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なぜ今

先日、夕ご飯を食べていたとき、私は母を泣かせた。故意ではない。むしろ、青天の霹靂というか、何が地雷だったのかわからずただただ狼狽えた。

母の仕事の話をしている最中だった。母は小さい子どもに関わる仕事をしている。1歳くらいの女の子の話で、母親が仕事の日に限って熱を出し、なかなか保育園に預けられない、という話だった。やっぱりどこかで母親と離れる不安や寂しさがあるんだろうねという話をしていた。

その話から思い出したことがある。私が難病の診断をされたのは14歳のときだったが、私は9歳の時、原因不明の高熱が続き、2週間ほど入院したことがある。結局原因はわからず、ステロイドを使って熱が下がったので退院となった。今思えば、それは後に診断される難病の予兆だったのだが。

とにかく、9歳の入院時には原因がわからなかった。その時の医者は「依存性の強い子ですか?」と母に言ったそうだ。精神的な問題ではないかと。母も、そしてそれを後から聞いた私も腹を立てた。私に至っては、未だにそのことを根に持ち、思い出してはイライラしている。


その当時、母も若く、私も幼く、「精神的な問題で入院するほどまでに熱を出している」ということが受け入れられなかったのだと思う。精神的症状から来る体調不良などの知識もない。まあ、実際はその高熱の背景にあったものは、「難病」だったわけだが。


この一連の話は、何度も何度も母としている。だから、まさかこの話が母の地雷だとは思いもしなかった。そう、この話で母は泣いたのだった。

なぜ今母が泣くのか、私にはわからなかった。何度もこの話をしてきていて、同じ感情を共有してきたのに、なぜ。

時間経過とともに、考えが変わったのだろうか。もちろん、「当事者」などという立場や、「親」として抱える気持ちの違いなどもあるとは思うが。

母を泣かせてしまった罪悪感と、自分が病気であることの情けなさが押し寄せた。それと同時に、なぜ今更泣くのか、生活習慣や努力では太刀打ちできないのだから仕方ないだろうという苛立ちも募った。多数の感情でぐちゃぐちゃになった夜だった。

「私も乗り越えるからあなたも乗り越えて」と母は言った。
わからない。私が乗り越えるべきものって何?「依存性の強い子ですか」と言われた悔しさ?私にとってそれは「乗り越えるべき壁」ではなく、「過ぎ去った過去」なのである。

逆に、母が乗り越えるべきものって何?
私は「親になる」という経験はないし、当時9歳だった私に対して、大人たちが言わなかったことというのもあるのだろう。大人同士のやりとりの中で傷つくこともあったのかもしれない。

書き出してみてもわからない。とにかく、この話は母の前では厳禁。一人で頭の中で飼い慣らしていくこととする。


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