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サラリーをもらう仕事は自分の時間の一部分しか差し出さないという覚悟。

Voicyでなにおれさんの「ワークライフバランスの違和感」という放送を聴いた。

「ライフ」つまり暮らしを人生の中心に据え、仕事はあくまでその中の一部ととらえる

なにおれさんのラジオでこの考え方に触れて以来、暮らしを中心にすえるには、私の場合はどうしていったらいいのかな?と自問自答している。
以前も自分のnoteでこんな記事をのせていたことにも気づいた。

今年の1月時点で、人生の軸足を仕事から暮らしへシフトする、と宣言していたのだから確実にその方向性で進んではいる。

サラリーをもらう看護師仕事は自分の人生の一部分しか明け渡さない

時間的、物理的にも、精神的にも、私は会社勤めとなる看護師仕事は、一つの会社に依存しない、と決めた。
そして、その会社で働くことは多くとも週に1~2回とし、「たまにしかこない人」になることにした。
これは大げさに言えば私が試行錯誤の上、やっと編み出した作戦でもある。

たまにしかいかない職場だと、職場をいったん離れれば、仕事のことはそれほど頭の中を占領されることはない。
私は看護師仕事のことで執筆活動もするので、実際は考えているだけれど、それはあくまで執筆業のために振り返っていることで、「頭から仕事のことが離れない」という負の要素はない。

1人で何かしらの気づきを得ているときが一番充実している

私は何をしているときが一番有意義かというと、看護師仕事なり、子育てなり、なんにせよ、何かについて深く考えたり、自分の考えや気づきを見出して文章にできたときが一番楽しい。
暮らしに重きをおく、というのは、私にとっては「1人で考える時間をつくる」ということでもある。

その上で、家仕事。
季節ごとに家の模様替えをしたり、季節の旬のもので素朴な常備菜を作ったり。生活すること、家事をすること。
それができること、できる時間がある、ということは実はとても贅沢なことだと思う。
食洗器など時短のものは使わず、私は自分の手で洗いたい。
洗濯だって乾燥まで一気に洗濯機にまかせっきりじゃなく、干した方が気分がいい。
天気さえよければ、布団も毎日干して、ベッドメイクもしたい。
子どもの洋服は、とても気に入って着ていたけれど、サイズアウトしたのなら、大切に使ったその洋服を捨てるのではなく、メルカリで次に使ってくれる人に安値で回す、そういう手間をかけたい。
休みの日には娘と図書館へ行って、本を数冊借りてきて一緒に読みたい。
朝や休みの日には夫が淹れてくれるコーヒーを飲む。

暮らしを後回しにしないといけないくらい働かないといけないなら、その家計管理自体が間違い

モーレツサラリーマンの時代は、私の父親世代で終わっているはず。
数年前、娘が保育園に通っていたとき、父親が送り迎えしている人も多いなと思っていた。
休みの日に公園に行っても、父と娘、2人で遊びにきている。
そんな親子もすごく増えてたなと思う。

私だけじゃない。
仕事するよりも子どもと過ごしたい、と思っている人が増えている。

同じデイサービスで働いていた若い職員の男性も、結婚をしてしばらくしたら、退職し、次の職場は公務員だと言っていた。

そう。それが正解と思う。
公務員の方が介護の仕事より休みがきちんととれるから。

暮らしへシフトするにはまず、精神世界から始めればいい

物理的に、現実的に、暮らし中心なんて無理、仕事でいっぱいいっぱい、という人もいると思う。
すぐには変えられないなら、そんなときこそ、自分の気持ちのウエイトだけでも変えていけばいいと思う。
それには、仕事以外のことを考える時間が必要。
そしてそれは、朝いちばんがおすすめ。
朝いちばん、まだ、何物にもそまっていない状態で、一番最初にやったことや、思ったことが、これからの自分を作っていくと思うから。
それをやるには、夜ばたんと倒れこむ前に、ほんの少しだけ1日を振り返ってメモすることもおすすめ。

毎日コツコツ、少しずつ。
私も1日1日少しずつ、暮らし中心の生き方へと変えていく努力をしている。

それには、毎日書き続けて、発信し続けること。
自分にとって心地よい暮らしを、一つでも二つでも取り入れていくこと。

それは若いときだけじゃなくて、
そういう努力を続けていけば、
老後に急に何もできなくなることなく、
自分らしい生き方を貫けるんじゃないかと思っている。


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