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最初で最後のスキー旅行

2013年2月。
父と妹と三人で北海道ニセコにスキー旅行に行きました。
実は飛行機が苦手だった父。
スキーは家族共通の趣味でしたが母亡き後、スキーは母を思い出すので
長年封印をしてきました。
私は北海道でのスキーが忘れられず、挫けずに
「一度あのパウダースノーを味わって欲しい。」と折をみて話を
していたところ、家族で行くか、と父が重い腰をあげてくれて。
喜び勇んで有休日程を組み、ニセコ2泊、札幌1泊の日程で旅行
計画をしました。

ニセコのパウダースノーはとても良く、二日目にはちょっと高い
ところから滑りたいと父が言いだし、一人上のスキー場にあがる
ゴンドラへ。
父はスキー上級者だったので、心配せずに下のスキー場で滑って
いた時、父からSOSの連絡が入りました。
え、父が? 降りれなくなった? 
そんな馬鹿なと思いつつ、妹とレスキューを手配しにいきました。
かなり上まであがってしまったので、とりあえず下におりる
ゴンドラまで運んでもらわないと、とスノーモービルに妹と二人
乗せられて現場に向かいました。
父は新雪を味わっていたらしく、スキー一本が外れて飛ばされて
動けなくなっていました。
擦り傷はあったものの、大きなケガや骨折はなく無事だったこと
に安堵、救助されて下におろしてもらいました。

そんなアクシデントはあったものの、三人での旅行は初めてで
父も妹も嬉しかったらしく、手配に奔走した私は胸を撫でおろし
ました。

そして最後の1泊は札幌へ。
昼間に行った北海道大学のキャンパスが父はとても気にいった
らしく、飛行機嫌いの父が「夏にもう一度来たいな。」と
言ったことが忘れられません。
札幌在住の私の友人を頼って、夏の北海道を楽しみに行く。
そんな調子のよいことを言っていた父でしたが、その夢は叶い
ませんでした。
2013年4月、父は骨髄異形成症候群と診断され。
2月にスキーの時、すでに病魔に襲われていた、と想像がつく
と、何故あの父がニセコで滑れなくなったのかがやっと合点が
行きました。
そして、2年後の冬、父は永眠します。
ニセコ旅行は最初で最後の家族三人での旅行となりました。

父が亡くなったその年の秋、私は妹と同じ日程でニセコと
札幌を訪れる旅行をしました。
冬とは違う秋のニセコの風景、姉妹二人での追悼旅行でした。

札幌には友人もいて、北海道は旅行先には最適ですが、
あれから十年近く経つ今もスキーはまだ封印したままです。
夏の北海道は夢をかなえることが出来なかった父に申し訳
なく、やはりまだ行けそうにありません。

2013年2月。
ニセコのホテルの夕食時、父がさり気なく母と四人揃った
家族写真を取り出していたことを思い出します。
本当は家族四人でここに来たかった、そんな父の思いに
今更ながら気づいた私です。










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