黒目は、電車が溢すミルクを集める

20代の女、として、綺麗な格好をして、
電車に乗っていた。
私の顔を、不思議そうに覗き見るのは、隣の知らない男の子。くろいおめめ。恐らく、3歳前後だろうか。
親子づれで、彼は父親の膝に抱かれ、母親は私の反対側に座っていた。長いシートに横並び。

今日、私は、ひとりで観劇にいく、女なのに。
ぎくっとする。
この車両で、その瞳だけが正体を知っているように思えるのだ。きっとまだ生まれながらの動物の勘が残っていて、嗅ぎつけているのだろう。

私が母親であること、
一歳の息子を預けてきたこと。もう子供にはあげることはないが、暫く消滅しないままの僅かに残った母乳の匂いを。

「こどもはどうしたの?」
黒目の円の奥の深淵がきいてくる。
ふふふ、と目を逸らしながら笑ってしまう。
「お母さんも、ひとりで電車に乗って、
 好きなものを追いかけにいく時があるのよ。
 あなたは、あなたと一緒にいるお母さんとお父さんしか、
 しらないだろうけど…。今日は家族でおでかけ?いいね、わたしは今日は、ひとりでおでかけ…。楽しいのは一緒ね」

過ぎ去っていく向かいの窓の景色を、目で送りながら、そうやってますます、
電車を降りてからの時間に期待をかけるのだった。

一体どういう劇かしら。

そして、言うなれば、前座は既に始まっているのだった。
あと1年足らずで30歳になる女。
結婚や妊娠や出産を経て、家庭に埋没しかけていたが、
夫やこどもへの愛はそのままに、
自我を取り戻し、元来好きなものを思い出し、
今日はひさびさに、満喫しに行く特別な時間——。
まるで、一度はみずから枯らせたくなったが、
朽ちない根に半ばあきれ果て、
愛おしくなり、再び水を遣り、
花の若さを惜しむ様に。

20代どころか、10代の少女の様に瑞々しくときめく。
次の駅にとまるたびに、
自分だけの感性が蘇ってくる気がする。

きっと素晴らしい哉今夜のソワレで頭を夢いっぱいにしながら、
ちらちらと、なんどもまた隣の顔を見返してしまうのだった。
そして、その度に、目があうのだった。仰向けに天に掲げるその眼差しと。

ガタン、ゴトン。それぞれの往く路を混ぜて、乗り物は揺れる。目が、黒いうちに、電車は目的地についた。

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