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変身
読んだ
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フランツ・カフカ
まだまだ読む
前回読んだのが『わたしを離さないで』だから、次は明るい雰囲気のものを読みたいと思ってたはずなのに
また暗い
短いから一日で読んだ
カフカの『変身』
不条理文学として有名な作品
以下ネタバレ
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有名すぎる冒頭
主人公が起きたら虫になっているっていう衝撃的場面から始まる話
普通起きて虫になってたら、パニックになるし、「どうしよう」「何が起きた」ってなると思うんだけど、面白いのが、この主人公は「どうやって仕事に行こう」「遅刻した言い訳どうしよう」とか考えるの
私だったら自分の手(足?)を呆然と眺めた後気を失うか夢だと思って震えながら二度寝するだろうな
非常事態(?)でも仕事に行こうとするのが、なんで?ってなる(いわゆる社畜?)
冷静すぎて、読み手の方が置いていかれる感じ
冒頭部分で「わかるわ~」ってなったところ
なぜならグレーゴルはこの五年間のサラリーマン生活で、いまだかつて病気というものをしたためしがなかったからだ。病気だなどと言ってやると、社長は健康保険医を連れてやってくるだろうし、息子の怠慢を両親に向ってなじるだろうし、どんなに言いのがれをしようとも、では先生に診ていただけと言われたならば万事休すなのだ。実際この健康保険医にとっては、体に何一つわるいところはないが、しかし仕事はいやがるという人間一種類しか存在しないのだから。
でもわたし仮病使って休むとその瞬間から罪悪感と背徳感で休日満喫できない人
そもそもグレーゴルが”虫”の自分を受け入れすぎ
床の上を這いまわったところでたかが二、三メートル四方の広さでたいしたことはなし、じっと静かに腹這いになっていることは夜中だけでさえもうたくさんだったし、ものを食べることも、このごろではもうすこしも楽しみにはならなかったので、四方の壁や天井を縦横十文字に這いまわるという習慣をつけて気晴らしをした。ことに天井にへばりついているのは気持ちがよかった。床の上に這いつくばっているのとはよほど趣がちがう。息も楽にできるし、軽い振動が体じゅうに伝わる。グレーゴルは天井にへばりついていて、ほとんど幸福と言ってもいいほどの放心状態におちいり、不覚にも足を離して床の上へばたんと落ちて、われながらそれに驚くこともよくあった。
わたし個人的に虫が大嫌いだし、描写も結構想像しやすくはっきりしてるんだけど、読み進めて思うのは虫の不気味さよりも周りの人間の言動の酷さというか
どんなに家族に冷たく当たられても、グレーゴルから怒りや憎しみの気持ちは湧いてこないの。そして虫特有のぴいぴい音が混ざって、バケモノみたいな声になって家族には言葉が伝わらないんだけど、グレーゴルは前と変わらず人間の言葉がわかる
そのすれ違いというか一方的な感じがまた尚更悲しい
今自分が認められて愛されていても、それがいつどんな形で奪われたり消え失せたりするかわからないよね
借金を背負って、家族を背負って、仕事に行かなきゃ、しんどいこともあるけど仕事が必要なんだ、って思う中でいきなり”変身”してしまって、仕事に行けなくて困るわ周りから手のひら返しのような対応をされるわ自分を失っていくわ…起きたら虫になってるっていうと本当に想像上だけでリアリティに欠けるかもしれないけど、”変身”をこのご時世だと新型コロナウィルスに感染した、で置き換えるとなんだか身につまされる思い
コロナじゃなくても意思疎通できない状態に自分がなってしまったとき、例えばアルツハイマーや寝たきり状態、それか社会的弱者になったとき、そんなときに周りが変わらず受け入れて優しくしてくれるのかどうか
グレーゴルに頼りきりだった家族が、彼が虫になってから自立し始めるんだけど、特に感謝もせず当たり前に頼りきっとった時からそうしたらええやんって気持ちがどうしても出てきちゃった
特に妹
献身的にグレーゴルのお世話をしていた妹が、自分自身が外の世界との繋がりを増やしていくにつれてだんだんと彼のことを等閑にするの
それと比例して、彼は妹(というか家族)だけが繋がりで孤独を感じているから、依存?独占?していくんだけど、その描写がなんか切ない
それしかなかったらそうなるよなあ
虫になったグレーゴルがあんまり驚かずにいたことも不思議だけど、素朴な疑問、なんで家族が虫を見てグレーゴルだって理解したのか
わたしの姉がもし部屋から消えてドアに挟まるくらいの虫がいたら、まず食べられたか逃げ出したって思うけど
ていうかドアに挟まるくらいの虫の恐怖
勝手にカナブンみたいな形の虫をイメージしてたけど、ムカデみたいな虫らしいね。読み進めるにつれて壁や天井、家具の近くを徘徊~ってあったからどうしても小さいカナブンみたいなイメージになる
身内だと理解しても小さな沢山の足や触覚、虫特有の液体とか、ちょっと嫌だよなあ。って思ったけどこれをまた何かに置き換えればいろいろ考えさせられそう
非常事態でも最初納得がいかなかったことでも、人間って慣れていくんだよね。理解するしないは別にしても、無意識に受け入れていく、順応していく
救われない話だし重いし暗い
なんなら最初はわりとシュールな雰囲気さえあったのに
グレーゴルへの依存から解放されて自立して、家族は明るく前向きに生きていこうって終わるって考えるとハッピーエンドなのかな~~~ハッピーとは?ってなるくらいだけど
最期までグレーゴルは家族への愛情を持っていて、けど家族はもう…息子や兄への気持ちは完全になくなっていたのかな
父親がグレーゴルを倒そうとする場面が一番切なかった
壁や天井へ逃げたりすると父親はそれをことさらの悪意ととりかねなかったので、グレーゴルもいまのところは床の上にいたわけである。いずれにせよグレーゴルは、そうやって床の上を這いまわることだってそう長いあいだはやっていられないだろうと考えざるをえなかった。
――と、そのとき、彼のすぐわきになにかが飛んできて、彼の前をころがった。林檎であった。やんわりと投げられたらしい。つづいてすぐ第二の林檎が飛んできた。驚きのあまりグレーゴルは立ちすくんだ。それ以上這って逃げてももうだめだった。父親は爆撃の決意を固めていたからである。………ところが第二弾が背中にぐさりとめりこんだ。場所を変えれば、突然の信ずべからざる背中の苦痛が消えるとでもいうように、グレーゴルはさらに逃げようとしたが、まるで釘づけにされたような感じで、全感覚が完全に狂ったまま、その場に伸びてしまった。目が見えなくなる直前、自分の部屋のドアが開かれるのをやっと見ることができた。なにごとか叫ぶ妹のうしろから母親が走り出てきた。下着のままだった。
身の危険を感じ取って逃げまわる瞬間ですら家族のため、よかれと思って行動するグレーゴル
と、
「こいつがわしたちのことをわかってくれさえしたら」と半ばは問いただすように父親が言った。妹は泣きながらはげしく手を振った。そういうことはありえないという意味なのである。「こいつにわしたちのことがわかってくれたら」と父親はくりかえし、目を閉じることによって、そんなことはありえないという娘の確信をわが身に納得させた。「そうだったら、こいつと話し合いをつけることだってまんざらできない相談じゃあるまいが。だがこんなありさまじゃ――」「放り出しちゃうのよ」と妹が言った。「それ以外にどうしようもないわ、お父さん。これがお兄さんのグレーゴルだなんていつまでも考えていらっしゃるからいけないのよ。あたしたちがいつまでもそんなふうに信じこんできたってことが、本当はあたしたちの不幸だったんだわ。だっていったいどうしてこれがグレーゴルだというの。もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、あたしたちもどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに。
あくまでも自分たちは正しくて、わかってくれない相手が悪い
「相手のため」って「自分のため」だったりするよね
「これ」扱いが悲しい
いろんな考察があるからそれを読むのを楽しんでたんだけど、どなたかのコメントで「カフカは一度虫になったことがあるのかと思うほど描写が細かい」って書いてあってクスッときた。確かに
足の感覚とか体の起こし方とか痛みとかリアルに描いてあって、次から転がってるダンゴムシとか見たら想像しちゃいそう
この作品、カフカ自身はあんまり気に入っていないというか不完全みたいなことを言っていたらしいんだけど、何が足りないんだろう
ていうか”虫”は何を暗喩してるんだろう
全然関係ないけどGoogleで「カフカ 変身」って画像検索したら虫嫌いのわたしに大ダメージだった
数年後にまた読み返す
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