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2021年12月の記事一覧
両親2人とも要介護だった①
私の両親は亡くなるまでの何年間か両方とも要介護でした。
母に至っては62歳の時に要介護になって
亡くなったのが86歳、24年間も要介護だった訳です。
まぁ、その24年間ずっと私だけが
介護を担っていた訳ではありませんが、
こう書いてみると約四半世紀弱の要介護人生ですか⁉︎
本人も辛かったとは思いますが私を始め周囲はもっと大変です。
父は約10年に渡って要介護で、父の方は認知症でした。
両親2人とも要介護だった②
車椅子生活で要介護3
(脳梗塞で倒れてから7年以上たっていて、介護度がアップしてました💦)
の母と二人で暮らしていた父が認知症?
とにかくちゃんと病院に連れて行って診断を受けなければ、
と思い調べたところ幸いなことに実家から徒歩圏内に
認知症の診断をしてくれる専門の病院があったのです。
認知症になった人って、自分はおかしくない、まともだ、
認知症なんてとんでもない!と
診察を嫌が
両親2人とも要介護だった③
脳梗塞で左半身麻痺の母と認知症と診断された父。
デイサービスやたまのショートステイ、
ヘルパーさんの補助を受けながら
ひとまずそのまま二人暮らしをする事になりました。
まだ子ども達が小さい頃で2人の手を引いたり
ベビーバギーに乗せてバスや地下鉄で
実家に通っていました。
市内泉区の実家まで月に3〜4回程は
泊まりに行っていたでしょうか?
そんな状態ですから私は当然仕事など出来ませ
両親2人とも要介護だった⑤
長男の事故後の生活も落ち着き、
両親には同じマンションの同じフロアの賃貸の部屋に
越して来てもらうことになりました。
当初の予定の1ヶ月遅れの秋口のことでした。
部屋を整えて
身体の自由が効かない母のために、
介護用の電動ベッドも運び込んで。
最初は夜は自宅に戻っていましたが、
夜のトイレ介助が父に全部任せる事もできず、
徐々に私が両親の部屋に泊まって
夜のトイレ介助もやるよう
両親2人とも要介護だった(番外編)
今日はちょっと番外編。愚痴っぽい余談です💦
私がずっと地元に住んでいたので
両親は何かあった時は私に頼ろうと思っていたようで、
実際にそのように言われてました。
聞き流してましたけども。
↑小さい頃の兄と私。昭和30年代です。
長男である兄は大学を出てから東京で就職し、
お嫁さんも東京の人です。
兄夫婦の子供(姪っ子)がまだ小さい時に
仙台に戻って同居する話が兄の方からありまし
両親2人とも要介護だった⑥
「子連れ住み込み女中さん」状態で
結局4年程も続いた同居での両親2人の介護生活。
両親が引越して来るにあたって、
ケアマネージャーさんから言われた言葉を今も覚えています。
「どんな選択肢をとっても家族にとって迷ったり、
これで良かったのかと様々に悩むのは当然のこと。
でも家族はその時に選び得る選択肢から
最善の選択をしているはずだから
自分たちを責めたりする必要はないです」
この
両親2人とも要介護だった⑦
同じ部屋に寝泊まりしていた約4年間は、
夜間に何度も起こされ、トイレ介助が必要で
熟睡出来ないのが一番参りました(T . T)
毎日午後9時ごろに就寝し、夜中12時ごろに最初のトイレ、
午前2時〜3時に2度目のトイレ。
2度起こされた後は
「もう起こさないで。私全然眠る暇ないじゃん」
と言っても朝方にまたトイレ介助の要求。
「もう起こさないでって言ったでしょ?」と言うと
「そんな
両親2人とも要介護だった⑧
話は少し前後します。
FBの「過去の思い出を振り返ってみよう」
それに先日上がってきた記事です。
その内容を再掲します。
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2013年12月15日
昨日、伯母のお通夜で、要介護4で車いすの母と要介護2でアルツハイマーの父を連れて仙南の柴田まで往復して来た。その顛末がまた、漫才みたいで笑える。
父が金曜夜に「誰だかから電話来たから
両親2人とも要介護だった ⑩
震災後、1年半ほど経ったある日、
私は何の前触れもなしに
両親の部屋で寝泊まりするのを
やめてしまいました。
「あ〜も〜限界❗️
もうここで寝起きするのやめよう!
私が世話しなくてもどうにかなるわ❗️」
と突然心が決まり、
その日から自分の本来の家に戻って
寝る事にしてしまいました。
両親には何の断りもなく、です。
もちろん食事の支度はするし、
部屋にいる時はトイレ介助も毎日の
両親2人とも要介護だった⑪
母や父の毎日も大切ですが
もうこの辺りで今後の生活の仕方を組み替えなければ
私たち家族全員がめちゃくちゃになってしまいます。
ケアマネさんにも「母が入所できる特養ホームはないか」
探してもらっていましたし、私たち夫婦も
入所出来そうな施設はできるだけ資料を取り寄せたり
見学に行っていました。
ただどこも入所待ちの人が100人単位でいるところばかりです。
この頃は母と常に一緒に居る認
両親2人とも要介護だった⑫
ショートステイを延長しながら施設で過ごす。
ひとまず緊急避難的な方法とはいえ、
母の入所が決まり、さまざまな手続きや相談を経て
私たちは父を入れた5人家族になりました。
2013年12月初めのことでした。
年末年始は母の一時帰宅もありましたが
「施設での生活がメイン、帰宅はたまのイベント」
的な位置付けです。
私たち家族の負担が劇的に減ったのは言うまでもありません。
母が入所して
両親2人とも要介護だった⑬
父との同居で5人家族の毎日が始まりました。
私には憧れの新居でしたが急に環境が変わった父の戸惑い、
そして義父との初めての同居になったダンナの
ストレスもいかばかりだったでしょう。
でもね、ダンナに関してはフツーに大人なんだからさ、
自分自身のストレスやイライラは自分のやり方で工夫して
解消するなり過ごしやすくする知恵を働かせるなり。
それが一人前の大人のすることだと私は思っています
両親2人とも要介護だった⑭
両親が住んでいた家を出てしばらく経った頃。
隣の家から「ゴミを放置して行く人がいる」
と苦情が入っていました。
空き家を放置する訳にもいかず
父に時間をかけて説明して売却することになりました。
今後の介護費用を考えても空き家の維持を考えても
もう売却するのがベストの選択でした。
↑その頃はまだ「不動産を活用して家賃収入を得る」なんてこと
知らなかったんですよ〜。ちょっともったいないこと
両親2人とも要介護だった⑮
母が何とか特養ホームに入居出来、
すったもんだの怒涛の引越し作業も済み
3LDKのマンションでの父も入れた5人での生活。
母の介護の負担が減り、多少は落ち着いてきた父。
でもやはり認知症は徐々に進みます。
新しい場所に引越して、以前通りにデイサービスで週に4日。
私は日中はパート等の仕事がありますし
四六時中父を見ている訳には行きません。
介護度の都合から父が受けられるのは
週に