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大和の心、沖縄特攻

 ――沖縄を救う。絶対に。片道燃料でも往く。往って、海岸に乗り上げて、陸上砲台になる。そして最後の一発まで、巨砲を撃ち尽くし、朽ち果てるまで、県民の盾となる。
 それが戦艦大和の心、沖縄特攻だ。その心は、本土は沖縄を見捨てない。絶対にだ。

 彼女の心は、大和の艦内神社を基点に存在していた。その姿は人の目には見えないかもしれない。だが確実に存在して、乗組員に働きかけていた。大和の心だ。大いなる和、和を以て貴しと為す。日本の精神。日本の心を体現している。まさに日本を救うために、彼女は生まれた。
 Fleet in beingの思想に基づいて、戦わずして勝つ。それが戦艦大和だ。大和の存在が即勝利という圧倒的な信頼感と共に、彼女は生まれた。その大和が戦うと言う。しかも決死の出陣だ。3332人の男たちを乗せて。目指すは沖縄。すでに戦端は開かれている。早く往かなければ。
 彼女は死に場所を探していた。戦艦として生まれて、戦って死ぬのは本望である。姉妹だった武蔵は、シブヤン海で満身創痍になるまで戦って、壮烈な戦死を遂げた。姉として、妹の死を看取った。今度は自分の番だ。ここで命を使わずして、何時使うと言うのか?
 傍らに並走する駆逐艦を見た。雪風だ。軽快に波を蹴って進んでいる。艦橋で夏服のセーラーを着た少女が、こちらに向かって敬礼している。大和も微笑んで、敬礼を返す。人の目には見えない。艦の娘、艦内神社の御霊たちのやりとりだ。雪風は相変わらず勝つつもりでいる。
 可笑しい。大和は思わず、微笑んだ。雪風は死なない。彼女は天の加護を受けている。

 ――運命の坊ノ岬沖、昭和20年、西暦1945年4月7日。そこはある意味、すでに袋小路だったのかもしれない。だがここが日本の運命の岐路と考えて、戦った者たちがいた。戦艦大和とそれを護衛する最後の二水戦だ。――日本が沖縄を失うとどうなるのか?
 帝国海軍は沖縄を失えば、本土決戦はできないと考えた。南方からの資源輸送は、すでに途絶えている。だが沖縄戦を今次大戦の決戦と考え、天一号作戦を立てた。第一遊撃部隊が結成されて、戦艦大和を旗艦に、第二水雷戦隊軽巡矢矧以下、駆逐艦8隻、計10隻が出撃した。
 沖縄戦はすでに始まっている。昭和20年3月26日から始まり、6月23日に終わった。県民の4人に1人は亡くなる激戦だった。米軍も死者を2個師団弱出している。戦傷者はもっと多い。太平洋戦争最大の陸戦だったかもしれない。米軍もよく戦い、とても苦しんだ。
 被害があまりに大きかったので、広島、長崎に原爆を落とす理由の一つになったかもしれない。米軍は、日本の本土決戦に付き合う気はなくなった。1945年11月のダウン・フォール作戦は、やらない方向で決まった。沖縄戦のお陰で、関東平野は地獄の上陸作戦を免れた。
 サイコロの出目が異なれば、原爆は落ちず、皇居が最後の戦場になっていたかも知れない。米軍はノルマンディー上陸作戦を、遥かに上回る規模の艦隊と、上陸部隊を計画していたのだ。

 沖縄の波は高く、風は吹き荒れる。夜、星は見えない。海が時化っている。
 海軍の沖縄方面根拠地隊司令官は、陸戦隊を率いて、豊見城(とみぐすく)で戦いながら、ずっと考えていた。果たして本当に大和は来るのか?逼迫している燃料事情は知っている。だが沖縄を守る。沖縄を救う。海岸に乗り上げて、戦艦大和は陸の砲台になって、最後の一発まで砲弾を撃つ。県民の盾となって、朽ち果てるまで戦う。この考えは、何となく伝わっていた。陸軍や県民にも、それとなく広がる。海軍が助けに来るらしいと。淡い期待と共に。
 すでに海軍の特攻機が、何度か飛来していたので、多少の期待はあった。だが戦艦大和は、最高の軍事機密のため、秘匿されており、その存在は、1952年まで日本国民に知られていない。だから海軍が、沖縄を助けに来るらしいという認識だった。沖縄の人々は助けを待っていた。
 
 今、大和の眼前には、幾つもの運命が現れては、消えていた。この先、起きる事ばかりだ。全てが良くない。その中に、沖縄師範学校と第一高等学校の女子生徒たちが、学徒隊を組み、看護婦として従軍する姿が見えた。だが殆ど戦闘で死んでしまう。大和は涙を流した。
 この未来は何とか回避できないか?沖縄に往きたい。彼女たちの盾になりたい。今盾になれなくて、何のための大和だ?世界最大の戦艦ではなかったのか。何のための垂直装甲410mm、水平装甲230mmの鉄壁か。世界最大の46cm砲9門は、ひめゆりの花たちさえ守れないのか?
 ダメだ。どの世界線でも、この未来は回避できそうにない。大和が沖縄に辿り着きさえすれば、状況は変わる。ほんの僅かだが道は示されている。だがその後が良くない。米軍の作戦行動が大きく変わって、さらに恐ろしい事が起きる。大和は決意した。ここに光の柱を立てると。
 まだ様々な可能性はある。だが選べる道は一つだけだ。だからこの生に意味が与えられる。運命を選ぶという事は責任を伴う。複数の可能性を捨てて、一つの道を選ぶ。それは人生であり、艦の航路であり、国の命運でさえある。世界は複数ある。だが現実は一つだ。だからこの生に意味がある。Life is a series of choices.(命は選択の連続)は確かに至言だ。(注45)
 
 3機のF6Fヘルキャットが、日本艦隊を発見した。アメリカ第5艦隊に大和発見と報告した。アメリカ第58機動部隊から、爆弾とロケット弾を装備した戦闘機ヘルキャットとF4Uコルセア、雷撃機アヴェンジャー、急降下爆撃機ヘルダイヴァーなど、約300機強が飛び立った。
 第一波攻撃だ。視界は8キロ以下、風速10m、曇天。攻撃隊に有利だった。
 とうとう戦艦大和は、運命の坊ノ岬沖に着いた。米軍艦載機が雲霞の如く、押し寄せて来る。
 大和は戦闘が始まると、大和の乗組員全員に、いや、艦隊全体に特大のバフをかけた。人の目には見えないが、大和は舞いを舞っていた。天から伝わる古の舞い。戦意が向上し、集中力が限界を超えて得られる。見た事もない不思議な形の印を、手で結び、舞いで流して行く。
 戦争というものは、誠に恐ろしい。在ってはならない事だ。だが誰かを守るために戦う正義の戦いは、時には何でもない凡人でさえ、神域の高みにまで押し上げてしまう。海の神兵。それが今の大和の乗組員たちだ。全員の心が燃え立ち、一つになる。大和は指揮を執った。
 自分は民族神の欠片に過ぎないかもしれない。だが大和に生まれたからには、日本を守ると言う使命がある。それは1945年の日本だけでない。未来の日本も守らないといけない。だから見苦しい最期など在ってはならない。後世の人たちがこの一戦を見ている。最期の輝きを示せ。

 ここに、戦艦大和を航空機の群れで沈めるのは惜しいと考える非合理主義者がいた。寄りに寄って、米海軍の現場トップ、スプルーアンス海軍大将だ。ミッドウェーの勝利者だ。
 彼の手元には、アイダホ、ニューメキシコ、テネシー、ウェストバージニア、メリーランド、コロラドなど旧式戦艦群がいる。数的優位で大和に艦隊決戦を挑み、大和を倒す。
 サイコロの出目が異なったら、という話でしかないが、それは並行世界の夢でしかなかったかもしれない。実際は第58機動部隊指揮官であるミッチャー中将が、航空機で大和を沈めた。だがこの手の艦隊決戦であれば、大和は、米国の旧式戦艦群を圧倒した可能性は高い。
 無論、彼女らも真珠湾で一度沈められた恨みは忘れていない。雪辱の機会は狙っていた。戦闘で被弾して損傷しているにも関わらず、その損傷を報告しないで、隠した艦さえある。無論、大和との決戦に臨むためだ。恐らく米国の旧式戦艦群にも、何かしら宿っていたに違いない。
 米国の旧式戦艦群だけが、大和の迸るような心意気を、同じ戦艦として、理解していた。だが実際は、ミッチャー中将とスプルーアンス大将の間で、短いやりとりがあっただけだ。
 「You take them.」それが、スプルーアンス大将が出した命令だった。
 
 戦って死ねる事は本望だ。戦艦陸奥のように、戦えずリタイアした艦もある。それに比べれば、なんと幸せな事か。役目を果たして死ぬ。これ以上の生があろうか?戦艦大和は、対空戦闘に入った。46cm砲も三式弾を撃ち、米軍機を牽制する。合戦の狼煙は切って降ろされた。
 大和の左右には、針山のような対空砲座がズラリと並ぶ。左右の副砲を降ろして、作ったスペースで、埋めた対空装備だ。今はこれだけが頼りだ。大和は巨艦過ぎて、艦橋で操舵手が舵を切ってから、5分以上経って動く程の反応速度だ。よほど先読みしないと、魚雷は躱せない。
 その雷撃機アヴェンジャーは、戦艦大和に接近した。攻撃任務ではない。偵察任務だ。驚いた事に、その雷撃機は撮影隊だった。戦闘中の戦艦大和に接近録画する使命を帯びている。対空砲火の嵐の中、命懸けで接近する。近づいてみると、その偉容に改めて瞠目させられる。
 この戦艦は従来のどの戦艦とも異なる。設計思想が異なる。未来的だ。本当に日本人が設計したのか?美しい。後席は撮影機を回していた。雷撃機は大和の艦橋と煙突の間を通り抜けた。そして2015年頃、インターネット上、数秒の白黒動画が発見されて、真偽論争を呼んだ。

 最初の脱落者は駆逐艦浜風だった。大破航行不能。第二水雷戦隊旗艦、軽巡矢矧も機関損傷で航行不能。脱落後、沈没。続いて駆逐艦涼月も大破、沈没。朝霜は大爆発、轟沈。第一波攻撃で残った艦は、大和以下7隻、駆逐艦響、潮、磯風、初霜、霞、冬月、そして雪風だった。
 第二波攻撃、第三波攻撃は大和に集中した。だがその間に駆逐艦潮と霞は失われた。残った艦は、大和以下4隻、駆逐艦響、初霜、冬月、そして雪風だ。米軍艦載機による猛攻に次ぐ、猛攻。両軍の戦闘詳報は異なるが、大和は魚雷10本以上、爆弾数十発を被弾した。
 大和は大きく左傾斜していた。注水しても復元できない。注排水指揮所との連絡が途絶し、舵も故障していた。舵操舵室も浸水で全滅していた。雷撃機アヴェンジャーは、露出した艦底に魚雷を命中させるべく、大和右舷後部に雷撃した。それはガーンと、深く芯まで穿った。
 有賀艦長は、どうする事もできず、ただそれを見守っていた。大和は最早これまでと悟った。戦闘は終了だ。生き残った者は帰さないといけない。日本は続くのだ。どこまでも。
 第二艦隊司令長官の伊藤中将、大和艦長の有賀少将は艦に残った。それぞれの想いを受け取る。彼らは心の中で、大和の艦内神社に手を合わせていた。別にそんな事までしなくても、彼らの思考は読み取れる。無念の想いもあるだろう。だが大和はありがとうと感謝の念を返す。

 雪風が何か叫んでいた。信じられない事に、あれだけの攻撃を受けても、雪風は無傷だった。ちょっと在り得ない。この駆逐艦は異世界転生でもして、チート能力を身に付けたのか?それくらい雷撃機アヴェンジャーや、急降下爆撃機ヘルダイヴァーの攻撃を躱しまくっていた。
 ほんの一瞬だったが、視線を交錯した。雪風の顔が泣きそうになった。大和は微笑む。最後まで残ったのは、駆逐艦響、初霜、冬月、そして雪風だ。よし、作戦終了。全艦帰投せよ。
 
 大和は沈む前に祈った。対象は未来の日本人全員に対してだ。伝えたいのは、大和の心。日本の心。誰かを守るために戦う事は尊い。それだけは忘れないで欲しい。それを忘れたら、日本はなくなる。確実に。誰かが誰かを守るために戦うのは、決して失ってはならない矜持だ。
 大爆発の光と共に、大和の魂は、光の欠片となって、時空に散った。それは一つの夢だった。だから日本人の心の中で何度でも蘇った。それはプラモデルの模型だったり、宇宙戦艦となって、地球人類まで救う使命まで帯びたりする。だから大和は時空をワープする。どこまでも。
 だがとうとう沖縄に辿り着けなかった。戦艦大和は来なかった。だが大和は信じていた。恐らく自分は、最良の未来を選択したのだと。大和神社の光の巫女として、使命を全うしたと。
 海軍の助けを待っていた沖縄方面根拠地隊司令官は、豊見城で果てた。地下司令室での自決だった。最後の電文、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」はあまりに有名だ。

注45 『Hamlet』1601年 William Shakespeare (1564~1616年) イングランド

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