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優しい配慮

誰もが経験する「親の死」。
私のうちは少々早くにそれがやってきました。
思いがけず、あっという間に逝ってしまった母、
そして一年以上の闘病を経て旅立っていった父。
父の看取りの話をしたいと思います。今から十年近く前の話です。

冬の始まり、12月に父は最後の入院をしに行きました。
一昨年の春に骨髄異形成症候群の診断を受け、いずれは白血病と
なる病気をり患し、高齢のため抜本的な治療はほとんど出来ず、
どんどん体調が悪化していった父。
出発の朝、私が『病気平癒』の願をかけた神社のお札に柏手を
打ち、しばらく祈りを捧げていた父。
何を祈ったのかはとうとう最後まで教えてくれませんでした。

この年の12月、私は有休を駆使して職場に迷惑をかけながら、
父の闘病に寄り添う覚悟をしていました。
12月半ば、父の病室に看病に来ていた私に、主治医が病室の
外へ出るよう手招きをします。
「そろそろ何処で最期を迎えるかを決めてもらう時期に
 なりました。」
覚悟はしていたものの、その言葉の意味を嚙み締めます。
「会社の制度で介護休業の制度がありますが、それを使う
 時期が来ているということですか。」
私が絞り出した言葉に主治医はうなずきました。

主治医が去って行った後に私は「介護休業」のことを
ぼんやりと考えます。確か、93日間上限でとれたっけ、、
でも今まで会社で取得した例はないような気がする、、
それにこれから取得するとしたら第三四半期の決算に
当たってしまう、、
上司に何といって切り出そう、と悩みました。
でも、ここで介護休業をしなかったら、私は一生後悔
する、そんな気持ちがありました。
翌日、上司に相談、快諾をしていただいた私は約一か月
介護休業をしました。

介護休業の間に起こったドラマティックなことと言ったら、
ここに書き尽くせないほどです。
・父は最後に愛用の携帯電話で元上司に直接お世話になった
 お礼の電話をできたこと
(次の日からモルヒネ系の投薬で電話が出来なくなりました)
・せん妄状態になり、訳の分からない話をするようになって
 いたのに、突然の元同僚達のお見舞いに一瞬で正気に
 なったこと。
(「なんでお前たちこんなところにいるんだ!」という父の
 言葉にすかさず、彼らは、
「何故って当たり前だろう?
 会いに来るに決まっているだろう!」と返答されました。)

そして、父が旅立った日。
その日は朝から父の血圧が低く、何となく予感はしていました。
父は大部屋から個室に移されましたが、その部屋は母が
亡くなった部屋の真上に当たる部屋。
「母が迎えに来るかもしれないな。」と思い、家にいた妹に連絡し
に個室から席を外した、そのほんのわずかな間に父は永眠して
しまいました。
その日はずっと付き添いをしていたのに、本当の最期の瞬間には
立ち合えなかったのです。
母が本当にすぐに父を迎えに来たのだと、父の最期の瞬間に
立ち合えなかったのは、父と母なりの私への優しい配慮であった
のではないかと今では感じています。

父が亡くなり、その後三年間位は私は何かあるとメソメソと家で
泣いておりました。
でも、最後の介護休業をした一か月のおかげで後悔することは
少なく済みました。
あれからもうすぐ十年。
色々なこともあるけれど、前を向いて生きています。
この場を借りて、あの時にお世話になった皆さんにお礼を申し
あげたいです。
おかげ様で、私は父の看取りを乗り越えたよ、と。








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