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「普通」という呪いから自分を解放する

今私たちが生きている社会には
「普通」と言う言葉が溢れています。

もちろん以前よりは
少しずつ個性を尊重されるようには
なってきましたが

それでもまだまだ
普通であることを求められる社会が
続いているのは確かです。

そしてそれは都心よりも
地方に行くほど
色濃くなる傾向があります。

普通はそうするのに、、、
普通はこう考えるでしょ、、、
これができるのが普通でしょ、、、

こういった「普通」
という言葉の裏には
必ず批判めいたものが潜んでいます。

どれも「普通」であることが
正しいかのようなニュアンスです。

まるで普通であることが当たり前で 
普通と違うことは異常なことだと
言わんばかりに、、、

正に無言の同調圧力です😓

普通という平均的な生き方
普通という平均的な考え方
をしていれば

人から非難されることも
人から奇異な目で見られることも
ありません。

だからこそ「普通」じゃないと
生きづらい社会であるのは確かです。

そのせいで
いつしか自分がどうありたいかより

みんなと同じだと安心するから
変な目で見られなくないから
あるいは非難されたくないから

普通でいようとなるわけです。

それは正にコロナ禍の
人々の言動を見れば一目瞭然です。

それが悪いと言っている
わけではありません。

社会は一人では成立しませんので
時には人に合わせることも大切ですし
人の意見を尊重することも大切です。

全ての物事は表裏一体であり
良い面も悪い面もあるからです。

ただ、そろそろ必要以上に
自分を「普通」に縛りつけるのを
止める必要があると思うのです。

なぜなら自分を
「普通」に寄せていくことは
自分の可能性を
制限することになるからです。

みんなと違って良いし
むしろ違うから良いのに

「普通」という小さな枠に
自分を押し込めてしまうなんて

自分を本当のしあわせから
遠ざけてしまうばかりか
社会の損失でしかないと思うのです。

私の生き方や考え方は
おそらく「普通」からはかなり
ずれていると思います。

何が普通なのかは
一旦置いておくとして

むしろ「普通」なんてつまらない
とさえ思っています(笑)

だからと言って
人に合わせないわけでも
人と協調しないわけでも
ありません。

むしろ積極的に合わせたり
積極的に協調することも
多々あります。

実は大切なのは
何かを選択する時や
行動する時の動機なのです。

普通だからやる
普通だから選ぶ

というのでは
正に思考停止状態で
生きているのと同じです。

自分の意思や考えを元に
敢えて普通を選ぶのと
何も考えずに普通を選ぶのでは

天と地ほども違います。

ただ自分をしあわせにするために
本質的に考えるようになると

普通がいかにつまらないものか
気づいてしまうという
側面もあります😅

でもこれは自分にとって
大切な気づきです。

そして普通という呪いから
自分を解放してみると

新たな扉が開くことに
気づくはずです。

普通に縛られていた時には
出会えなかった人に出会い

普通に縛られていた時には
来なかったチャンスが来る
ということに、、、

しかもこれからは
普通よりも個性を
重んじられる時代がやって来ます。

個人が尊重され
独自性を求められる時代です。

私を含む普通ではない人々が
生きやすい時代の到来です。

ノットノーマルな自分として
ノットノーマルな生き方を通して
一緒に新しい時代を
創造していきましょう!

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