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上へ上へと、登りつめるということ

就活のようなもの.....を始めて思ったのは、就活というものには「上位層」と「それ以外」があるような気がする....ということだった。
選抜コミュニティなどというものも最近知った。YC塾などの存在も初めて知った。
自分の就活に対する想像力がいかに無かったか分かった。就活というものの世界を小さく見すぎていた気がした。


「上へ上へと登りつめる」生き方をしている人たち、有名な学校へ、大学へ、企業へ....と考え、それに人生の重きを置く人たちがそこに"価値"を見出したのは、一体いつ頃からなのだろうか。

名門の中学高校に入って、東京大学に通い、就職活動をしている人が言っていた。
「もうここまで頑張ってきたんだから、ここで良い会社に就職できなければ何も意味がないような気がしてしまう。」と。ひたすら上へ登ることを生きる目的としてきた。日本で1番の大学に入れた以上、ここからさらなる高みを目指さなければ今までの頑張りが消えて無くなるように感じているのだろうか。
大手総合商社。大手金融。外資。コンサル。
彼らが見ている景色というのは、一体どれだけ私が見てきた景色と違うのだろう....と思ったりした。


上昇志向のようなものは、時に人を苦しめると私は思っている。もちろんそれは大学受験で少しでも良い大学に入ることや、就職活動で少しでも有名な大手の会社の内定をもらうこと、だけではない。
ほんの些細なことでも「上へ上へと登りつめることを意識している人」、「頂点まで登りつめることによって自分に価値を見出そうとしている人」というのは、時にそのことがひどくその人を苦しめているような気がしてならないのだ。

もちろん人の生き方などというものはその人の自由だし、これは私の偏見に基づく勝手な意見だ。だからこれは"生き方の否定"ではない。


上へ上へと登りつめることができるようなレールの上を歩く人生は、味わいたくないと何処かで思ったりもした。上へ上へと、頂点を目指せる才能や能力がある人は本当にすごい。スタートラインに立ってさらにそこから1歩踏み出せただけでもすごい。
でもそのレールを1歩踏み外せば自分から自分への期待も、周囲から自分への期待も一気に裏切ることになるのだと思うと、まるでそれは綱渡りのような人生に感じるのだ。


これは私自身がかつて、ひたすら上へ上へと高みを目指し、綱渡りのような日々を過ごしていたからこそ言えることである。

上位層の学生たちが大切にしているのは「その会社で何ができるか」や「その会社に入って自分がどう成長できるか」というよりは、その会社の「ブランド(知名度)」や「高い給料」や「歴史の長さ」なのだろうか。
彼らの人生にとって "彼らが良いとする会社"に入ることは、人生のゴールなのだろうか。それともそこから(社内で)さらに高みを目指すのだろうか。


彼らと就活で争うような気持ちは毛頭ない。私はそこまでのレベルの会社を気持ち的にも実際の学歴的にも狙っていない。

だからこそ別世界に生きている学生のことを考えてしまうのである。


上へ上へと登りつめなければならない状況にあることは、苦しくないのだろうか。
もし望める会社に入れなかったら、恐ろしいほどに自分を否定されたように感じたりはしないのだろうか。



私の人生のゴールはどこだろうか。
就職活動は、あくまで"通過点"くらいに思いたい。
落とされても、「自分自身を否定された」とまでは感じない....という態度で、"シュウカツ"していきたいね。