失敗したその後
令和4年の自殺者数は、22,881人らしい。
死に切った人が、2万人。
自殺未遂者も含めると、どれくらいになるんだろう。
こういう言い方をすると不謹慎かも知れないが、自殺成功者は怖くなかったのだろうかといつも疑問に思う。
「死ぬことが」じゃない。
「死ぬのを失敗するのが」だ。
死のうとして、失敗して、身体や脳に障害が残るなどして下手に生き残ってしまったら?
そのまま生き続けるのって、自殺未遂をする前よりしんどくない?
私はしたことがないからわからないけど。
自殺未遂をして、死に切れなくて、それでもなお死にたかったら?
また死のうとしても、身体が自分で動かせなかったら?
1回未遂をしていれば、周囲も警戒しているだろうし。
自殺成功者は、その恐怖を考えていただろうか。
それとも、そこまでは考えていない?
ただ今がしんどくて、死ぬことしか考えられず、行動にまで移してしまう人たちは、「失敗したときのこと」や、「失敗したその後」なんて考えていないか。
「その先」を考えてしまう私は、たぶん、健全なんだろうな。
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