michie845

経理事務歴10年越え&キャリアコンサルタント資格取得後2年 キャリコン>経理事務の気持…

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経理事務歴10年越え&キャリアコンサルタント資格取得後2年 キャリコン>経理事務の気持ちを抱えながら日々仕事に従事しています。年4回の決算時期にプレッシャーを感じつつも、日々の生活自体が自分のキャリア形成に活かされているのを実感しています。ゆるゆると投稿開始いたします。

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「ちょっと痛いなぁ。」私は眉をしかめた。 看護師さんが、「ごめんね。痛いよね。」と 一言。 仕方ないのだ、本日二回目の採血、しかも同じ位置で採血されているのだから。 午前中はかかりつけの内科で。 午後は半年に一度お世話になっている病院で。 血液検査はやはり検査の代表的なものだから、 どうしても時期が重なってしまうこともある。 こんな時に思うのは、どこかで検査のデータを一元管理してくれないかなあ、という甘い考えだ。 一つの検査で、検査項目が異なることもあるだろうけれど重複し

    • コンサルティングを受ける

      私は悩んでいました。 自分のキャリアに、です。 この先どうやって取得したキャリアコンサルタント資格を活かしていくのか。 自分軸をしっかり見つめて、この仕事を「生業」としていくためにはどうしたら良いのか。 久しぶりの転職活動をしながら、いざとなると 自分軸が揺らいでいるのを実感し、これは一人で考えても拉致があかないと思いました。 人に相談をしようと思い立ちます。 キャリコン仲間が良いな、と思った時にこの方にしようとすぐに思いついた方がいました。 ただ、かなり多忙な方なので引き

      • 当事者になる 介護と仕事の両立とは

        ここまで10回に渡り、伯母の転居について語って まいりました。 今回は少しキャリコン視点で「当事者になる」という タイトルに込めた私の思いについて語っていきたいと 思います。 「当事者になる」 これはキャリコン仲間の方から言われた言葉で 気づいた自分の立ち位置でした。 4月半ば位、私は泣きたい気持ちでした。 キャリコンの勉強の年にしようと思っていた 今年、それなのに伯母のことで時間を取られ、 しかも仕事も年度末本決算があり。 現在の職場ではキャリコン絡みの仕事は全くして い

        • 当事者になる ⑩通信手段に困る

          引越から3日後、無事に家中の不要品を撤去し終えて。 あとは細かな事務手続きと不動産売却に向けての手続きのみ になりました。 ここまでの拙文を読んでくださった方、本当にありがとう ございます。 淡々とすんなりと伯母の転居は進んだような印象を受けている、 そう思慮いたしますが、ここで私がどうにも困ったことが一つ ありました。 それは転居に伴い、今までの通信手段「固定電話」が使えなく なったことでした。 そう、伯母は携帯電話やスマホをもっておらず、スマホを以前 契約したことがあ

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          当事者になる ⑨施設に引越をする

          5月半ば、引越の日がやってきました。 その日は朝9時から作業に来ると引越業者の方は言っていました。 私は8時半に伯母宅を訪れ、いつもの応接間に通されます。 応接間には、伯母が梱包したと思われる段ボールとビニール袋に 包まれた品物が置かれていました。 「もうね、クローゼットのお洋服は業者さんに詰めてもらおうと  思って手をつけてないのよ。」という伯母。 私はあっけに取られました。 高齢の伯母を気遣って私はいわゆる「まるごとお任せパック」を 申込していました。 でも、もうこの状況

          当事者になる ⑨施設に引越をする

          当事者になる ⑧引越の見積をとる

          施設の入居が本決まりして、次は引越の準備です。 「もう大体用意出来ているし、持っていくものは決めているから。」 という伯母の言葉。 夏位までに移動かな、と思っていましたが、もうあの家での生活を 維持するのがきつくなっていたのかもしれません。 引越業者さんは全く見当がつかなかったので、不動産会社のTさん に「どこかご存じのところがありませんか?」と聞いていました。 紹介された会社、そこ一択で進めることにし電話をしました。 「あの、、伯母が自宅を処分して老人施設に引越をしたいと

          当事者になる ⑧引越の見積をとる

          当事者になる ⑦施設を再見学する

          4月の終わり、私は伯母と連れ立って伯母が入居希望をした施設を 再び訪れました。 4月の半ばは不動産屋さんに伯母宅に来てもらい、売却に関する説 明をしていただいたり、不用品(含む骨董品)の処分や仏壇の閉眼 供養をしていただいたり、一気に物事を動かしていた時期でした。 私は若干息切れをしていましたが伯母は粛々と自宅を片付けつつ、 この再見学の日を心待ちにしていたようです。 入居する予定の部屋は思ったより広く(前に見学した部屋より 少し広かった)、希望していた中層階で見晴らしもよ

          当事者になる ⑦施設を再見学する

          優しい配慮

          誰もが経験する「親の死」。 私のうちは少々早くにそれがやってきました。 思いがけず、あっという間に逝ってしまった母、 そして一年以上の闘病を経て旅立っていった父。 父の看取りの話をしたいと思います。今から十年近く前の話です。 冬の始まり、12月に父は最後の入院をしに行きました。 一昨年の春に骨髄異形成症候群の診断を受け、いずれは白血病と なる病気をり患し、高齢のため抜本的な治療はほとんど出来ず、 どんどん体調が悪化していった父。 出発の朝、私が『病気平癒』の願をかけた神社の

          優しい配慮

          当事者になる ⑥施設から声がかかる

          4月1日の朝、相手が誰か分からない電話が私のスマホに着信しました。 会社の新しい期の始まり=前年度の決算開始で、私はその着信を無視。 用があったらまたかけてくるだろう、と判断してそのままにしました。 4月の第一週土曜日は休日出勤もし、へろへろになりながら。 ちょっとその電話が気にかかっていたら、、プライベートのメルアドに 伯母が待機待ちをしている施設の方からのメールが届いていました。 「お部屋の用意が出来ますが、伯母さまは入居の意思はありますか?」 慌てた私、さっそく伯母に電

          当事者になる ⑥施設から声がかかる

          当事者になる ⑤不動産会社への訪問

          伯母の最寄支店から連絡を頂いて、一週間後の日曜日に支店 を訪問しました。 連絡を頂いた際に、伯母の住所は伝えており少しこちらで 調べるので時間をください、と先方から言われておりました。 応接室に通され、担当のTさんから説明をして頂きました。 客観的にみた伯母の不動産の状況を事細かくTさんは説明 してくれました。 まず、伯母ご自慢の建物(家)は耐用年数の関係で全く 金額がつかないこと。亡くなった伯父は車の運転をしなかった ため、土地にカースペースが無いのもマイナス点になること

          当事者になる ⑤不動産会社への訪問

          最初で最後のスキー旅行

          2013年2月。 父と妹と三人で北海道ニセコにスキー旅行に行きました。 実は飛行機が苦手だった父。 スキーは家族共通の趣味でしたが母亡き後、スキーは母を思い出すので 長年封印をしてきました。 私は北海道でのスキーが忘れられず、挫けずに 「一度あのパウダースノーを味わって欲しい。」と折をみて話を していたところ、家族で行くか、と父が重い腰をあげてくれて。 喜び勇んで有休日程を組み、ニセコ2泊、札幌1泊の日程で旅行 計画をしました。 ニセコのパウダースノーはとても良く、二日目に

          最初で最後のスキー旅行

          当事者になる ④不動産会社に連絡する

          伯母が引越を決めてから、早くも一か月。入居を希望する施設の 待機待ちとなり、夏前までには転居出来る見込みが立ちました。 次に私が行ったのは不動産会社への連絡でした。 伯母に今住んでる家はどうしたいの?と聞いてみたら、 「売却したい」とのこと。 入居を希望しているサ高住は月額家賃制なので、大きな金額を 前もって用意する必要はなかったものの、伯母にとっては大事な 資産。 この大仕事を前に私は、通常ならば相見積もりをとるべき所を 端折りました。 亡くなった父が勤めていた会社の系列で

          当事者になる ④不動産会社に連絡する

          当事者になる ③施設めぐり

          ケアマネSさんからの連絡で、施設見学はMさんの都合で2月半ば の平日に決まりました。予め、伯母からリクエストを聞いてくださり、 5施設程提案していただいたリストの中から、伯母は2施設の見学を 希望しました。 ・施設の場所(自分の生活環境があまり変わらなく、私が来やすい) ・月額予算 この辺りがポイントだったのかな、と思います。 サ高住と介護付き老人ホームを1施設づつ見学することとなりました。 Mさんともメールと電話ではやり取りしていたものの初対面でした。 まずは第一希望のサ

          当事者になる ③施設めぐり

          当事者になる ②ケアマネさんと会う

          「老人施設に移るから」と伯母に宣言された私。 まずはケアマネさんに会わなければ、と思い、連絡先を伺いました。 ケアマネさんについては実は過去に苦い経験があります。 それはコロナ禍になる前位だったかと思います。 「〇〇歳になったら」をまた更新した伯母のことをこのまま身内と して放置して良いのかを相談するためにケアマネさんに電話をして お話したことがありました。 一通り私の話を聞いて担当のケアマネさんは、まず一言こう言いました。 「あなたの出番はまだです。」 「今、伯母さまは

          当事者になる ②ケアマネさんと会う

          当事者になる ①伯母の宣言

          2024年、今年は「キャリコン勉強の年にしよう」と思っていた矢先に、 「ケアマネさんに『私、老人施設に移るから』って、言ったから。 (あとよろしく)」と伯母に言われた私。 あまりの衝撃に即日ノートを作り、伯母の終活記録をつけることに しました。(メモしておかないと忘れてしまうことばかりだったし) 今年90歳になる伯母。 昔から何度も「〇〇歳になったらホームに行くわ」と言いつつ、その 年齢になったら時にはその〇〇歳を更新してきていました。 それが今!何故!? 「一人暮らしの家

          当事者になる ①伯母の宣言

          キャリコンを目指したきっかけ②

          キャリコンを目指したきっかけ、続きです。 新入社員に「仕事の引継ぎ」をしていき続けた結果、自分の仕事範囲が縮小されて誰がやってもよいファイリングだらけになった時。 メンタルダウンになりかけました。この苦い気持ち、久しぶりすぎて辛かった。まるでダッチロール状態みたいだなと思いました。 そして、このダッチロール状態は今に始まったことではない、と不意に思いました。小さなダッチロールは何度か繰り返していたけれど、この根本のそもそもの起点はどこだろう。そんなことを考え始めました。 そ

          キャリコンを目指したきっかけ②