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許すことができるのか、許されるべきではないのか

毎日毎日「もう11月もあっという間に終わりだ〜」なんて思っている気がする。そんなことを言っているうちに気づけば12月なんて、2020年なんて、あっという間に終わるだろう。 私が想像していた1年では、オリンピックがあって、その期間は全部大学が夏休みで、ボランティアやバイトをして、今しかできないことをしていたはずだったのに。現実はそう甘くはない....どころの話ではなかったのだ。




誰かの過去の過ちを、あなたは許すことができるだろうか。

例えば殺人を犯した人間。刑務所で罪を償うだろう。
でも自分の大切な人が殺されたとして、あなたはその人を許せるだろうか?長い時間が経てば、いつか許せる日が来るのだろうか?

例えば自分をいじめてきた人間。よっぽど暴力的なものでない限り、罪を問われることはない。(少年法、年齢の話はさておき)
あなたはその人間をいつか許せる日が来るのだろうか?「過去にはそんなこともあったなぁ」と、比較的穏やかな気持ちで思い返せるのだろうか?


過去に過ちを犯した人間は、許されて良いのだろうか。

殺人というものと、いじめや暴力(虐待)とでは大きく異なってくるかもしれない。

「過去に殺人を犯したから普通の生活を送ってはいけない」ということもない。きちんと罪を償えば、また社会復帰も不可能ではない。
「過去にいじめなどで誰かを苦しめた人は最低な人間だ」とその人の全てを否定するわけではない。過去のその人と、今のその人は違う部分があるのだから。


だが、「自分が過去に犯した『罪』」を、絶対に忘れてほしくはない。結局は「相手に許してもらえるか否か」なんて重要ではないのだ。
"誰かを傷つけた"という事実を、傷つけた人間は絶対に忘れてはならないのだ。
もう2度と人を傷つけないためにも。

殺された人は、過去の記憶の中に大きな傷がある人は、加害者が死んだってその思いは報われないことの方が多い。
どうしたって苦しんだ事実は消えない。辛い記憶は消えない。亡くなった人は戻ってこない。暴力はトラウマになりやすい。小さい頃の記憶は、嫌なことほどなかなか消えてくれなかったりする。忘れたいのに、忘れることができない。

全員が全員、過去に傷ついたこと、最低な人間によって傷つけられたことを生きている間ずっと引きずるわけではないだろう。

それでも、加害者側は、人を傷つけた人間は、罪を犯した人間は、そのことを忘れてはいけないと思う。
誰かの心に一生の傷を残した罪は重い。今ではダメだとわかっているようないじめや暴力でも、過去の自分はやっていたのだ。そんな自分がいたのだ。絶対にそのことを忘れてはいけない。

ずっとずっと罪を背負って生きることはできる。いつどんな時もその罪を忘れるなと言っているわけではない。
ただただ時には思い出してほしいのだ。「自分が犯した罪」を。
いじめの加害者だったのなら、いじめのニュースを見る度に思い出せば良い。
自分の子供を虐待していたのなら、街で子供を見る度に思い出せば良い。

思い出し続ければならないことより何倍も何十倍も何百倍も、被害者が負った傷は辛いのだから。苦しいのだから。



人を憎み続けることにもかなりの体力や精神力が必要だ。加害者のことをずっとずっと恨み続けることも、それはそれで別の苦しみや葛藤があるのだろう。性的虐待や性的嫌がらせなどでは、自分が被害者であることがもはや嫌になる時もあるだろう。自分が当事者だったということが受け入れられない時もあるだろう。





彼はなぜいじめられなければならなかったのか。

彼女はなぜ性的嫌がらせを受けなければならなかったのか。

あの子はなぜ、保護者から暴力を受けなければならなかったのか。


問いの答えが、ずっと見つからない。