やはり悔しい。なにか言い返してやりたくもなる。

「へっ、世田谷なんか、グルコサミンじゃんか。世田谷育ちのグルコサミン、ぐるぐるぐるぐるグルコサミン。そのイメージばっかり浮かぶ」

「だから! あの会社は世田谷に関係ないの。ただ世田谷ブランドを安易に利用してるだけ。ほんと迷惑だ」

「グルコサミンと成金とミーハー芸能人が、これ見よがしに外車を乗り回す。それからセレブ奥様ランチ。世田谷ってそんなところだろ。それを文化というなら……」

世田谷育ちの彼女に世田谷育ちのグルコサミンの話をすると、いつも機嫌が悪くなる。続けてぶつけたステレオタイプな世田谷観にも、やはり気を悪くした様子の彼女だった。

「むかしからの雰囲気が残ってる世田谷だって、沢山あるのに。もう知らない。しばらく私は黙る」

人造人間は本来、感情を持たない。しかし高度なプログラムによって表情筋や声色に変化が表れ、いかにも人間らしい感情が模倣される。その機能に従って、彼女はムスッと頬を膨れさせた。

「……ほら、この辺はむかしの街道がそのまま残ってるんじゃないかな」

その場を取りなすように、後部座席から郷土史家のガイド音声が入る。

「あ、ほんとだ。……いいねえ」

目的地が近づいて、車はひなびた街並みを走っていた。それで彼女は機嫌を修正して、街道に関する蘊蓄を語り出した。

「うん。この道幅、街道って感じする」

古くからの街道は道幅が狭いのが特徴らしい。隣接する家屋や商店にも古い造りのものが目立つ。彼女は嬉しそうにハンドルを切る。ハナコは古いもの、滅びゆくものを愛好してやまない一風変わった人造人間なのだ。

間もなく目的地に到着。

宝珠花神社の富士塚

この神社には木花開耶姫命、菅原道真公、経津主神、素戔嗚尊の4柱が祀られている。明治40年に近在の天神社、香取社、浅間社、八雲社が合祀され、村の名前から宝珠花神社と命名された。
ちなみに4社の創立年代は不明。かなり古くからのものらしい。

狛犬。かなり年季が入ってる。

神社のすぐ裏手には江戸川の土手。向こう岸は千葉県になる。神社のある埼玉側は住所でいえば西宝珠花。千葉県側は東宝珠花。この辺りは江戸時代までは下総の国で、元は1つの町だった。それが江戸川の河川改修によって埼玉と千葉に分断されたのだ。

案内板にその歴史が書いてある。江戸から明治にかけて江戸川は運河として利用され、ここ宝珠花は流域でも有数の寄港地として大いに賑わったそうである。古い街道に建物など、その名残は随所に感じられた。
また江戸川堤防改修の際には「曳家」という家屋をそのまま引っ張って移動させるというダイナミックな引っ越し方法で、町ごと数百メートル移動させた。この宝珠花神社も、そうやって現在地に移動してきたらしい。

富士塚と有形文化財の扁額

こちらの神社には富士塚があり、その前の鳥居には市の有形文化財の扁額が掛かっている。

扁額の表には「三国㐧一山」とある。また裏にはこれを造った粕壁(かすかべ)の鋳掛師の銘と製造年が記されている。この扁額は天保四年(1833)に一帯の人々が富士登山121回を記念して奉納したもの。この地域において、富士講が盛り上がっていたことが窺い知れる。

◆富士講とは

さて、ここで富士講についてキュレーションする
馴染みのない人には馴染みのない言葉であろう。だが富士講は戦国〜江戸時代まで盛んだった民間信仰で、その痕跡が関東全域に残っている。

富士講とは富士山を信仰の対象とした結社であり、活動内容としては定期的に行われる「オガミ(拝み)」、そして富士登山(富士詣)がメインとなる。オガミにおいては教典である「オツタエ(お伝え)」を読み上げ、「オガミダンス(拝み箪笥)」とよばれる組み立て式の祭壇で「オタキアゲ(お焚き上げ)」をする。このように一気に記述すると、なにやらカルトめいた匂いがしてきそうであるが、実際のところは素朴な民間信仰として庶民に広く信じられていた。
その教義も至ってシンプルというか素朴なものである。要約すれば「良い事をすれば必ず良くなる。悪い事をすれば必ず悪くなる。だから稼業に精を出して真っ当に働いてお金を稼ぎ、病気もせずになるべく長生きしましょう」ということを言っている。とても素朴で庶民的だ。
富士講は村落共同体の代参講であった。つまり信仰の対象である富士登山には誰もが行きたい。しかし当時は庶民の誰もが行けるわけではない。そこで皆でお金を出し合って資金を作り、代表者が全員分の思いを背負って富士を詣でる。そのようなシステムで成り立っていた。
また信徒の富士詣でを先導、参拝、宿泊の世話をする人々も存在した。それを御師(おんし)と呼んだ。彼らは富士の麓に居を構える指導者であり、ガイドのような近い存在であった。

そんな富士講の信者たちは、実際に富士山まで行けなくとも、ありがたい山を間近に拝みたい、そしてやはり登ってみたいと願う。その願いが形になり、都内(江戸)を中心とした関東全域に現在も点在するミニチュア富士山、それが富士塚である。

これが宝珠花神社の富士塚。なんと溶岩でつくられている

一口に富士塚といっても規模や形態は土地によって様々だ。現在でも都内には「江戸七富士」と呼ばれる7つの富士塚がある。それぞれに個性があるから、都内の人は散歩がてらに訪れてみるとグッド。実際に登れたりもして、これが意外と楽しい。この7つ以外にも探すと結構ある。都内をぶらり練り歩いていると不意に発見したりする。また埼玉県では川口にある木曽呂の富士塚が有名で、重要有形民俗文化財にもなっている。

富士塚の頂上。江戸川の堤防よりも高い位置にある。これで霊峰富士に登頂したのと同じくらい功徳を得られた。この地域の人々の祖先が築き上げ、代々で拝み、登ってきたものだ。いまでも初山神事が行われているらしい。まさに地域のランドマーク。歴史と文化を象徴している。

古くからある4つの社が合祀されているからだろうか。神社の境内には、富士塚の他に気になるものが幾つかあった。
郷土史家はそれらに注目して写真に収めていく。そして「これは……」とか「……いや違うか。また別の」などと意味深な呟きを漏らす。それにハナコも呼応して「でも地脈が」「もしかしたら……」などと謎めいたやり取りがそこで繰り広げられる。正直言って私の歴史的知識はすべて付け焼き刃もいいところだから、二人がなにを話しているのか謎。なんとなく諸星大二郎マンガの雰囲気に浸って、いかにも自分も分かっているような顔でただ突っ立っていたのであった……。

くるまやラーメンは味噌が旨い!

ところで、この写真の旨そうな味噌ラーメンは、実際にとても旨かった
にんにくでパンチが効いたこってり味噌味。麺は太麺でもちもち。チャーシューは近年流行しているトロッと系ではなく、ぎっしり肉ぽいタイプ。私はこっちの方が好みである。トッピングされているのは辛味ネギ。不動の王者味噌ラーメンと並んで、こちらの辛ネギラーメンも人気メニュー。

「埼玉の道路には、チェーン店の看板が街路樹の代わりに生えてる。その景観がとてもダサい」

世田谷レプリカントは、こんな台詞まで言い放っていた。それもまた事実なのだ。地元の私は悔しいが否定できない。

そんな彼女のリクエストで昼飯に入ったのが、くるまやラーメン。こちらバリバリのチェーン店です

くるまやラーメンは昭和43年に足立区で創業。最初期は車を改造した屋体で営業していたことからのネーミングである。その後ラーメンブームに乗って全国展開。一時期は業績が悪化したが、現在は再び業績を回復して全国に250店以上展開している。

「でも都内の私の活動範囲だとぜんぜん見なくて珍しい。それに大手全国チェーンとは違ってなかなか趣きもあって、いいんじゃないのかな。この味噌ラーメン美味しいし……」

そのような言い訳オーラを放ちながら、ハナコは味噌バターコーンを完食した。ちなみに郷土史家は王道の味噌ラーメン。結局、全員が味噌を頼んでいた。とても満足した。
くるまやは、味噌が一推し。(でも醤油も旨いかもしれない)

【道の駅 昭和】 うどん激しくオススメ。

バイパス沿いにある道の駅にも休憩で立ち寄った。

別棟テナントに、幾つかの飲食店が入っている。ここはフードコート形式で好きな店で好きなメニューをチョイスして食べる。しかしオススメはなんといっても、これ。

うどんである。この店のうどんが、とても旨い。うどん以外の丼もの、天ぷらも旨い(写真は蕎麦との合い盛りセット。蕎麦も旨い)。色々こだわっているのが窺える。今回はくるまやで全員もう腹一杯でスルーした。しかし本気でオススメだ。かつて私はここに通い倒した。そして正義について考えさせられたりした……

さて今回の春日部の民話スポット紹介。あと1つ水角神社が残されている。しかし書いているうちにまた長くなってしまったので【後編】とタイトルにあるのにも関わらず、なんともう一回だけ続きます。

それでは、

次回【補遺】へ続く。

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