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「上のハンコがもらえなくてさ」 、大学職員の上下関係

最近のnoteのデザイン的に、「タイトル」が前以上に重要になったと感じている。
1つの記事が表示される幅が狭くなったので、最初の1文がどうこうとか以前に、「タイトル」を読んで何かしらの興味や引っ掛かりが出てくるか、が読むかどうかのきっかけになっている。

良い記事はタイトルの付け方が上手い!という人は結構いると思うけれど、noteはそういう世界になってほしくはない。
とはいえタイトルにはある程度拘っていくしかない….というのが一応現時点での私のスタンスである。


今回は過去に書いた700以上の記事の中でも「タイトルが尖っているベスト5」に入るくらいの記事かもしれない。
ただ、興味を持ってくれる人の範囲が小さいかもしれないけれど。


「教育業界はDXの波に乗り遅れている」なんていうふうにいわれることがある。特に学校現場。この学校現場は、教育実習を(当時)控えていた私にとっては、「小学校、中学校、高等学校」を指すものであった。

しかし今改めて考えてみると、DX….というかIT化の波に出遅れているのは、いわゆる"大学"も同じであった。いや、小中高校以上なのかもしれない。

確かにうちの大学はコロナ前後で(というか授業のオンライン化前後で)だいぶIT化が進んだ。紙での掲示物が減ってPDFでMoodleで出されるようになったし、前以上にオンラインストレージサービスが利用されるようになった(授業動画の配信とか、提出物とか)し、教授たちのITスキルも向上したのではないかと思う。

でもそれは「学生」に関わる部分だからこそであり、学生が困らないように優先的にIT化された部分なのである。



あまり詳しく書くとアレなので大雑把に書くと、私はある課外活動上、大学職員の方々と関わる機会が少なくない。(普通の学生よりはだいぶ多い。)
だからこそ大学職員の紙・はんこ文化、年功序列の上下関係をひしひしと感じるのだ。そして仕事の属人化。

私が長期インターンをしている会社がDX化されすぎているかつ実力主義の会社なので余計そう感じるのかもしれないが。。。。



上のハンコがもらえなくてさ。

と、大学職員の方につい最近言われた。
大学内のある場所をとある特定の日に開放してほしい、という依頼を出してから既に3週間以上が経過している。
私たち学生からの依頼→担当の職員の方に伝える→担当の職員の方が依頼を上に提出→上は書類を受け取っている
……はずなのにまだハンコを押してくれていない。

特にこちらとしては急いでるわけでもないし、せかしたいわけでもなく、職員の方を責める理由など1度もないが、書類1つ確認するのに一体どれだけ時間がかかるんだ…..、と思ってしまう。

もちろん各部署に確認したりとかそういうことが必要な場合もあることは理解しているけれど、「承認」の作業に時間がかかりすぎている。
一体何人の人の許可が必要なのだろう。
そしてその許可1つのために、各部署への確認のために、何枚の書類が作成されているのだろう…..と思ってしまう。


もちろん上下関係も然り。普段関わりのある職員の方々の中でも、完全に年齢と立場が比例していることは実感している。
「私の一存では決められない」というニュアンスのことを何度言われただろうか…..とも思う。
それを責めたいわけではない。でも、本当に今の評価方法が正しいのか?今 上にいる人が立派な人なのか?と問いかけたい気持ちはある。


でも何よりもおかしいなとと思うポイントいうか、
良い会社(若手が成長できる会社)とそうでない会社の違いになる部分なんだろうな、と感じることは、

「おかしい」と思うことを上に伝えて、状況を改善してもらおうと訴えられないこと。そのための行動を起こせないこと。行動を起こしても無駄だと思ってしまうような環境であること。

なんだよね〜。
職員の方を責めて変に板挟みみたいな状況にはしたくないと思っている。
でも「申し訳ない、承認もうちょっと待ってほしい」と謝られると、なんともいえない気持ちになってしまう。

私にどうにかできることはないし、上の人(トップの人)の顔さえわからないんだけれどね。

おしまい。