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『いとみち』 (越谷オサム 作) #読書 #感想

メイド喫茶と、三味線。
一見結びつかないようなこの2つだが、この本の主人公の高校生、"相馬(そうま)いと"を表す2大ワードだ。

「メイド服を着てみたいから!」。それだけの理由で青森市のメイド喫茶でバイトを始めた いと。ここのメイド喫茶は秋葉原のそれとは全く異なっているものであるのだが、そうはいっても接客の難しさはある。

「おかえりなさいませ、ご主人様。」
この台詞さえ正しく言うことができない いと。理由は、"津軽弁"だった。この本には数多くの津軽弁が登場する。そして、いとはこの津軽弁のせいでコミュニケーションになかなか積極的になれない。言いたい言葉がすぐに口から出てこない。標準語がちっともできるようにならない。学校でもなかなか友達ができない。喫茶店では挨拶ができないだけでなく、緊張してオムライスにケチャップで絵を描いてあげることもできない。


でもそんな いとが、成長していくこの物語は、ほっこり温かい。
メイド服を着て三味線を弾く いとの姿が、ありありと思い浮かぶ。
喫茶店のマスター、店長、メイドの幸子さんと智美さん。
家に帰れば三味線が大好きなおばあちゃん(ばば)と大学で教授をしている父がいる。
彼女の周りには、たくさんの人がいる。
彼女の成長とともに、なんだか母親のような気持ちで微笑ましくなれるのだ。


112ページより

なにか、「自分にはこれがある」と言えるものがほしい。智美にとっての漫画のように、ひたむきになれるものがほしい。青森位置だとか日本一だとか、そんな大それたものは望んでいない。資格や検定といった役に立つものでなくていい。それさえあれば人と目が合っても逸らさずにいられるというくらいのものでいい。自身を手に入れたい。

彼女の些細な願いである。
「自分にはこれがある」と言えるものがほしい、その気持ちはよく分かる。
「何者かになりたい」という感情の表現の仕方の1つだ。「自分はこれが得意!これが強み!何も持ってないわけじゃない!1つくらい何か!」案外そういうものは見つからない。
見つからなくても良いはずなのに、誰かと比べて焦っちゃう。それがないから"ダメな人間"なんていうことは絶対ない。

でも世の中がそれを許してくれない、就活をしていると余計そんなことを思うんだけれどね....。



越谷オサムさんといえば、『陽だまりの彼女』だ。3回見てなぜか3回とも泣けた記憶がある。どこのシーンが泣けたとか具体的なことは何も覚えていないけれど、ただただ漠然と"泣けた"という記憶だけがあるので不思議である。

私は本を読んで泣くことがおそらく"好き"なので、案外"1番泣いた!"みたいなよくある文庫本?なんかでも泣いてしまうことがある。キラッキラの綺麗な世界の本だとしても。ありがちで薄っぺらなストーリーでも。

だから悲しみには2種類あるのかな。そんなふうに思ったところで、今日はここでやめておく。

全部話しきってしまったらなんだかもったいない、そんな気がしている。

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