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【ラスト自己紹介③】"平凡"少年から半年で海外10カ国回る男への成長記録

はじめに

こいつまた自己紹介系記事擦ってるんか、みたいな感じなのですが、noteを書く側に回ってみると、noteって色々な方、色々な情報があるプラットフォームなので、どこの誰が発信するかが非常に重要なのかなあと最近思い始めました。

この考えから、もっと自分のことを知ってほしいなと思い、今回の記事で時系列的な今までの人生の変遷大きな変化について話したいです。(これがラスト自己紹介記事なので許してくださいw)

実際これまで①で基本的自己紹介とnoteで書きたいテーマ②でなぜnoteを始めたかを書きました。書きたい内容が多くて字数の問題上①②と変な感じで切り分けてしまいましたが、両方読んでくれると嬉しいです!

実際自己紹介記事3つを全部足したら13000文字くらいになってしまいました、、、それでも今回の③が自分の中で一番読んでほしい記事かなと思っております。6000文字を超える長文自己紹介なので後半部のターニングポイントの方のみ見てくれても全然嬉しいです!(いつも長くてすみません、、)


時系列自己紹介

正直①②で時系列的な自己紹介をしてなかったことで、この③で時系列を語り自己紹介関連を締めたいです。

実家も細くて、特別な能力も経験もなかった僕ですが、雑魚高校から早慶上位学部に行ったりTOEIC800点超のスコアを取ったり、自腹で免許合宿・一年で海外10カ国に行けたのも”目標を達成する気持ちよさ”を味わったからだと思います。

じゃあそうなるといつからそんな感じになってきたのかなということをしってもらうために幼少期から今に至るまで語ります。

幼少期・小学生

正直幼少期~中学生はガチで語ること無いくらいそこら辺にいる少年です。

三人兄弟の末っ子で、兄貴が二人いたので昔からポケモン、漫画、遊戯王が好きでした。(平凡)漫画が好きだったので、よくポケモンの絵を描いていて友達から○○書いて欲しい!と言われるくらいには上手かった覚えがあります。

普段はゲームをして、漫画を読んで、夏にはザリガニを釣り、クワガタを捕まえるというほんとに普通の田舎の少年。
(おばあちゃんの家の猫の影響で10歳から猫を飼い始める)

うちのおばあちゃんの猫に一目惚れして
猫好きになる(10歳)


スポーツの習い事も小学四年生になるまで全くなく、小学4年生の時期にバスケを始めましたが、怪我と友達との不仲化からすぐやめました。。

大学の友達のほとんどが中高一貫私立出身ばかりなのですが、田舎公立小では中学受験する人なんてクラスに1,2人の、中学受験とは???の世界線のそのまま地元中学に入学。

当時の学力はクラス35人の15位くらいだった記憶。遊ぶのが好きでスポーツも勉強も普通のガチの凡少年でした。

中学時代

正直中学も凡、先に言うと高校二年生までは本当に今の自分とは全く異なるくらいの落ちこぼれより平凡男子でした。

中学では友達、兄との確執からバスケ部に入れず、当時の友達との影響から卓球部に入部。バスケは好きだった一方で、人間関係のせいで入らなかったのでそこが人生で大きな後悔かなと。

正直流されて入ったために、何も考えずそんなに目標もなく部内でそこそこの実力、大会にも出たり出られなかったりで一つも自慢できることがなく、引退。

勉強の方もどうだったかというと、200人中60~80位くらいの成績を推移して、最高50位くらい、最低130位くらいみたいな本当に平凡な実力でした。当時同じくらいの成績だった友達はみんなニッコマ以下くらいの大学にいき、早慶合格当時なんでお前が???くらいの感じでした。

じゃあ高校受験で爆伸びした?かというと、
実家の金銭的な関係で、
①高校は自転車で行ける距離の中で
②私立はお金がかかるから絶対受かる公立だけね

という 距離×公立のみ という制限により
受けられる高校のMaxが偏差値60くらいの平凡高校しかないという結果に。

上の兄貴がそこそこ優秀だったのもあって、ちゃんと勉強しよか~と思って初めてちゃんと努力したわけですが、目標に上限があったのでそんなに努力することなく無事偏差値60の公立高校に合格。

偏差値55から64に一気に伸びて塾で伸び率一位みたいな結果を出せたので、まあ元々の地頭は凡以上かなあとは思います笑

それまで塾とか家の関係で行ったこともなかったんですけど、その時の塾での勉強が割とその後の高校生や今に活きてくると思ってて、その期間で
”基礎から体系的に学ぶことの大事さ”
を学んだ気がします。

割と自頭も悪くない方だったと思うんですけど、それまで頭を使って何か一つを頑張る経験も、勉強を頑張ろう!となる瞬間もなかったので、
常にちょっと頑張るみたいな感覚でいたんです。勉強について言えば、大体の勉強が基礎の積み重ねなのに基礎を穴だらけでなんとなく勉強してきたばかりにテストも模試も大したことないみたいな感じ。

塾で分からないことを復習して基礎から体系的に学んだこと、またそのことの大事さを学べたことで凡少年からちょっと効率のいいやつには成長できたかなと思っています。

高校時代

正直人生の1番のターニングポイントを挙げるなら、この高校時代かなあと思ってます。

高校の部活では新しいスポーツやりたい!(兄の影響も)ってことでハンドボール部に入りました。

ハンドボールの宮崎大輔、こんな感じのイメージ

上記のターニングポイントってのはハンドボール部での成功経験なんですけど、最初の1年はやはり初心者ってのもあり、同学年の落ちこぼれでした。

部活では上手くいかない一方で、なぜか勉強ではクラスで2,3位と、なんか急に勉強できる立ち位置になりました。高校のレベルがそんなに高くなかったのもあるんですが上記の”体系的に学ぶ”ということを大事にしてたのがでかかった気がします。

高校1,2年まで中の下みたいな感じで、高校を決めた理由もハンドボール部があったから、仲良い友達がスタメンで試合の話をする中ずっとベンチだったこと、等々からこのままじゃめちゃくちゃダサいなあってことで本気で頑張ろうと思いました。

実際「引退までに試合に出れるようになろう」という目標を立て、高2の冬から一人で筋トレをガチで始め、他の人が努力しないディフェンスに注力したことで6kgの増量とレギュラー化を実現させました。

中学時代の部活はほぼコンプレックスなんですけど、高校時代の部活はちゃんと頑張ってたことで今でも良い思い出です

日頃の勉強では350人中学年20位くらい、部活でも県ベスト8のレギュラーで自分に自信がついたことでもう凡少年とは別人の男になりました。

大学受験では親からは国立だけにしてねっていう制限がまたあったんですけど、行けそうな国立のMaxラインが埼玉とか千葉とかで、現実的に行っても宇都宮大学くらいな感じでした。

高3の進路選択の時期は部活もノッていて一番自信に満ち溢れていた時期だったので、高校の平均はニッコマだけど自分ならいけるんちゃうか?ってことで上智を目指しました。

高校時代シンガポールに行ったので、「海外かっけー!、国際・グローバルってなんかよい!!!」みたいなノリで国際系の勉強をしたく上智を目指したんですが英弱だったことで現役時代は失敗、MARCH成城にも受からず、、、

親に土下座して浪人を選択したんですが、父から「現役時代落ちた分の金謝れ」という鬼のパワハラ電話を受けるというヒエッとなるエピソードが生まれます。

半年バイトをしながらの浪人期だったんですが、浪人するからには私立トップを目指そうということで早慶の法学部を第一志望にして、無事合格!

お祝いメッセージがたくさん友達から来るほど正直周りもびっくりするほどの快挙でしたw

どうやって現役成城落ちから早慶法学部に受かったのか、正直凡人のスペックからなぜそこまで辿り着いたのか、親との確執の話などはまた詳しくしたいと思います。

大学時代

念願の第一志望に合格し、大学生活!という感じなのですが丁度入学の2020年にコロナが始まり、期待した大学生活ができないという状況に。

入学前から大学生活は海外に行きまくろう!!!と決めてた私にとって、それができなくなり非常にショックすぎる出来事でした。(同期はみんな思っているはず。)

本当は自粛していないといけない時代でしたが、やはり「折角一年半も本気で努力し志望校にも行けたのに自分の目標が何にもできないのは悔しすぎる!」と思い、大学1,2年時はめちゃくちゃ国内旅行を行っていました。

原付で佐渡島を回ったのは忘れられない思い出

またその傍らで3年になるまでに真面目な資格でも一個取ろうと思い、TOEIC800を絶対に取ると決め、初期値640から2年の2月に810を取り切りました。(点も期間もどっちもギリギリ)

そして三年時には就活とゼミの2軸を頑張り、ゼミでは国際政治ゼミの代表を担いながら日韓関係の研究を行いました。

就活では仲良い先輩が戦略コンサルに内定し、初任給は600万超、三年の夏休みに就活を終わらせたという話を聞き、俺も戦略コンサルに行きたいというあっさい理由で就活を始めました。しかし、やっていくうちに戦略志望との地頭の差、やりたいことの違い、などなどを感じ挫折。

ハンドボール、大学受験、TOEIC800、国内旅行など自分の目標のためにがんばってきた私にとって、他者貢献よりも自分事に関心を以て頑張りたいと思い事業会社サイドを目指すようになりました。

やはり働くからには年収も大事ということ、海外での可能性も込みで、商社デベロッパー志望になりましたが、結果最終で数社落ち、日系IT大手に進むことになりました。
(ここら辺の就活の話はまた詳しく語りたい。)

四年の6月に就活が落ち着き、コロナもそのころからボチボチ落ち着いたこともあって、よっしゃ海外行こか~となって、

9月:東南アジア3カ国10日旅行
11・12月:セブ留学+香港マカオ一人旅
2月:ヨーロッパ4カ国3週間旅行

など半年で全額自腹で海外10カ国を周りました。(海外旅行記・留学記などは後程これも詳しく。)

カンボジア・アンコール遺跡郡
セブの海から
マカオの夕日
チェコ・プラハの夜

留学の経験からより起業への想い、海外移住の想いが強くなるとともに、私の卒論である「フィリピンの所得格差を政治的側面から考える」という研究につながっていきました。
(この卒論も詳しく語りたい。語りたいことがいっぱいで御座います。)

そして今春4月から新社会人となり、現在目標のために模索中という感じですね。

3つのターニングポイントと教訓

ここまで長々と自分の人生の遍歴を書いてきたのですが(4000文字弱)、人生の3つのターニングポイントとそこで得た価値観を語って自己紹介を締めたいと思います。

①高校2年生のハンドボール部での挑戦

正直この経験における、

主体的に目標を立てたこと
・目標から逆算して本気で努力したこと
・目標を実際に実現させたこと

の三点が自分を変えてくれたと思います。

この経験は実際
何かを頑張るというよりも淡々と生きてきた自分、に
ちゃんと目標を立て本気で努力すれば実現できるという希望努力することの楽しさを与えてくれる経験でありました。

自分を凄いやつにさせてくれたわけではないし、大きな実績をもたらしてくれたわけではないけど、自分の可能性を広げてくれた経験なのかなと思っています。

そ成果この経験を通して
”何かを頑張りたいなら実際に目標を明確化すること”
という教訓を得ることができました。

「レギュラーになりたい」という大目標を立てた後に、その大目標達成の戦略と小目標を考えること、それを期限を意識して愚直に努力することが大事だとこの経験から学んだのです。
(具体的には自分の弱点と強みを考えて、「フィジカルを鍛える」・「競合のいないディフェンスを磨く」という小目標と戦略を期限と進捗を意識しながら努力する)

②偏差値45からの浪人早慶大学受験

①の経験でもたらしてくれたのが「自分の可能性」なら、この経験は「失敗から学ぶ力」「実績」だと思います。

正直①の経験では一皮むけたというような感じで、凡少年から一つ大きな成長をしたという感じではあったんですけど、誰にでも自慢できるような変化や成果があったのかと言われると、少し難しいものでした。だからこそ、①以上に難易度的にも期間的にも難しい早慶合格という経験は、それはそれは嬉しく、友達にも言えるくらいの実績と自信を持てるようになりました。

初期値が低い状態から高い目標を達成しようとするとき、大事なのはやはり目標設定・努力量・戦略になってくると思うのですが、目標が高くなればなるほどこの戦略、そして修正力が大事になってきます。

現役時代の上智受験が失敗したのは、この戦略だったわけで「自分の苦手の英語をほったらかして、強みの国語・世界史を磨こう」という戦略でやっていたのですが英語ができないと早慶上智レベルだと全く勝てません。

現役時代での戦略の失敗があったため、浪人時受かる戦略を常に考えて努力していったことが成功につながりました。また、受験は部活よりも失敗を学きっかけがたくさんあります。過去問や模試という材料がたくさんあったことで、今の自分にはこの勉強が必要だ!という戦略を立てやすかったですし、逐一修正する力を養うことができました。

現役時代の「根拠のない自信」がこの経験を通してより「根拠のある自信」へと磨かれていった気がします。(これは就活でもそうだった。)

この経験を通して私は
”失敗から学び、修正して次につなげる力”
を身に着けることができました。実際浪人時代の本番直前も修正→努力の繰り返しサイクルを意識していたので、第一志望の本番当日に初めて合格点を取ることができたんだと思います。

NARUTO・イタチの名言
自分の失敗に向き合えない人は成長率も小さい気がします

③セブ島留学

この経験は①と②の経験とは少し異なって、価値観をより広げてくれた経験であります。①部活②大学受験、就活などの一つの目標に向かって努力する経験を通して、自分のやりたいことを達成する力を磨くことができました。

大学四年生の時期にセブ島に行き、色々なフィリピン人の先生や留学しに来ている台湾人、ロシア人の友達、日本人の社長と出会ったことで人生を楽しもうとする価値観を身に着けることができました。

実際海外に行って色々な人と話してみると、お金なんてなくても人生を楽しもうとする人とたくさん出会いました。お金はないけれど家族や友人と楽しそうにするフィリピン人や、職をすべて捨てやりたいことのために海外にいく人、社長として働きながら海外で勉強している人など、色々な価値観に触れたことで、人生の正解は人それぞれなんだなあと思うことができました。

セブ島留学での街中コンサート
公園で音楽が鳴り響いています

お金とか社会的地位とか会社名とか学歴とかそんなものよりも自分のやりたいことをやっていた方が楽しいくね~~ってのを心の底から学べたのはこの経験のおかげです。(この言葉からは遊んでいるだけみたいに思われそうなのですが、遊びにも本気!とか遊ぶための努力の大事さを感じたみたいな、学歴とかお金はいらないっていうのではなくてこだわりすぎて人生楽しめなかったら意味ないよってことが大事かなと思います。)

①②の経験で目標を達成する力のような「成功」みたいなイメージ(縦のイメージw)の力を磨き、この③の経験で人生を楽しむ!みたいな力(横のイメージ)を磨いた感じです。

起業して自由に遊びながら生きたいっていう目標を得たのも、自分のITへの選択が間違ってなかったと思えたのも、海外が好き!って思えたのも全部この経験がターニングポイントになっています。

この経験で得た教訓は、
”人生を楽しむことが一番大事やなあ”
ってことですね。視野を広く持つことの大事さを海外で色々な人と接して本当に思いましたね。

まとめ

正直ツラツラと書いてたら6000文字になってしまいました。なんか自己紹介ってより目標を立てる大事さについて語りたかったんですが、結局自己紹介記事①以上の自己紹介になってしまいました笑

ここまで読んでくれた方はあんまりいないと思いますが、もしいたら本当にありがとうございました!ぜひコメント欄で興味ある点とか教えてくれると嬉しいです!スキもフォローもお待ちしてます!それではまた!






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