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対等とか平等とか

再三申し上げている通り、私にとって一番大変だったのは高校時代である。病気と学校生活の両立にとても苦しい思いをした。しかし、幸せなことに、たくさんの人が私を支えてくれた。私は人に恵まれていた。

さて、このとき、「つらいことがあったら何でも話してね。いつでも聞くから」と言ってくれた人は多かったのだが、2種類のタイプに分かれているように感じる。

ひとつは、話した後に心が軽くなって、話して良かったと思える人。

もうひとつは、話しているときはいいのに、その日帰宅した後などに思い返してみると、なぜかモヤモヤしてしまう人。

この違和感はずっと感じていたが、その正体は高校を卒業してもわからなかった。5年経ってようやく、言葉にできそうかもしれないと思い始めている。

そのモヤモヤの正体とは、「対等性」や「平等性」なのではないかと思う。つまり、モヤモヤするのは、私が自分のことを話してばかりで、相手が全く相手自身のことを話していないからではないかと思った。それは、病気やつらいことだけに限らず、日常生活での雑談や、最近嬉しかったことのようなちょっとしたことでも。

私だって、何でもかんでも自分のことを話したいわけではなくて、基本的には聞かれたことに対して答えているような感じだ。それに、相手のことも知りたいと思っている。でも、相手は話さない。何気ない質問をしても、はぐらかされる。特定指名手配でもされてんの?もしくは公安か??

結局、自分のことを根掘り葉掘り聞かれて、悩みや弱みを自分だけが晒した気分になってしまうから、モヤモヤしているのだと思う。
これは、話した後モヤモヤする人全員に共通する。

相手がカウンセラーとかなら、それでいいのだ。そういう仕事なのだから。でも、これが友達や恋人だったらつらくない?彼らは何を思って私の話を聞いていたのだろう。やはりモヤモヤする関係は続かない。今は、彼らとはほとんど連絡を取っていない。

私は、「病気を抱える弱者・困っている人」としてではなく、「私」という人間と向き合って欲しかったのだと思う。

いや、相手はそのつもりだったのかな。人間に対する不信感と警戒心が強い自覚は大いにある。ひねくれててごめん。

その人自身と、対等に、誠心誠意向き合っていきたいものである。

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