みのる

全身性エリテマトーデスと生きる20代 @minoru43733256

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最近の記事

なぜ今

先日、夕ご飯を食べていたとき、私は母を泣かせた。故意ではない。むしろ、青天の霹靂というか、何が地雷だったのかわからずただただ狼狽えた。 母の仕事の話をしている最中だった。母は小さい子どもに関わる仕事をしている。1歳くらいの女の子の話で、母親が仕事の日に限って熱を出し、なかなか保育園に預けられない、という話だった。やっぱりどこかで母親と離れる不安や寂しさがあるんだろうねという話をしていた。 その話から思い出したことがある。私が難病の診断をされたのは14歳のときだったが、私は

    • 「食べること」と付き合う

      ずっと前から薄々思っていたけど、私には摂食障害の気がある。極端な拒食・過食はしていない。吐いたり下剤を使うこともしていない。波があり、普通に食べられる日もある。私はこれを、「ゆる摂食困難」と呼んでいる。 ずっと、頭の中が「食べること」でいっぱいで苦しい。食べたら太る。太るのは嫌だ。できるだけ食べたくない。生命維持に必要な最低限のもの以外口にしたくない。そう思う一方で、今食べている物を食べ終わったら何食べようなどと、食べながらも次食べることを考えている。 食べることにはいつ

      • 「病気」というアイデンティティ

        私と病気は切り離せないものだと思う。 治らない病気なんてそうでしょう。薬で完全にコントロールできるならその限りではないだろうけど、寛解と言われる状態でさえ、倦怠感やら関節痛やらが付きまとう。「元気」と言われる基礎レベルが他人とは違う。圧倒的に低い。「病気だからできない」と思っていることは割と少ないのだけど、「病気」がそれらをためらう理由には充分なり得る。恋愛だってそう。やるべきことをやるにも、やりたいことをやるにも、いつだって症状は私の足を引っ張ってきた。切り離せるわけない。

        • 感情の言語化

          いけ好かない作家がいる。 「嫌い」とも、「面白くない」とも違う、「いけ好かない」。 彼女の作品は2・3作しか読んでいなかったが、読み終わってからはいつもイライラした。このイライラの正体がわからない。 彼女のトークショーがあると聞いて、足を運んだ。 私の感想は、やっぱり「イライラする」。なぜだかわからない。 だから私は彼女の作品を、読んで、読んで、読んだ。 そしてわかった。 作品の登場人物に、あまりにも作者の自我が現れている。 小説の中で登場人物が言っていることは、つまり

          何を出すか

          「何を出して、何を出さないのか」ということについて、ずっと考えている。 何を言うのか、何を書くのか、何を見せるのか。 食べ物の集まるイベントが好きだ。集まる物がお菓子やスイーツだと尚のこと嬉しい。気になる出店者のインスタグラムを見て、いつ、どこでやるイベントに参加するのかチェックしている。最近はイベント出店専門の人や、キッチンカーなど、店舗を持たないところも多い。 彼らの情報発信を見ていて、残念に思うことがある。 「私の出店場所、過疎ってるんですけど。マジ運営側ありえ

          何を出すか

          自分だけつらいと思ってんじゃないよ

          「自分だけつらいと思ってんじゃないよ」 人生で言われて嫌だった言葉、ぶっちぎりナンバーワン。殿堂入り。 この言葉だけは絶対、他人に言わないと決めている。 この言葉を言われてつらいのは、「自分だけつらいのではないのだ」とわかっているから。人それぞれ大変なことがあって、自分だけつらいなんて言っちゃだめだと思っているから。それでもどうにも抱えきれない気持ちがあって、それを他人から「つらがっている」と指摘されたことが悔しいから。 もちろん私だって人間だから、ウジウジと被害妄想に

          自分だけつらいと思ってんじゃないよ

          あの頃の私はどこへ

          学生の時は、自分がいつ、どんな理由で入院したかなどを細かく覚えていた。誰かの参考になればと思い、SNSで自ら発信したりもしていた。 学生じゃなくなってからは、そんなのいちいち覚えていられなくて、ただただ耐えてやり過ごしているうちに、いつの間にか「今」に流れ着いていた、ということが多くなった。 持病関連の自身のSNSアカウントでも、自ら積極的に発信することは減り、一方的に自分の不調や愚痴を吐き出すだけになりつつある。誰かの役に立ちそうなことは、何も。 むしろ、教えてもらった

          あの頃の私はどこへ

          待つことしかできない

          「待つこと」ができるすごさについて、以前noteを書いた記憶がある。 1年以上前だったのではないだろうか。 確かざっくりした内容は、「具合が悪いことが日常で、いつ倒れるか、いつ動けるようになるのかわからない私を、根気強く待っていてくれた母と親友には感謝と尊敬の思いがあふれて止まない」という感じだったと思う。 今でもこの気持ちは変わらない。 以前から、母にこのような思いを伝えると、「私は待つことしかできなかったから」と謙遜するように言うのだが、私にはそれがずっと不思議だった

          待つことしかできない

          対等とか平等とか

          再三申し上げている通り、私にとって一番大変だったのは高校時代である。病気と学校生活の両立にとても苦しい思いをした。しかし、幸せなことに、たくさんの人が私を支えてくれた。私は人に恵まれていた。 さて、このとき、「つらいことがあったら何でも話してね。いつでも聞くから」と言ってくれた人は多かったのだが、2種類のタイプに分かれているように感じる。 ひとつは、話した後に心が軽くなって、話して良かったと思える人。 もうひとつは、話しているときはいいのに、その日帰宅した後などに思い返

          対等とか平等とか

          今の私が彼女にできること

          今年の4月から緩和ケア病棟で看護師として働き始めた親友。 最後に会ったのは5月末だったから、今回会ったのは約3ヶ月ぶりか。 少しやつれたように見えた。 新卒看護師。緩和ケア病棟。 そして彼女の責任感の強さ、献身的な性格。 眠れない、蕁麻疹が出る、という話を時々聞いていた。 全て仕事のせい、というわけではないだろうけど、仕事の影響は充分に大きいと思う。 私と彼女が出会ったのは高校2年生のときだが、私の知る限りでは、彼女は5歳の頃から看護師になりたいと言っていたらしい。

          今の私が彼女にできること

          わかりやすく、やわらかく

          新聞の、読者の声が寄せられるコーナーが好きで、毎日読んでいる。 読者が、日々のニュースや身近な出来事について、自由に投稿しているコーナーだ。 小学生から90歳以上まで、年齢は幅広い。 読んでいる中で、「この人の文章、堅くて、難しくて読みづらいな」と思うことがあり、その人の職業を見ると、ジャーナリストや医師、法律に関わる仕事をしている人が多い。 やはり、普段からそういう仕事をしている人は、普段の言葉遣いも堅く、難しいものへと自然になっていくのだろうか。 単に私の頭が足り

          わかりやすく、やわらかく

          失敗したその後

          令和4年の自殺者数は、22,881人らしい。 死に切った人が、2万人。 自殺未遂者も含めると、どれくらいになるんだろう。 こういう言い方をすると不謹慎かも知れないが、自殺成功者は怖くなかったのだろうかといつも疑問に思う。 「死ぬことが」じゃない。 「死ぬのを失敗するのが」だ。 死のうとして、失敗して、身体や脳に障害が残るなどして下手に生き残ってしまったら? そのまま生き続けるのって、自殺未遂をする前よりしんどくない? 私はしたことがないからわからないけど。 自殺

          失敗したその後

          生き残ってしまった感

          SLEの5年生存率が50%ほどだったのは、もう50年以上前の話で。 私が生まれたのは2000年。私が診断されたのは2014年。 その頃にはもう、5年生存率は90%を超えていて、SLEはすぐ死ぬ病気ではなくなっていた。 ステロイドだけでなく、ベンリスタやプラケニルなども使えるようになって、ステロイドを0にできる人もいるらしい。 普通の人と同じように働いている人もいる。 それに、SLEは難病の代表例で挙げられることも多いが、人数がそこそこ多いからなのか、研究も積極的にさ

          生き残ってしまった感

          自分で自分に

          「自分のことが嫌いだと、他人に評価を求めてしまうからなぁ」 誰の言葉かは覚えていない。 なるほどなぁと思ったことは覚えている。 自分で自分のことを「これでいい」と思えないから、他人の評価で自分がどうであるのか判断する。 だから、他人の目が気になる。 他人の期待に満たない自分だと、さらに自分を責めることになる。 自分を満たすことを、他人に求めるようになる。 「欲しいものを他人に求めるのではなくて、自分で自分に与えてあげて」 これは、私が好きな漫画の登場人物が言ってい

          自分で自分に

          なんとかやっていけそうと思える

          今も、高校の恩師と連絡を取っている。 私が高校を卒業して、4年経つ。 先生からのLINEが週末に来る。 親と子ほど離れた年齢。 話の内容はと言うと、 「庭の紫陽花が咲きました(写真)」 「家に帰る途中で、登山に行きました(写真)」 「産直に美味しそうな桃が・・・」 本当に、こんな感じ。 いや、おじいちゃん、おばあちゃんの絵はがき交換か? でも、私はこのやりとりを密かに楽しみにしている。 俗世から解き放たれて、息継ぎができる感じ。 すごく、心の温かい人だなと思う。

          なんとかやっていけそうと思える

          自分を演じてみる

          宮本亞門さんの、「自分が好きな自分を演じる」という言葉がずっと心に残っている。 スッと、「ああ、そうか」と納得した。 「こういう自分だったら好きだな」と思える行動を、理想の自分になったつもりでやってみる。 ここで大事だなと思うのは、あくまで、「演じているのだ」と自覚すること。 本当に、その自分になる必要はない。 なろうとしてしまえば、うまく変えられない部分にぶつかったときに、やっぱり自分はダメなんだと思ってしまう。 「演じる」ことにすれば、本当の自分とのギャップに苦

          自分を演じてみる