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フィロソフィカル・キャット

 どうすれば、防げるのかしら?

 私は駅のホームにいた。
 
 目の前には、お爺さんがいる。

 あの後、心配になって、ついてきた。


駅のホームよ

 お爺さんは、さっきまで駅の椅子で、
 ぼんやりしていた。

 だが今はゆらりと力なく、
 立ち上がっている。

 何を考えているのか、私には分かる。

 目を凝らすと、黒い人影が、
 薄っすらお爺さんと重なって、見えた。

 そいつは口から、
 瘴気のように、ガスを放っている。


マイナスの世界、この世の裏側よ

 あのガスは、
 全てマイナスの想いで、できている。

 本人と連動している。
 口がパクパク動いている。

 一つ一つが、自己否定の想いだ。
 愚痴だ。無念だ。

 無念が死霊を呼び寄せて、
 お爺さんは乗っ取られた。

 駅の自殺霊だ。
 不成仏霊だ。
 悪霊だ。


うしろのしょうめんだぁれ?

 実はある程度の大きさの駅なら、
 どこの駅にでもいる。

 そいつが今、
 お爺さんにくっついて離れない。

 アレを引き剝がさないと、
 恐らく止められない。

 時折、特急電車が、
 ゴーっとホームを通り過ぎた。

 彩南町(さんなんちょう)は、
 各駅停車でないと止まらない。

 ローカル線だから、
 まだホームドアの設置も進んでいない。


駅のホームにある二重の扉よ

 誰でも簡単に、
 あの黄色い線を越える事ができる。

 今、お爺さんに、
 あの線を越えさせてはならない。

 あれは文字通り、死線だ。
 黄色い線なんかじゃない。

 だが猫の体では止められない。
 どうする?

 それでも私は歩いて、
 ホームの黄色い線の前に立った。
 
 

黄色い線の内側に下がってね

 猫の力では、
 物理的にも、霊的にも、止められない。

 せめて、同じ人間であれば、
 止めようがある。

 だが私は人間ではない。
 猫だ。ただの白猫だ。

 一応、不思議猫だから、
 言葉を沢山知っている。

 デンケン、デンケン、パンセ。


思考は時を超えるわ

 考える猫。
 フィロソフィカル・キャット。

 ダメだ。伝える術がない。

 哀しいかな。にゃーしか言えない。

 だから周りの人にも、
 お爺さんの異常を伝えられない。

 考えられる全ての手が無効だった。
 猫は無力だ。

 だがお爺さんを動かす事はできなくても、
 私は動ける。

 これは動かす者と動かされる者の関係にある。

 一体どうすれば、
 お爺さんを動かす者になれるのか?

 まず私は、
 お爺さんの注意を引くため、鳴いた。

 にゃーお。







幕間よ











あめー

 その日も、雨が降っていた。

 梅雨の長い雨だ。
 殆ど一日中、降っている。

 キャンプ場も、
 開店休業みたいな状態になり、
 客足が途絶える。

 でもそんな時に、あの人は来た。

 まだ結婚前だったのか、
 家族はいない。独りだ。

 独身時代最後の夏を楽しもうと、
 キャンプ場を訪れたのかも知れない。

 その時、私はまだ不慣れで、
 色々苦しんでいた。

 すでに他の猫と、
 自分が違うという事は自覚していた。

 だが立ち位置まで変わる訳ではない。

 扱いはただの猫だ。
 
 むしろ、
 余計な事を色々考えるダメ猫だ。

 あの時、
 私はキャンプ場での生存競争に負けていた。

 管理人さんの餌には、
 辛うじてありつけていたけど、それだけだ。

 たまに他の猫に邪魔されて、
 奪われる事だってある。

 だから私は飢えていたし、
 弱っていた。まだ成猫でもない。

 おまけに長雨で、寒かった。
 おかげで身体を冷やした。


夜の雨は冷たくて、悲しいわ

 よい寝床は、全部他の猫に取られていたので、
 私は草陰に隠れていた。

 そしてキャンプ場、
 唯一のお客さんがあの人であれば、
 猫たちは殺到する。

 私はあの人が、
 キャンプ場の猫たちに、
 大歓迎される様子を遠巻きに見ていた。

 だがあの人は、最初から、
 私の存在に気が付いていた。

 だからあの人は自ら、
 草陰に隠れる私の処まで来て、
 手を差し伸べた。


雨は凌げても、悲しみまでは凌げないわ

 見上げる私の瞳の海に、
 あの人の笑顔が映った。

 初めて触れた人の優しさは、
 暖かさだった。

 他の猫たちが見上げる中、
 私だけがあの人の腕に抱かれた。

 私はビックリして動けなかった。
 
 だがあまりに心地よくて身を任せた。

 大きな暖かさが包み込む。


オレンジの光ね


 
 その中で私は眠った。

 ねぇ、あなた、神様に抱かれて眠った事はある?

 大いなる神仏に抱かれて眠る夢は、
 宇宙の静寂(しじま)よ。


夜のしじま

 一度でも神様から愛されていると思ったら、
 変わるのよ。

 勿論、あの人は神様ではないけれど、
 あの人を通じて、感じたわ。

 人も猫も、全て同質の暖かさでできているの。

 神様の夢、仏の慈悲よ。

 私は目を覚ました時、新生していた。

 活力が漲り、
 水の水面に映る私の瞳の輝きも変わったわ。

 その日の朝、長雨が止んで、
 お日様の光が天から射した。


雨後の光

 私とあの人はテントの周囲を歩いたわ。
 キャンプ場を歩いたわ。

 もう他の猫は全部、
 何処かに行った。

 雨が止んだから、
 他のお客さんが来たのかもしれない。

 でも私は嬉しくて、
 必死になって、あの人と一緒に歩いたわ。

 猫と人間では歩幅が違うから、
 合わせるのが大変だったけど。

 とにかく小ダッシュの繰り返しで、
 追い抜いたり、追い越されたり。

 う~ん。あの時、
 私たちは何をしていたのかしらね?

 いわゆる、きゃっきゃっうふふって奴?

 猫と人間で、恋人気取りで、
 キャンプ場を歩いても、意味不明よね。

 でも私はあの時、
 自分が猫だって事、殆ど忘れていた。

 ありがとうね。
 
 私のご主人様。愛しいあの人……。








幕間よ










 
 

 再び駅のホームよ

 にゃーお。

 私はお爺さんの気を引いた。

 「シロ?」

 お爺さんは一瞬、
 呆けたような顔をして、驚いていた。

 今だ。チャンスは一度切り。使うなら今だ。

 お爺さんと見つめ合うと、
 特急がホームを通過するタイミングを測った。

 それは一瞬だった。

 私はホームから列車に飛び込み、
 お爺さんの目の前で、死んだ。

 ごめんね。

 お爺さんを止める方法、
 これしか思いつかなかった。

 お爺さんは老い先が短いとか言っていたけど、
 私よりは長いよ。

 猫の命なんて、
 あっと言う間の数年間だけど、
 人間は違う。

 お爺さんは、
 まだ10年以上生きられるでしょう?

 それは私の一生、もう一回分だよ。

 お爺さんは、
 もう何もできない人間だと言っていたけど、
 それは違う。

 私たち猫から見たら、人間なんて、神様よ。

 何でもできるし、
 スーパーコンピュータみたいなものよ。

 何であんなに喋れて、
 何であんなに計算できるの?
 羨ましい。

 設計とか言って、
 クルマでもヒコーキでも、
 デザインできるんでしょう?


設計よ

 それはもう神様の力よ。
 神様の力が一部、備わっている。

 アインビルディングクラフト、
 構想力、理性の力と言うらしいけど、
 私たち猫からしたら、神様の力。

 そんな能力を与えられているのに、
 自分から死んでしまうなんてダメ。

 私が身代わりになるから、
 あなたは生きなさい。誰かのために生きて。

 変な死に方して、
 あんな邪神のお仲間みたいにならないで。

 私たち猫から見たら、
 人間の悪霊なんて、邪神そのものよ。

 めっちゃ呪力が強くて、怖い。
 猫の不成仏霊なんて、大した事できないわ。

 でも人間の霊は、とんでもない祟りを起す。
 やっぱ神様に近い存在だから?

 だからとにかくあなたは生きて、お爺さん。

 私たち猫は、
 いや、この星の全ての動物たちは、
 人間を支えているのよ。

 だって、神様から、そう言われて、
 この世界に生まれたんだから。


天地開闢、宇宙創成

 宇宙で最初の人霊が創造されたのは、
 いつの事か分からない。

 でも宇宙で最初の猫が造られた時、
 神様が何て言ったか分かるわ。

 寝る子よ。
 人間の傍にいなさい。
 そしてお互いを温め合いなさい。

 多分、これだけよ。
 神様からの作業依頼は。

 家猫、外猫、それぞれ、
 現場に配属されている私たちをよろしくね。

 私たちの指揮命令者はあなた、
 人間なんだから。神様から託されているのよ。


ごんぶとよ

 アレ?光が射して来たわ。
 何か見える。何かしら?

 上の方で、何か偉い人たちが、
 会議を開いているわ。稟議?

 あ、私の件みたい。
 でも何の稟議?
 え?今から評決を取るの?

 全会一致で二階級特進?
 犬を飛ばして、いきなり人間に昇格?

 鼠→兎→猫→犬→人間の順番があるらしいけど、
 私は二階級特進した。戦死したから?

 ちなみに猿は犬から派生したアポリアみたいね。
 イルカも最上位にいるみたい。

 どーんと天の花火が咲いた。
 パラパラと光のシャワーが落ちて来る。

 晴れて「人間合格」した私は、
 大きな光に包まれた。

 私は猫から人間に霊的進化した。
 スピリチュアル・プロモーションだ。

 地上を見ると、
 お爺さんが駅のホームで泣き崩れていた。
 悪いのも外れた。涙が洗い流した。

 あの人を見ると、
 家で家族と一緒に暮らしていた。
 幸せそうだ。クロもいる。

 ああ、この次生まれる時、人間として、
 あの人に会える。なんて幸せな事だろう……。


転生の朝よ

                            私は白い猫だよ Fin

私は白い猫だよ 1/5

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